古き良き日本の古都・京都。時期や国内外を問わず、多くの観光客で賑わう場所です。そんな京都でも特に有名なのが「金閣寺」。金色に輝く金閣は目にしたことがある人も多いはず。
京都だけでなく日本の観光名所でもある金閣寺は、京都を訪れた際には絶対に見逃せないスポット。今回は金閣寺の歴史や見どころを紹介します。
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金閣寺の歴史
金閣寺創建までの歴史

創建から600年以上の歴史を持つ金閣寺
金閣寺は臨済宗相国寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)の塔頭寺院で、その歴史を紐解くと600年以上も昔に遡ります。京都の北山にある西園寺家(さいおんじけ)の邸宅と庭園を譲り受けた、室町幕府第3代将軍の足利義満。1397年に山荘である北山殿(きたやまどの)の造営に着手し、舎利殿(しゃりでん)の建設を始めました。
翌年に舎利殿が完成。51歳でこの世を去るまで、義満は金閣寺の舎利殿に住んでいました。舎利殿とは、釈迦(しゃか)の遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)を安置する建物のことです。義満の死後、将軍邸としての役割を終えた北山殿。義満の遺言により「鹿苑寺(ろくおんじ)」という名前になりました。

金閣寺を建てた足利義満
既に気づいた人もいるかもしれませんが、実は金閣寺というのは呼び名で正式名称は鹿苑寺。舎利殿が「金閣」という名前であることから、金閣寺と呼ばれています。鹿苑寺という名前は、義満の法号である「鹿苑院殿(ろくおんいんどの)」から付いたもの。法号とは、亡くなってから葬儀が行われるまでの間に、日蓮宗の僧侶に付けてもらう名前を指します。
中国との貿易を盛んにし、文化の発展に貢献した舞台である金閣寺。舎利殿を中心とした庭園や建築は極楽浄土を表したと言われ、当時栄えた北山文化の華やかさを象徴するスポットです。
幾度の困難を乗り越え世界遺産へ

再建などを乗り越えてきた金閣寺
1467年、応仁の乱が勃発。京都全域が壊滅的な被害に遭います。金閣寺も例外ではなく大部分が焼失。しかし、奇跡的に舎利殿などいくつかの建物は被害を免れました。
江戸時代に入り、徳川家康の命によって「西笑承兌(さいしょうじょうたい)」が金閣寺の住職に。すると金閣寺は経済的基盤を固めます。西笑承兌は豊臣秀吉と徳川家康の2人に、政治顧問として重用されたほどの腕を持つ人物。それ以降金閣寺の住職は、西笑と同じ宗派によって受け継がれていきました。
しかし明治時代に入ると、支援者がいなくなったことで経済的基盤を失った金閣寺。さらに廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)による被害も受けるなど、多くの困難を経験します。それでも、歴代の住職たちの努力によって乗り越え、金閣寺は維持され続けてきました。

金箔の張り替えなどを経て世界遺産へ
多くの困難を乗り越えてきた金閣寺。中でも舎利殿は応仁の乱では被害を免れましたが、1950年の放火によって全焼してしまいます。放火したのは金閣寺の見習い僧。金閣寺の舎利殿は、輝きとともに創建当時の姿も失ってしまいました。全焼から5年後に舎利殿を再建。金箔の全面張り替えなどの改修を経て、現在の姿となりました。
1994年には、「古都京都の文化財」として金閣寺は世界文化遺産に登録されます。現在は海外からの観光客にも人気のスポット。小説家・三島由紀夫の小説の題材にもなるなど、金閣寺は日本の中でも特に有名な観光名所になっています。
金閣寺の鳳凰の歴史

京都の街を眺める金閣寺の鳳凰
金閣寺の屋根の頂に南を向いて立つ金閣寺の鳳凰。
「なぜ鳳凰なんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?実はこの鳳凰の像が立てられた理由は、歴史的背景があるとされています。
ここからは鳳凰について紹介していきます。
そもそも鳳凰ってどんな動物?
金閣寺になぜ鳳凰があるのかを紹介する前に、まず鳳凰とはどんな動物なのかを解説していきます。
鳳凰とは中国を由来とする想像上の動物。鳳凰の体はさまざまな動物を掛け合わせていると言われています。鳳凰の体の全面は「麒麟(きりん)」、後部は「鹿」、頸は「蛇」、尾は「魚」、背は「亀」、顎は「燕」、口ばしは「鶏」にそれぞれ似ていると言われており、羽は5色とカラフルです。中国では四霊(麒麟、鳳凰、亀、龍)の一種とされており、人々に幸せや平和をもたらすとの言い伝えや、天皇が現れるときに姿を表すとも言われています。
また鳳凰は意外と皆さんの身近なところにいるんです。現在の一万円札の裏面の左側に立派な鳥が描かれています。実はこちら鳳凰なんです。ただ、こちらの鳳凰は金閣寺のものではなく平等院(京都)にある鳳凰をモチーフにしたそうですよ。
なぜ鳳凰なの?その歴史的背景とは(諸説あり)
なぜ鳳凰が立てられているのか?実はその明確な理由は明らかにされていません。
しかし、いくつかの事実から浮かび上がる諸説があります。その一部を紹介いたします。
・義満の息子「足利義嗣」を天皇にさせたかった。(鳳凰は天皇の出現を予期すると言われている)
・災いから守る守り神として設置した。(シーサーやシャチホコがイメージ)
・争いがない平和な京都の平和を願うシンボルだった。
上記はあくまでも諸説です。鳳凰がなぜ金閣寺にあるのかという背景は未だに解明できていないので、参考程度に捉えてくださいね。
初代鳳凰は金閣寺創建時からの遺品!
上記で紹介したように金閣寺は1950年の放火により焼失してしまいます。ですが、幸いにも初代の鳳凰はその災難から免れることができました。その理由は1904~1906年に行われた修繕の際に、鳳凰の尾が折れていたため修復のために取り外し、別の場所で保管されていたから。
そのため、1950年の火災を免れ創建時から残る金閣寺の唯一の遺品として現存しており、金閣寺の境内で保管されているそうです。
しかし、残念ながら初代の鳳凰は一般公開はされていないようです。
ちなみに、現在の鳳凰はというと3代目。2代目は鳳凰の金箔が落ちてしまったことによる影響から取り替えられました。
金閣寺の見どころを7つの名所ごとに紹介
世界遺産に登録された金閣寺ですが、一体どんな見どころがあるのでしょうか。ここでは、金閣寺の見どころを7つの名所ごとに紹介していきます。
舎利殿

