- 金閣寺の歴史
- 鍵となる2人の人物
- 【鎌倉時代】西園寺公経が豪華な寺と別荘を建てた
- 【室町時代】足利義満による大改修で「金閣」が造られる
- 【室町時代〜江戸時代】「鹿苑寺」となってから
- 【明治〜平成】焼失するも復元され現在の姿に
- 「舎利殿」「北山殿」とは? 金閣寺用語おさらい
- 金閣寺の見どころを7つの名所ごとに紹介
- [舎利殿]金閣寺の象徴
- [夕佳亭]金閣を見下ろせる茶屋
- [総門]格式が高いしるし
- [鏡湖池]逆さ金閣が見られる池
- [安民沢]雨乞いの池
- [銀河泉]足利義満も飲んだといわれる湧水
- [龍門の滝][鯉魚石]まるで滝登りをする鯉
- 世界遺産としての金閣寺
- 「古都京都の文化財」の構成要素のひとつ
- 「古都京都の文化財」はなぜ世界遺産に?
- 17寺社城に金閣寺が選ばれた理由
- 【コラム】金閣寺になぜ鳳凰?
- 金閣寺へのアクセス
- 金閣寺の周辺情報
- おわりに
古き良き日本の古都・京都。時期や国内外を問わず、多くの観光客で賑わう場所です。そんな京都でも特に有名なのが「金閣寺」。金色に輝く金閣は目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
京都だけでなく日本の代表的な観光名所でもある金閣寺は、京都を訪れた際には絶対に見逃せないスポットの一つ。今回は金閣寺の歴史や見どころを紹介します。
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金閣寺の歴史のおおまかな流れ
金閣寺は臨済宗相国寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)の禅寺で、正式名称を「鹿苑寺(ろくおんじ)」といいます。
「金閣」というのは、鹿苑寺の舎利殿の名前です。「舎利殿」とは、釈迦の遺骨や遺灰などを安置するための建物のこと。金箔が張られた三層の舎利殿=金閣は美しく印象的なので、いつしか鹿苑寺全体が「金閣寺」と呼ばれるようになりました。
金閣寺の歴史は、およそ800年前まで遡ることができ、いくつかの時代に区切ることができます。
はじめは西園寺公経(さいおんじきんつね)という鎌倉時代の貴族が造った別荘・「西園寺・北山第(きたやまてい)」の時代。次に、その別荘を足利義満が大改修し、政治や外交の中心とした「北山殿(きたやまどの)」の時代。そして足利義満の死後に禅寺となった「鹿苑寺」の時代。金閣寺の象徴である舎利殿「金閣」が造られたのは、足利義満が大改修を始めた1397(応永4)年頃です。
鍵となる2人の人物
金閣寺こと鹿苑寺の歴史を知るうえで欠かせない人物が2人います。1人は鎌倉時代の貴族・西園寺公経(さいおんじ きんつね)、もう1人は室町幕府の3代将軍を務めた足利義満(あしかが よしみつ)です。
日本史の教科書にも書かれている通り、金閣寺を建てたのは、室町幕府3代将軍の足利義満です。ただし、これは何もない場所にイチから建物を建てたわけではなく、もともとは別のお寺と別荘がありました。
金閣寺を建てた足利義満
【鎌倉時代】西園寺公経が豪華な寺と別荘を建てた
現在金閣寺が建っている場所にもともとあったのは、「西園寺」という寺院です。これは鎌倉幕府と親しい間柄だった貴族・西園寺公経(さいおんじ きんつね)が氏寺として建てました。そして、同じ敷地内には別荘である「北山第(きたやまてい)」も建てました。西園寺と北山第は、敷地内に滝や池があり、非常に豪華で美しいものだったようです。
しかし西園寺家は時代の移り変わりとともに衰退していき、西園寺・北山第も次第に荒れていきました。
【室町時代】足利義満による大改修で「金閣」が造られる
時は経ち、室町時代。現在の京都市上京区に「相国寺(しょうこくじ)」を建て、さらに将軍職を息子に譲り出家した足利義満は、荒れていた西園寺・北山第に注目します。
