1. 小田原城の見どころ《王道観光編》
天守閣
小田原城NINJA館(歴史見聞館)
常盤木門SAMURAI館
本丸茶屋・報徳二宮神社・きんじろうカフェ
季節の花・イベント
2. 小田原城の見どころ《ちょっとマニアック編》
常盤木門(ときわぎもん)
銅門(あかがねもん)
馬出門(うまだしもん)
総構(そうがまえ)|戦国時代の姿を今に留める巨大遺構
3. 小田原城の歴史さっくり解説
北条氏以前の時代
北条氏の時代
江戸時代
明治時代~現在
4. 小田原城へのアクセス
まとめ

JR小田原駅から南へ歩いて200メートルほどの場所に、小田原城址公園があります。現在は白亜の復元天守閣がそびえ立ち、緑豊かな市民憩いの場となっていますが、戦国時代には大きな戦いが起こり、江戸時代には東海道の要衝として繁栄した城下町になりました。

その規模は現在では想像できないほど広大で、その様相は巨大城郭そのものだったとか。そんな小田原城の歴史とともに、さまざまな見どころ、観光ポイントを紹介してみたいと思います。

《関連記事》
【小田原観光】ますはここ!日帰りもOKのテーマ別おすすめスポット14

※掲載の情報2023年8月時点のものです。諸事情により変更となる場合があります

1. 小田原城の見どころ《王道観光編》

天守閣

小田原城天守閣

再建された小田原城天守閣。斜めに突き出た石垣が特徴的

1960年(昭和35年)に復元された天守閣で、まさしく小田原のシンボルと言えるでしょう。構造は鉄筋コンクリート造で三重四階となっており、その高さは38.7メートルを誇ります。

なお最上階の高欄が付いた廻縁(まわりえん)は江戸時代にはなかったもので、復元する際に新たに付けられたものです。ここから小田原の市街地や相模湾が一望でき、晴れた日には遠く房総半島まで望めるとか。

また2016年(平成28年)に大改修が行われたことで、小田原城天守閣は新しく生まれ変わりました。その内部は展示室になっていて、甲冑や刀剣、古文書など貴重な資料が展示されています。また随時、企画展も催されており、小田原城の歴史や武家文化を学ぶにはとっておきの場所なのです。

【小田原城天守閣】
●場所:神奈川県小田原市城内本丸広場
●開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
●休館:12月第2水曜、12月31日、1月1日
●公式サイト:小田原城 天守閣

小田原城NINJA館(歴史見聞館)

小田原城二の丸には従来、歴史見聞館という施設がありましたが、2019年(平成31年)にリニューアルされ、新たにNINJA館としてオープンしました。

戦国大名・北条氏に仕えた忍者集団といえば、風魔小太郎が率いた風魔党が知られていますが、そんな風魔忍者をモチーフに、忍術体験を通じて学べる施設となっています。

内部には戦国シアターや忍術体験ゾーン、からくり屋敷などがあり、さらに実戦ゾーンでは敵の忍者を手裏剣で倒すゲームも楽しめます。

【小田原城NINJA館(歴史見聞館)】
●場所:小田原城址公園内二の丸
●公式サイト:小田原城NINJA館

常盤木門SAMURAI館

小田原城常盤木門の展示をリニューアルし、2016年(平成28年)にオープンしたのがSAMURAI館です。ちなみに常盤木門は櫓門になっていますから、ちょうど2階部分が展示スペースとなっています。

日本甲冑武具研究保存会の全面協力によって刀剣類や甲冑などが展示されていて、大河ドラマなどで見る本物がすぐ目の前に。単に美術品としての美しさのみならず、武士の精神世界を垣間見ることができます。

またデジタル映像と音楽によるプロジェクションマッピング「花伐つ鎧(はなうつよろい)」が上映されていて、躍動感を感じつつ、武士の誇りや悲哀を感じられるのも魅力のひとつでしょう。その世界観に魅了されるに違いありません。

