日本の下町情緒あふれるエリアへ旅行に訪れたらぜひ足を運びたいスポットとして、「銭湯」は外せません。古くからその地の人々の生活の一部であった銭湯の大きな特徴といえば、ひとつに浴室の壁に描かれた「銭湯壁画」が挙げられます。
今回は、そんな銭湯壁画の中でも、「富士山」の壁画に注目。そもそもなぜ銭湯の壁に富士山の絵を描くようになったのか、そして都内の銭湯では、どんな富士山壁画に出会えるのか。それぞれのお店の特徴と合わせて、紹介していきます。
銭湯に富士山の絵が描かれているワケとは?
日本文化のひとつである「銭湯」は、古くから地域の人たちの入浴施設として、そして憩いの場として愛されてきました。銭湯の最盛期は昭和43年のころ。当時は、全国で18,000軒以上の銭湯が営業をしていました。家庭風呂の普及とともに次第に銭湯の数は減り、2018年の調査では、全国で4,000軒を割ることに。ピーク時の3/4以上がお店を畳んでしまったのです。
銭湯のペンキ絵で描かれた富士山の壁画(イメージ)
銭湯と聞くと、番台さんや高い天井、籐のカゴ、ケロリンの桶…などさまざまなイメージが浮かびますが、忘れてはいけないのが、浴室の壁に描かれたペンキ絵。そもそも、なぜ銭湯に壁画が描かれるようになったのでしょうか?
ペンキ絵発祥の銭湯は「キカイ湯」(東京都千代田区)
銭湯の壁画にペンキ絵が描かれるようになったのは、1912年、大正元年のこと。明治17年に現在の東京都千代田区に開業した銭湯「キカイ湯」が、大正元年の増築の際に、「子どもたちにも喜んでほしい」という思いから浴室の壁にペンキ絵を掲げたのが始まりです。
キカイ湯跡を示す看板が東京都千代田区に設置されている
この時、作画を担当したのが、川越広四郎という画家。静岡県出身であった彼が、故郷のシンボルでもある富士山の絵を描いたことが富士山壁画の最初だったといわれています。形が美しく、裾野に向かって末広がりに線が伸びていく富士山は、昔も今も、良縁起のシンボル。昔から山岳信仰の対象でもあり、人々に大切に崇められてきた存在でもあります。
そんな富士山の絵をキカイ湯の壁に描いたことにより、一気に有名となり、次第にほかの銭湯も壁画をマネをするようになった…というワケなんです。
富士山の絵が描かれた経緯についても紹介
富士山壁画を見られるのは関東周辺の銭湯が多数
キカイ湯を皮切りに、さまざまな銭湯の壁に描かれるようになった富士山ですが、実は、富士山の絵が描かれている銭湯の多くは関東圏に位置しています。
さまざまな考察ができますが、一番有力な理由は、関東圏に住んでいる人々の方が富士山との距離が近い分身近な存在であり、かつ信仰の対象としている人が多いから。子どもの頃から富士山の姿を眺め、親しんできた関東圏の人々にとって、「お風呂のペンキ絵は富士山」というイメージがなじみやすかったのかもしれません。
そもそもペンキ絵のテーマやモチーフに決まりはありませんので、雄大な自然の姿を描くのも、七福神を描くのも、銭湯の自由。銭湯の壁画は、いわばその銭湯の個性でもあるんです。
ペンキ絵とタイル絵
銭湯壁画は、大きく「ペンキ絵」と「タイル絵」に分けられます。
ペンキ絵は壁に直接絵を描いていきます。多くの人がイメージする「富士山壁画」は、おそらくペンキ絵で描かれたものでしょう。ペンキ絵で書かれた壁画は数年経つとお風呂の蒸気などにより剥がれてきてしまうため、実は、2〜3年に一度描きかえられます。数年前に訪れた銭湯に再び足を運んだら、前回と違うペンキ絵の壁画になっていた…なんてことも。
小金井市「江戸東京たてもの園」に残る「子宝湯」にもペンキ絵の富士山の壁画が
銭湯ペンキ絵師は、日本全国にたった3人だけ。84歳で銭湯ペンキ絵師最年長の丸山清人さん、兄弟弟子の中島盛夫さん、そして唯一の女性で、最年少の田中みずきさん。なんと銭湯の壁いっぱいに描かれた富士山壁画は、2〜3時間ほどで描きあげてしまうそうです。
壁画の隅に、描いた年月や絵師のサインが書かれていることもあるため、銭湯でペンキ絵を見つけたら、誰の作品なのかチェックしてみては。
対して「タイル絵」は、絵付けを施したタイルを嵌め込み、壁画を完成させます。関東圏ではなかなか見られないタイル絵ですが、関西圏では珍しくありません。ペンキ絵と異なり、蒸気や湿気による絵の劣化が起こらないのが大きなメリットです。
銭湯ペンキ絵師が描く富士山壁画に会いに行こう
では、都内ではどんな「富士山壁画」が見られるのでしょうか?今回は都内に立つ2つの銭湯と、その富士山壁画を紹介します。
金春湯(銀座)