そして西園寺・北山第を譲り受けた義満は、1397(応永4)年から大改修工事を開始。こうしてできたのが、義満の別荘「北山殿」で、ここに舎利殿「金閣」が造られました。
義満は晩年、明(現在の中国)との貿易を盛んにし、明の勅使を北山殿で迎えています。こうして北山殿は政治・外交の中心となり、北山文化が花開いていきました。
義満は数え年51歳でこの世を去るまで、金閣に住んでいたといいます。義満の死後、遺言により北山殿は禅寺となり、「鹿苑寺」の名前で呼ばれるようになりました。
【室町時代〜江戸時代】「鹿苑寺」となってから
義満の死後は、歴代の足利頭首が鹿苑寺の保護に尽力しました。ところが応仁の乱が起こると、京のほかの寺院と同じように、鹿苑寺も多くの建物が消失してしまいます。焼失を免れたのは、金閣、石不動堂、護摩堂など一部の建物だけでした。
江戸時代になると、徳川家康の命で住職となった西笑承兌(さいしょう じょうたい)が敏腕をふるい、経済基盤が整えられていきます。そして歴代の僧の尽力により、江戸時代の終わりまでに多くの建物が再建もしくは新しく建てられていきました。
広重『京都名所之内 金閣寺』,栄川堂. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2024-02-07)
【明治〜平成】焼失するも復元され現在の姿に
明治以降は、廃仏毀釈などの新たな困難に直面しましたが、やはり歴代の住職の努力があり、鹿苑寺は維持されてきました。1903(明治36)年からは金閣の解体修理が行われ、国宝にも指定されています。
ところが再び火災が起こります。1950(昭和25)年に起きた「金閣寺放火事件」では、応仁の乱で焼失を免れた金閣も焼失。国宝指定も取り消しになってしまいます。ちなみに、この放火事件は後に三島由紀夫、水上勉ら文化人をはじめ多く人の関心を集め、小説の題材にもなりました。
現在私たちが見ることのできる金閣は、放火事件から5年後の1955(昭和30)年に再建されたものです。前述の通り明治時代に解体修理を行なったことで詳細な図面が作成されており、それをもとにきわめて忠実に再現することができたといいます。
1994年には、「古都京都の文化財」の構成要素のひとつとして金閣寺は世界文化遺産に登録されます。現在は国内外問わず、多くの国・地域から多くの人々が拝観に訪れています。
再建などを乗り越えてきた金閣寺
「舎利殿」「北山殿」とは? 金閣寺用語おさらい
舎利殿(しゃりでん)
釈迦(ブッダ)の遺骨や遺灰などを安置するための建物のこと。
西園寺(さいおんじ)・北山第(きたやまてい)
鎌倉時代の貴族・西園寺公経が造ったお寺と別荘。西園寺家の衰退とともに荒れてしまいます。
北山殿(きたやまどの)
足利義満が、「西園寺・北山第」を大改修して造った別荘。
鹿苑寺(ろくおんじ)
足利義満が亡くなったあと、「北山殿」が禅寺となり付けられた名前。
金閣寺の見どころを7つの名所ごとに紹介
世界遺産に登録された金閣寺ですが、一体どんな見どころがあるのでしょうか。ここでは、金閣寺の見どころを7つの名所ごとに紹介していきます。
[舎利殿]金閣寺の象徴
金色に輝く金閣寺の舎利殿(イメージ)
金閣寺といえば真っ先に思い浮かぶのが、金色に輝く「舎利殿(金閣)」。金閣寺という呼び名の由来にもなっているこの舎利殿は、三層の造りになっています。
一層は寝殿造の「法水院(ほっすいいん)」。法水とは、煩悩を洗い流す水を指します。平安時代の貴族の邸宅様式である寝殿造は、当時栄えていた北山文化の特徴の一つ。華やかな北山文化を垣間見ることができます。
二層は武家造の「潮音洞(ちょうおんどう)」。海の音のように遠くから真実がやってくるという意味を持ちます。武家造は鎌倉時代の武家の住宅様式。鎌倉時代に栄えた西園寺家が所有していた名残が感じられます。
三層は中国風の禅宗仏殿造である「究竟頂(くっきょうちょう)」。「究極」という意味が込められています。床は漆塗りですが、それ以外の柱や天井には金箔が貼られ、仏舎利が安置されています。