【常盤木門SAMURAI館】
●場所:小田原城址公園内本丸広場 常盤木門2階展示室
●公式サイト:常盤木門SAMURAI館
※甲冑着付け体験受付は9:30〜16:00(最終貸出15:30)

本丸茶屋・報徳二宮神社・きんじろうカフェ

本丸茶屋

小田原城本丸茶屋

小田原城天守閣の近くにある本丸茶屋

小田原城址公園は広大ですから、観光途中歩き疲れたらお茶を飲みたくなるもの。城内にはそんなスポットも充実しています。まず天守閣のすぐ近くで営業しているのが本丸茶屋です。ここはお土産も買える売店や食堂が併設されていて、うどんや蕎麦・丼だけでなく、一品料理も楽しめるとか。

またコーヒーやジュース・アルコール類の他に、夏場にはかき氷や限定ソフトクリームも販売されているそうです。外に長椅子もありますので、白亜の天守閣を見上げながらグルメを楽しむのも素敵ですね。

【本丸茶屋】
●場所:小田原城址公園内本丸広場
●公式サイト:お食事処 本丸茶屋

報徳二宮神社

報徳二宮神社

報徳二宮神社
続いて城内の小峯曲輪(こみねくるわ)には、報徳二宮神社が鎮座しています。ここには小田原と縁が深い二宮金次郎こと二宮尊徳(にのみや そんとく)が祀られていて、学業成就や商売繁盛のご利益があるそうです。

【報徳二宮神社】
●場所:小田原城址公園内小峯曲輪
●公式サイト:報徳二宮神社

きんじろうカフェ・カフェ小田原柑橘倶楽部

きんじろうカフェ&小田原柑橘倶楽部

きんじろうカフェ&小田原柑橘倶楽部でひと休み

また境内の木立に囲まれたエリアには「きんじろうカフェ」と「カフェ小田原柑橘倶楽部」があり、日本のバリスタの第一人者である横山千尋氏監修のもと、本格的なイタリアンコーヒーを楽しめます。また二宮金次郎をテーマにしたカフェだけあって、店内には金次郎をモチーフとしたグッズが販売されています。

きんじろうカフェではとりわけ金次郎にスポットをあてたラテアートは素晴らしく、思わず目を楽しませてくれるのは間違いなし。

その他にも金次郎が食べたとされる呉汁や、もちもち感がたまらないスイーツきなぽんなど、ここでしか食べられないメニューが充実しています。

【きんじろうカフェ・Cafe 小田原柑橘倶楽部】
●住所:神奈川県小田原市城内8-10
●公式サイト:小田原城内 報徳の杜

季節の花・イベント

季節の花(梅・桜・菖蒲・アジサイ・ハスなど)

小田原城址公園の季節の花

小田原城址公園を彩る季節の花々。上段:左から梅、桜。下段:左から藤、菖蒲とアジサイ

小田原城の観光では、四季折々の花々を楽しむことができます。まず1月中旬~2月末までは約250本の梅が咲き、春には約300本の桜が咲き乱れます。また初夏から夏にかけては花菖蒲(はなしょうぶ)・アジサイ・ハスなどが目を楽しませてくれるでしょう。

例年4月初旬までは桜のライトアップが演出され、白く浮かび上がる天守閣とともに幻想的な雰囲気を醸し出してくれます。

【花の見頃はこちらもチェック】
小田原城 園内の主な花ごよみ

季節のイベント

小田原ちょうちん夏まつり

小田原ちょうちん夏まつり (写真:[20小田原ちょうちん夏まつり]、神奈川県小田原市、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス表示4.0

さらに小田原城では季節ごとのイベントも充実感たっぷり。梅・桜・アジサイなど花をテーマにしたお祭りが開催されるほか、7月中旬には小田原ちょうちん夏まつりが催されています。

かさばらずに折り畳めることで人気となった小田原ちょうちんは、江戸時代を通じて広く普及しました。お祭りでは御輿が練り歩き、北条太鼓や小田原囃子の演奏などが行われます。また市内の小学生が製作したちょうちんが会場周辺を彩り、華やかな雰囲気が楽しめるはず。