ひとつめの銭湯は、銀座に立つ「金春湯(こんぱるゆ)」。開業はなんと、1863年という江戸時代の幕末の頃。2020年で創業157年を迎えます。開業当時は木造建ての銭湯でしたが、1957年に改築し、現在はビル内にお店を構える形になっています。
銀座の一角に佇む「金春湯」(写真提供:金春湯)
銀座といえば、かつてからラグジュアリーなショップが並ぶ、商業の中心地。常に世の中の最先端を彩ってきた銀座の地で、150年以上の歴史を歩んできたスポットのひとつが、ここ、金春湯なのです。店主である横山さんは、金春湯が今後も伝統を残していくための工夫について「銀座らしさや、レトロ感、季節感を大切にした空間作りを考えています」と話します。
中島盛夫絵師による2つの富士山
金春湯では、2つの富士山の絵を見ることができます。男湯は燃えるように赤く染まった「赤富士」、女湯には、静岡県の「三保松原(みほのまつばら)」の富士山の姿が描かれています。いずれも、中島絵師と金春湯の店主・横山さんが相談して決定したもの。
横山さんが2つの富士山の絵を描いた理由を「2つの富士山を同時に見られれば楽しいと思いました」と話してくださったように、男湯からは女湯の富士山壁画も視界に望むことができます。
男湯の赤富士の壁画(写真提供:金春湯)
初めて赤富士の絵を見る人は、「どうして富士山が赤いの?」ときっと疑問に思うはず。これは実際の富士山で見られる現象で、晩夏から初秋にかけての朝早く、朝日と霧や雲との位置関係などにより、富士山が赤く染まって見えるのです。縁起がよいとされる赤富士の姿が、男湯の壁に力強く描かれています。
女湯に描かれた「三保松原」の景色の壁画(写真提供:金春湯)
女湯に描かれる三保松原の富士山の姿は、こちらも富士山の絶景のひとつとして親しまれている姿。三保松原は、「富士山世界文化遺産の構成資産」にも登録されている、世界から認められた富士山の絶景です。海の青に白い波、松林の緑と、奥にどっしりと佇む富士山。歌川広重といった浮世絵画家たちにも親しまれ描かれてきた、日本を代表する情景です。
実際の三保松原の風景
九谷焼のタイル絵も見られる
さらに金春湯では、富士山のペンキ絵以外に、タイル絵を楽しむこともできます。
タイル絵で鯉が優雅に泳ぐ姿を表現(写真提供:金春湯)
こちらで使用されているのは、石川県金沢市の「鈴栄堂」製の九谷焼タイル。浴槽近くには錦鯉が優雅に泳ぐ姿、洗い場には、春秋花鳥のタイル絵が施されています。色鮮やかなタイル絵は、ペンキ絵とはまた違った上品な雰囲気を感じられます。お風呂に浸かりながら、タイル絵とペンキ絵のアート鑑賞を楽しんでみてはいかがでしょうか。
【金春湯 基本情報】
住所:〒104-0061 東京都中央区銀座8-7-5
電話:03-3571-5469
営業時間:14:00〜22:00
定休日:日曜、祝日
料金:大人(12歳以上)470円 / 中人(小学生)180円 / 小人(未就学児)80円
アメニティ販売:タオル 130円 / 石鹸 30円〜 ※第2・4金曜以外はボディソープ・シャンプーの備え付けあり
アクセス:JR 新橋駅より徒歩(約5分)、東京メトロ銀座線銀座駅より徒歩(約5分)
大黒湯(墨田区)
東京スカイツリーを間近に望む「大黒湯」
宮造りの建物にのれんがかかった、「下町の銭湯」の風貌を残す墨田区の銭湯。ここは、東京スカイツリーが見えることでも有名な銭湯「大黒湯」です。2012年に東京スカイツリーが完成してから、大黒湯周辺は再開発に伴い古い家が次第になくなっていくように。大黒湯は常連さんを失うというダメージを受けたこともあり、2014年にリニューアルを果たします。
リニューアルで誕生した2つの魅力
変わったところは大きく2つ。
リニューアルで誕生した「大露天」
ひとつは、これまで浴室裏の薪置き場だった場所を改築し、露天風呂とデッキを設けたこと。「露天風呂のある下町の銭湯」は、ほかではなかなかない珍しいものです。露天風呂に寝転びながら天を仰ぐと、視界には高く伸びる東京スカイツリーが。のんびり温泉に浸かりながら東京スカイツリーを眺められるなんて、なかなか粋な体験です。
露天風呂の横の階段を上がった先には、ウッドデッキを設けた
露天風呂から続くウッドデッキには、ハンモックやベンチが置かれています。ここからも、天井の隙間から東京スカイツリーが顔を覗かせていました。
デッキの階段から見える東京スカイツリーの姿。左には大黒湯の煙突が見える
ふたつめは、入れるお風呂の多彩さ。露天風呂だけでなく、ボディマッサージ、スーパージェット、座風呂、歩行風呂…といった浴槽にもさまざまな工夫がなされており、好みに合わせて入浴を楽しめるのも大きな特徴です。