舎利殿の頂上で鳳凰が輝く
二層と三層は漆の上から純金の金箔が貼られ、3つの様式が見事に調和している金閣寺の舎利殿。屋根の上には金色の鳳凰(ほうおう)が輝き、その豪華さを余すことなく表現しています。2020年に屋根の改修工事が行われ、金色の輝きがより一層キレイに。舎利殿は金閣寺に行った際には、何があっても見逃せないスポットです。
[夕佳亭]金閣を見下ろせる茶屋
金閣寺の茶室 夕佳亭
茶道家の金森宗和(かなもりしげちか)が造った金閣寺にある茶室「夕佳亭(せっかてい)」。江戸時代に傾きかけた金閣寺を復興し、庭園や池の整備をした臨済宗の僧・鳳林承章(ほうりんじょうしょう)が、修学院を造営したのち水尾(ごみずのお)上皇のために、金森宗和に命じて造らせました。
「夕日に映える金閣が特に佳(よ)く見える」というのが夕佳亭の名前の由来。金閣寺境内の高台に位置する夕佳亭からは金閣を見下ろすことができ、その名の通り夕日に輝く金閣の姿を目にできます。金閣寺を訪れた際は、ぜひ足を運びたい場所です。
[総門]格式が高いしるし
金閣寺の総門には世界遺産登録の石碑がある
金閣寺の入り口である「総門」。金閣寺の世界遺産登録を示す石碑が総門の手前に設置されています。総門で見られる金閣寺の土塀には、よく見ると5本の線が。この線は定規筋(じょうぎすじ)と呼ばれるもので、皇族などの御所や寺院の格式の高さを表しています。
格式の高さによって3〜5本の3段階に分けられ、5本の定規筋は最高位の証。金閣寺が格式高いお寺であることを証明しています。
[鏡湖池]逆さ金閣が見られる池
金閣が反射する鏡湖池のイメージ
金閣の目の前に広がる「鏡湖池(きょうこち)」。金閣寺の境内約13万2,000㎡の内、約9万2400㎡が「鹿苑寺庭園」として特別文化史跡および特別名称指定地となっていて、鏡湖池はその中心的存在です。
葦原島(あしはらじま)など大小の島々や畠山石といった奇岩名石が置かれている鏡湖池。天気の良い日には水面に金閣が反射し、鏡の世界に足を踏み入れた気分を味わえます。
[安民沢]雨乞いの池
金閣寺のパワースポット安民沢
夕佳亭の西側にあり、周りを樹林に囲まれた「安民沢(あんみんたく)」。日照りが続いても枯渇しないことから、雨乞いの場所にも使われていた池です。池に浮かぶ小島にあるのは「白蛇(はくじゃ)の塚」。五輪が積み重なった石塔で、西園寺家の鎮守であると言われています。
近年のパワースポットブームにより、白蛇の塚を金閣寺のパワースポットと呼ぶ人もいるのだとか。また、安民沢を眺めてから後ろを振り返ると見えるのが美しい金閣、通称「見返りの金閣」。安民沢を眺めた際にはぜひ後ろを振り返ってみてください。
[銀河泉]足利義満も飲んだといわれる湧水
銀河泉では水が湧き出る
金閣寺の総門をくぐり、金閣の裏側を進んだ先にある「銀河泉(ぎんがせん)」。足利義満がお茶を飲む際、ここから湧き出た清水を使用したといわれています。「銀河泉」という名前ですが、実は泉ではなく小さな水たまり。今も水は湧き出ていますが、飲用はできませんのでご注意ください。
[龍門の滝][鯉魚石]まるで滝登りをする鯉
龍門の滝には出世祈願のご利益がある
約2.3mの高さから水が流れ落ちる「龍門の滝(りゅうもんのたき)」。鯉が滝を登りきると龍に変身するという中国の故事に由来した「鯉魚石(りぎょせき)」が置かれています。斜めに傾いた動きのある石が表現している、今にも跳ね上がりそうな龍の姿。その勢いの良さと故事によって、出世祈願の効果があるとされています。
世界遺産としての金閣寺
「古都京都の文化財」の構成要素のひとつ
金閣寺は1994(平成6)年、日本で5番目の世界遺産に登録されました。
ただし、金閣寺だけが登録されたのではなく、「清水寺」や「二条城」、「賀茂別雷神社」など、17の寺社・城と一緒に「古都京都の文化財」として登録されています。
「古都京都の文化財」はなぜ世界遺産に?