北條五代祭り

北條五代祭り (写真:[17北條五代祭り(その1)]、神奈川県小田原市、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス表示4.0

そして毎年5月3日には、小田原市最大のイベントとなる北條五代祭りが開催されます。北条氏歴代当主を模した武者行列や神輿が城下を練り歩き、陸上自衛隊の音楽隊や地元の吹奏楽なども加わるとか。小田原を代表するイベントとなっています。

【年間イベントはこちらもチェック】
小田原城 年間イベント

2. 小田原城の見どころ《ちょっとマニアック編》

常盤木門(ときわぎもん)

小田原城常盤木門

小田原城常盤木門

小田原城の本丸には、2つの門が存在していました。そのうち常盤木門は正門にあたり、堅固で厳重な造りとなっています。多聞櫓と渡櫓から構成された櫓門で、2階部分は武器などの貯蔵庫として使われていました。

また門の前には枡形という空間が目の前に広がっています。敵がここへやって来ると袋小路となり、門の2階から狙い撃ちにするという防御構造になっていました。

廃城とともに常盤木門も破却されましたが、現在の門は1971年(昭和46年)に復元されたものです。ちなみに常盤木とは常緑樹のことで、往時には門のそばに松が植えられていたとか。また松が緑をたたえながら何十年も生長することから、小田原城がずっと繁栄することを願って名付けられたそうです。

【関連リンク】
小田原市公式サイト/常盤木門

銅門(あかがねもん)

小田原城銅門

小田原城銅門 (写真:[2小田原城銅門]、神奈川県小田原市、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス表示4.0

二の丸の表門にあたるのが銅門です。馬屋曲輪から橋を渡って二の丸から城の主要部へと通じることから、特に堅固な構造となっています。

まず、門は櫓門形式で、見張りと防御の役目を兼ね備えていました。また枡形によって閉塞された空間を併せ持ち、ここで敵を渋滞させたうえで、櫓門や城壁から攻撃を仕掛ける防御施設となっています。

銅門の由来は、大扉に使用された飾り金具に銅が用いられたからだとか。銅門も廃城の際に取り壊されましたが、1997年(平成9年)に当時の工法によって復元されました。

【関連リンク】
小田原市公式サイト/銅門

馬出門(うまだしもん)

小田原城馬出門

小田原城馬出門 (写真:[3小田原城馬出門]、神奈川県小田原市、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス表示4.0

この門は城の大手筋に位置し、馬出曲輪や二の丸を守るために重要なものでした。2つの門と土塀で囲んだ比較的簡素な造りですが、やはり枡形空間によって防御力を高めています。

それぞれの門は、控柱にそれぞれ屋根がつく高麗門形式というもので、城の表玄関にふさわしい格式を備えていました。現在の馬出門は平成21年(2009年)に復元されたもので、江戸時代の姿を今に伝えているのです。

【関連リンク】
小田原市公式サイト/馬出門

総構(そうがまえ)|戦国時代の姿を今に留める巨大遺構

小峯御鐘ノ台大堀切西堀

天守閣からは離れた場所にある「小峯御鐘ノ台大堀切西堀(こみねおかねのだい おおほりきり にしぼり)」。戦国時代、小田原城が今の城址公園よりもずっと広大だった頃の名残です

小田原市街地周辺には、かつて北条氏が築いた総構がいたるところに現存しています。総構とは空堀と土塁で構築した防御陣地のことで、小田原城と城下町を9キロにわたって取り巻いていました。

関東ローム層の地層を60°の角度で掘削したことから、年月が経っても崩れにくく、現在も往時の姿を留めているのです。

特に小田原城の北東にある小峯御鐘ノ台大堀切東堀は、幅が20~30メートル深さは12メートルに及び、当時の堅固さ土木技術の素晴らしさを今に伝えています。

その北に位置する稲荷森でも、大規模な空堀を見ることができるでしょう。堀底からの高低差がかなりあり、上から見下ろすと、まるで吸い込まれるような錯覚に陥ります。戦国時代の小田原城を知るには、まさにうってつけの場所なのです。