大黒湯ではリニューアル前に井戸水の温泉認定を受け、弱アルカリ性メタケイ酸泉の温泉を楽しめるのも魅力。温泉だけでなく、高濃度人工炭酸泉や、日替わりの薬湯…と、お湯自体にもこだわっており、何度訪れても飽きることはありません。
薬湯は季節感を感じられる生の果物やハーブをチョイスしており、4月は美肌やむくみなどの効果が期待できる「ザクロの実」や、柑橘の香りでリフレッシュできる「ちんぴの湯」など、毎日異なる薬湯が楽しめます。今日はどんな薬湯に入れるのか、詳細は大黒湯の公式サイトをチェックしてみてください。
変わらない堂々とした「富士山」の壁画
リニューアルに伴い、新しい魅力を生み出した大黒湯ですが、一方で、銭湯らしさを残した変わらない景色も残しています。脱衣所の格子天井の高さや、宮造りの外観はそのまま。そして、浴室を飾る富士山のペンキ絵も、大切に受け継がれています。
壁に大きく描かれた美しい富士山の壁画
大黒湯の富士山壁画は、銭湯ペンキ絵師の中島盛夫氏によるものです。以前からずっと中島絵師にお願いしているようで、現在は2019年に塗り替えたばかりの青く美しい富士山の姿を見ることができます。その前は、金色に輝く富士山の姿だったのだそう。大黒湯は男湯と女湯を日替わりで入れ替えているため、1枚の大きなペンキ絵を、日によって異なるアングルから楽しめます。
墨田区の廣田硝子株式会社が手がける江戸切子が洗い場の上に並ぶ
大黒湯は、営業時間が長いという点も大きな魅力です。
銭湯は夕方からのオープンで、遅くても翌深夜にクローズするのが一般的。ですが、大黒湯は午後にオープンしてから翌日の朝10:00まで営業しています。早朝に夜行バスが到着したから銭湯でさっぱりしたい…なんて時の利用にもぴったり。
東京スカイツリーとペンキ絵の富士山のどちらも望める、ほかでは出会えない銭湯です。
【大黒湯 基本情報】
住所:〒130-0003 東京都墨田区横川3-12-14
電話:03-3622-6698
営業時間:月・水〜金曜 15:00〜翌10:00 / 土曜 14:00〜翌10:00 / 日曜、祝日 13:00〜翌10:00
定休日:火曜(祝日の場合は営業し、翌水曜が休み)
料金:大人 470円 / 中学生 370円 / 小学生 180円 / 未就学児 80円
※サウナ利用の場合は+200円
アメニティ販売:貸タオルセット 50円 / 貸タオル(大)40円 / 貸タオル(小)20円
※ボディソープ・シャンプーは備え付けあり、ほか、歯ブラシ・カミソリ・クレンジングなども番台で販売
アクセス:押上駅より徒歩(約6分)、錦糸町駅より徒歩(約12分)
銭湯に入る前にチェックしたいマナーと注意点
下町情緒の残る銭湯は、地域に住まう常連さんが多く集う場所でもあるため、独自のルールがあるのでは?と心配に思う人もいるのではないでしょうか。最後に、銭湯に入る上での注意ポイントを紹介します。これだけでもしっかりと覚えておけば、初めての銭湯でも、周りの人に迷惑をかけることもなく、快適に入浴を楽しめるはず。ぜひ事前にチェックしてから、銭湯に足を運んでみてください。
1. 洗い場は座って使用を
外国ではシャワールームの利用が一般的で、立って体を洗い流す…という文化が基本。銭湯をはじめとした日本の公衆浴場では、座って洗い場を使用するのが基本です。周りの人に泡やお湯が飛び散らないよう、必ず座って体や頭を洗いましょう。椅子や桶は洗い場の前に置いてあるものや、浴室のドア近くに用意されているものを利用しましょう。
2. 体を洗ってから入浴を
浴槽はみんなが入る場所です。まずは体を洗い、体を清潔にしてからお風呂に入るようにしましょう。
3. 大きな声での会話は控えましょう
銭湯に訪れる人にとって、そこはくつろぎの場所。大声で会話をしたり、走り回ったり…といった行為は迷惑になるためNGです。
4.タオルは浴槽に入れないように
意外と知られていないのが、浴槽のお湯にタオルを入れてはいけないということ。もしかしたらタオルに雑菌がついており、お湯を汚してしまうことが考えられるからです。タオルは浴槽の外に置くか、髪を束ねるために頭に巻くなど、お湯に浸からないよう工夫しましょう。
銭湯ごとに異なる富士山のペンキ絵にもぜひ注目してみて
浴室の壁に描かれた壁画は、銭湯それぞれの個性を表しています。今回はペンキ絵で描かれた富士山の壁画について注目しましたが、絵画のテーマや描き方はさまざま。訪れた際はぜひどんな絵が描かれているのかにも注目することで、もっと銭湯の魅力に気がつくことができるはずです。