1868年に首都が東京と改められるまで、1000年にわたり日本の首都だったのは、京都でした。
長年首都として機能した京都では、金閣寺が中心となった「北山文化」のように、数々の文化が生まれました。そして、現在でもそれらの文化を伝える歴史的建造物や庭園が数多く残っています。
「古都京都の文化財」は、かつての首都・京都で生まれた文化の痕跡であり、国を代表する資産です。それらを後世に残すために、17の寺社・城が京都の史跡を代表して選ばれ、世界遺産として登録されました。
17寺社城に金閣寺が選ばれた理由
17の寺社・城は、世界遺産の基準に照らし合わせて選定されました。
・建造物、庭園などの不動産であること
・国宝(建造物)、特別名勝(庭園)などを有すること
・遺産そのものの保護の状況に優れていること
金閣寺はこれらの基準を満たしていたため、「古都京都の文化財」の構成要素に選ばれました。
【コラム】金閣寺になぜ鳳凰?
京都の街を眺める金閣寺の鳳凰
金閣寺の屋根の頂に、南を向いて立つ金閣寺の鳳凰。「なぜ鳳凰なんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?
そもそも鳳凰ってどんな動物?
鳳凰とは中国を由来とする想像上の動物。鳳凰の体はさまざまな動物を掛け合わせていると言われています。鳳凰の体の全面は「麒麟(きりん)」、後部は「鹿」、頸は「蛇」、尾は「魚」、背は「亀」、顎は「燕」、口ばしは「鶏」にそれぞれ似ているといわれており、羽は5色。中国では四霊(麒麟、鳳凰、亀、龍)の一種とされており、人々に幸せや平和をもたらすとの言い伝えや、天皇が現れるときに姿を表すとも言われています。
金閣寺に鳳凰が立つ理由とは
なぜ鳳凰が立てられているのか? 実はその明確な理由は明らかにされていません。いくつかの説があるため、その一部を紹介します。
・義満の息子「足利義嗣」を天皇にさせたかった。(鳳凰は天皇の出現を予期すると言われている)
・災いから守る守り神として設置した。(シーサーやシャチホコがイメージ)
・争いがない平和な京都の平和を願うシンボルだった。
初代鳳凰は金閣寺創建時からの遺品
金閣寺は1950年の放火により焼失してしまいましたが、幸いにも初代の鳳凰はその災難から免れることができました。その理由は1904〜1906年に行われた修繕の際に、鳳凰の尾が折れていたため修復のために取り外し、別の場所で保管されていたからです。
初代鳳凰は1950年の火災を免れ創建時から残る金閣寺の唯一の遺品。金閣寺の境内で大切に保管されているそうで、一般公開は行われていません。
ちなみに、現在の鳳凰は3代目。2代目は鳳凰の金箔が落ちてしまったことから取り替えられました。
金閣寺の基本情報
アクセス:JR京都駅から市バス/205系統「金閣寺道」から徒歩約5分
住所:京都府京都市北区金閣寺町1
拝観時間:9:00〜17:00
参拝料:大人(高校生以上)500円 / 小・中学生 300円
公式サイト:金閣寺
金閣寺の周辺情報
京都といえば真っ先に名前が上がるほど有名な金閣寺。しかし、京都の見どころは金閣寺だけではありません。金閣寺と併せて訪れたい京都の観光名所を紹介します。
銀閣寺
金閣寺と同様に、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている銀閣寺。「わびさび」の文化である東山文化が誕生した場所です。正式名称は「慈照寺(じしょうじ)」。金閣寺とは違い銀色の建物はありませんが、日本人が持つ特有の美意識が感じられる場所です。