【関連リンク】
小田原市公式サイト/総構え
小田原市観光協会/はじめての総構え 驚きの傾斜をあなたに

1. 小田原城の歴史さっくり解説:4つのポイント

小田原城は室町時代に築城された城ですが、大きく分けて4つの時代に分けられます。

①北条氏以前の時代
大森氏によって小田原城が築かれる。

②北条氏の時代
北条氏五代による支配の時代。小田原城はこの頃に大拡張期を迎える。

③江戸時代
譜代大名が藩主となり、近世城郭として発展を遂げる。

④明治時代~現在
廃城後、地元有志による活動をきっかけに、城址公園として生まれ変わる。

次から詳しく解説します。

北条氏以前の時代

小田原城がいつ頃築かれたのか? はっきりしたことはわかっていません。『鎌倉大草紙』という史料によれば、室町時代中期に大森安楽斎という人物が、箱根竹の下から小田原へ移った際に築城したと伝わっています。

本丸や二の丸周辺から当時の遺物が発掘されていることから、初期の小田原城は、ちょうど現在の天守閣周辺に存在したのかも知れません。

北条氏の時代

北条五代のイメージイラスト

北条五代のイメージイラスト。上から時計回りに初代・早雲(伊勢宗瑞)、2代・氏綱、3代・氏康、4代・氏政、5代・氏直

北条五代・歴代当主一覧

【初代】北条早雲(ほうじょう そううん)
   =伊勢宗瑞(いせ そうずい)
【2代】北条氏綱(うじつな)
【3代】北条氏康(うじやす)
【4代】北条氏政(うじまさ)
【5代】北条氏直(うじなお)

北条早雲が城を奪い、氏康は上杉謙信・武田信玄も退けた

室町時代後期から北条氏が支配する時代となります。大森氏から城を奪い取った伊勢宗瑞(いせそうずい)=北条早雲(ほうじょうそううん)は、小田原城を関東進出の拠点と定めました。そして2代目にあたる北条氏綱(うじつな)が小田原城へ本拠を移したことで、ここから城の拡張期を迎えます。

まず氏綱は京都を模倣した都市計画を念頭に、整然とした城下町を作り上げました。家臣の屋敷や庶民の家屋が立ち並び、さらに小田原用水を敷設して日本初の上水道を巡らせています。

3代目・氏康(うじやす)の時代になると、小田原城は見違えるほど堅固になりました。堀や土塁によって厳重に防御され、1560年(永禄3年)には上杉謙信が、1569年(永禄12年)には武田信玄によって攻められますが、城はビクともしなかったとか。

そして4代目・氏政(うじまさ)、5代目・氏直(うじなお)の頃、北条氏は関東地方のほとんどを制圧しますが、天下人となった豊臣秀吉と対決する時を迎えます。豊臣軍の侵攻を予測した氏政は、1587年(天正15年)に「相府大普請」という大規模な改修工事を命じました。これは小田原城だけでなく城下町すべてを取り込む総構(そうがまえ)を造成するためです。

この総構を巡る堀と土塁は、総延長9キロに及ぶ大規模なもので、現在の小田原駅周辺の市街地がそっくり入ってしまうほどの広大さだったとか。
また堀の深さはゆうに10メートルを超えたとされていますから、まさに鉄壁の大城郭に相応しい威容を誇ったことでしょう。

1590年(天正18年)に豊臣軍が侵攻してきますが、さしもの秀吉も力攻めが出来ず、およそ20万の大軍で3カ月にわたって包囲を続けたといいます。しかし北条氏の抵抗もそこまででした。長い籠城で士気が下がってしまい、ついに秀吉の軍門に降ってしまったのです。

江戸時代

大久保忠世のイメージイラスト

大久保忠世のイメージイラスト

小田原攻めが終わった直後、滅亡した北条氏に代わって徳川家康が関東へ移ってきました。小田原城には譜代家臣の大久保忠世(おおくぼ ただよ)が4万石の大名として入り、次いで忠隣(ただちか)の代になると大幅な加増を受けています。

大久保氏の時代に大幅な改修が行われていますが、城がその面目を一新するのは稲葉正則(いなば まさのり)が藩主の頃です。折しも3代将軍徳川家光の上洛を控えており、小田原城が宿泊所として指定されたことから、これまでにない大改修が施されました。
天守や御殿、多聞櫓などが造営され、さらに城の主要部には石垣が用いられたことで、ようやく近世城郭らしい風格となっています。

しかし小田原周辺では、江戸時代を通じて地震が頻発していて、小田原城はそのたびに大きな被害を受けました。小田原藩は小さな藩ですから、天災のたびに大きな出費を余儀なくされたといいます。また広大な城を維持管理することもままならず、その規模はどんどん縮小していったそうです。

やがて明治時代になると、廃城令を待つことなく廃城届が出されたことで、小田原城はその歴史にピリオドを打ちました。

明治時代~現在

小田原城址公園遠景

小田原城址公園遠景

小田原城が廃城になったことで、城内にあるほとんどの建物が取り壊されました。唯一残ったのは二の丸の平櫓のみだったといいます。

その後、本丸と二の丸が小田原御用邸として宮内省の管轄となりますが、1923年(大正12年)の関東大震災によって御用邸が倒壊。それに伴って敷地が小田原町に払い下げられています。そして1929年(昭和4年)には、二の丸に第二尋常小学校と高等女学校が完成しました。また公園や図書館の開設、桜の植樹などが行われるようになったことで、小田原城を観光地にしようという機運が盛り上がったといいます。

戦後は公園化が促進され、1960年(昭和35年)には復元天守閣が完成。さらに常盤木門や銅門、馬出門といった城門も復元されていきました。また動物園や遊園地が併設されたことで、今や小田原市民だけでなく多くの観光客が訪れる人気スポットとなっているのです。(ただし動物園は2023年に閉園)

4. 小田原城へのアクセス

鉄道でのアクセス

JR[小田原駅]から徒歩約10分

車でのアクセス

小田原厚木道路[荻窪IC]から約10分
西湘バイパス[小田原IC]から約5分
東名高速道路[大井松田IC]から約40分

小田原城周辺の駐車場

小田原城址公園には一般駐車場がないため、周辺の有料駐車場を利用する必要があります。小田原市公式サイト内小田原駅周辺駐車場一覧をご確認ください。なお、小田原城方面へ徒歩で向かうには、小田原駅東口または栄町方面の駐車場が便利です。

登上ルート・小田原城址公園園内マップは小田原城の公式サイト内、交通アクセスのページをご確認ください。

おわりに

小田原城は、中世と近世が混然一体となった全国でも珍しい城です。城の中心部は石垣に囲まれ、復元された天守閣や城門が江戸時代を彷彿とさせます。

いっぽう城の外側へ目を転じてみれば、総構などの中世遺構が良好に残り、きっと戦国の息吹を感じることができるでしょう。歴史上級者だけでなく、初心者でも気軽に楽しめるところが小田原城の大きな魅力なのです。



Text:明石則実

webライター。おもに歴史や城に関する記事を執筆のほか、YouTube動画の制作にも携わり、さまざまなメディアで歴史の面白さを発信している。得意分野は歴史探訪、山城めぐり、街歩き、グルメなど。気の合う仲間たちとお城をめぐりつつ、歴史談義に花を咲かせるのが楽しみ。定期的に数十人規模で城めぐり企画を開催。親睦を図りつつ大人の遠足を楽しむことがライフワーク。



Text:明石則実 Edit:Erika Nagumo

参考:
峰岸純夫・齋藤慎一 編『関東の名城を歩く 南関東編』(吉川弘文館/2011年)
ブルーガイド特別編集『小田原おさんぽマップ』(小田原市観光協会/2018年)
難攻不落の城 小田原城
小田原市公式サイト
各種パンフレット