龍安寺
枯山水(かれさんすい)の石庭が有名な「龍安寺(りょうあんじ)」。金閣寺や銀閣寺と同じく世界遺産に登録されています。龍安寺の石庭の縦横比は、最も美しい比とされている黄金比。石庭の奥に向かって低くなるように傾斜がつけられていることで奥行き感も生まれるなど、多くの工夫が施されています。
仁和寺
兼好法師の随筆「徒然草」にも登場する「仁和寺(にんなじ)」。境内には五重塔や仁王門などの江戸時代に建てられた建造物が並んでいます。金閣寺を筆頭に、数多くの世界遺産がある京都。仁和寺も世界遺産に登録されている場所です。建造物ができたのと同時期に植えられた御室桜(おむろざくら)は4月中旬に見頃を迎え、当時と同じ姿で咲き誇ります。
米澤工房
陶芸体験の様子(写真:米澤工房)金閣寺から市バスで10分ほどの場所に、西陣織で知られる西陣地域があります。西陣織を紡ぐのに最適化された「織屋建町家」と呼ばれる昔懐かしい町屋で陶芸工房を営むのが、米澤工房です。
手びねりやろくろなど好みの方法で陶芸体験ができるのはもちろん、米澤工房の魅力はグループ貸切体験ができること。風情ある空間の中で、気の置けない相手とじっくり作品作りに勤しんでみては。
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ガラス工房nazuna薺
吹きガラスで作った風鈴(写真:ガラス工房nazuna薺)金閣寺から市バスで10分ほどの、西陣織で知られる西陣地域。ガラス工房nazuna薺は、そんな京都西陣に工房を構えています。
ガラス体験では、吹きガラスでのティースプーンやマドラー作り、風鈴作り、フレグランス小びん作りほか、全部で6種類のメニューを用意。二条城や北野天満宮も近く、観光途中に立ち寄りやすい立地もうれしいですね。
アクティビティジャパンで[ガラス工房nazuna薺]を予約
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宿泊施設
金閣寺の周辺エリアに旅の拠点を設ければ、きっと効率よく観光できるはず。到着後にも荷物を預けやすく、疲れたらすぐ休憩に戻れ、夜遅くや早朝のお出かけにも便利。
金閣寺やその周辺を散策するのであれば、ぜひ近場のホテルや旅館、ゲストハウスへの宿泊をご検討ください。
おわりに
今回は、京都でも特に人気のスポット「金閣寺」を紹介しました。古都京都の観光名所として世界遺産にも登録されている金閣寺。海外からの観光客も多く、修学旅行で訪れる学生も多い場所です。
修学旅行で訪れたあなたも、大人になってもう一度足を運んでみると改めて金閣寺の良さを感じられるはず。京都に行く際は、ぜひ金閣寺を訪れて、新たな魅力を発見してみてはいかがでしょうか。
Text:編集部/Erika Nagumo
Edit:編集部
参考:
臨済宗相国寺派 金閣寺
文化史09 金閣寺(鹿苑寺)|フィールドミュージアム京都
京都市|世界遺産「古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)」
コトバンク
Wikipedia
世界遺産「古都京都の文化財(京都市・宇治市・大津市)」
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)
ほか