金色に輝く金閣寺の舎利殿
金閣寺といえば真っ先に思い浮かぶのが、金色に輝く「舎利殿(金閣)」。金閣寺という呼び名の由来にもなっているこの舎利殿は、三層の造りになっています。
一層は寝殿造の「法水院(ほっすいいん)」。法水とは、煩悩を洗い流す水を指します。平安時代の貴族の邸宅様式である寝殿造は、当時栄えていた北山文化の特徴の1つ。華やかな北山文化を垣間見ることができます。
二層は武家造の「潮音洞(ちょうおんどう)」。海の音のように遠くから真実がやってくるという意味を持ちます。武家造は鎌倉時代の武家の住宅様式。鎌倉時代に栄えた西園寺家が所有していた名残が感じられます。
三層は中国風の禅宗仏殿造である「究竟頂(くっきょうちょう)」。「究極」という意味が込められています。床は漆塗りですが、それ以外の柱や天井には金箔が貼られ、仏舎利が安置されています。

舎利殿の頂上で鳳凰が輝く
二層と三層は漆の上から純金の金箔が貼られ、3つの様式が見事に調和している金閣寺の舎利殿。屋根の上には金色の鳳凰(ほうおう)が輝き、その豪華さを余すことなく表現しています。2020年に屋根の改修工事が行われ、金色の輝きがより一層キレイに。舎利殿は金閣寺に行った際には、何があっても見逃せないスポットです。
夕佳亭(せっかてい)

金閣寺の茶室 夕佳亭
茶道家の「金森宗和(かなもりしげちか)」が造った「夕佳亭(せっかてい)」。金閣寺にある茶室です。江戸時代に傾きかけた金閣寺を復興し、庭園や池の整備をした臨済宗の僧である「鳳林承章(ほうりんじょうしょう)」。修学院を造営した後水尾(ごみずのお)上皇のために、鳳林承章が金森宗和に命じて造らせました。
「夕日に映える金閣が特に佳(よ)く見える」というのが夕佳亭の名前の由来。金閣寺境内の高台に位置する夕佳亭からは金閣が見下ろせ、その名の通り夕日に輝く金閣の姿を目にできます。金閣寺を訪れた際は、ぜひ足を運びたい場所です。
総門

金閣寺の総門には世界遺産登録の石碑がある
金閣寺の入り口である「総門」。金閣寺の世界遺産登録を示す石碑が総門の手前に設置されています。総門で見られる金閣寺の土塀には、よく見ると5本の線が。この線は定規筋(じょうぎすじ)と呼ばれるもので、皇族などの御所や寺院の格式の高さを表しています。
格式の高さによって3〜5本の3段階に分けられ5本の定規筋は最高位の証。金閣寺が格式高いお寺であることを証明しています。
鏡湖池

鏡湖池に金閣が反射する
金閣の目の前に広がる「鏡湖池(きょうこち)」。金閣寺の境内約13万2,000㎡の内、約9万2,400㎡が「鹿苑寺庭園」として特別文化史跡および特別名称指定地となっていて、鏡湖池はその中心的存在です。
葦原島(あしはらじま)など大小の島々や畠山石といった奇岩名石が置かれている鏡湖池。天気の良い日には水面に金閣が反射し、鏡の世界に足を踏み入れた気分を味わえます。
安民沢

金閣寺のパワースポット安民沢
夕佳亭の西側にあり、周りを樹林に囲まれた「安民沢(あんみんたく)」。日照りが続いても枯渇しないことから、雨乞いの場所にも使われていた池です。池に浮かぶ小島にあるのは「白蛇(はくじゃ)の塚」。五輪が積み重なった石塔で、西園寺家の鎮守であると言われています。
近年のパワースポットブームにより、白蛇の塚を金閣寺のパワースポットと呼ぶ人もいるのだとか。また、安民沢を眺めてから後ろを振り返ると見えるのが美しい金閣、通称「見返りの金閣」。安民沢を眺めた際にはぜひ後ろを振り返ってみてください。
銀河泉

銀河泉では水が湧き出る
金閣寺の総門をくぐり、金閣の裏側を進んだ先にある「銀河泉(ぎんがせん)」。義満がお茶を飲む際にここから湧き出た清水を使用したとされています。「銀河泉」という名前ですが、実は泉ではなく小さな水たまり。今も水は湧き出ていますが、飲用はできませんのでご注意ください。
龍門滝

龍門の滝には出世祈願のご利益がある
約2.3mの高さから水が流れ落ちる「龍門の滝(りゅうもんのたき)」。鯉が滝を登りきると龍に変身するという中国の故事に由来した「鯉魚石(りぎょせき)」が置かれています。斜めに傾いた動きのある石が表現している、今にも跳ね上がりそうな龍の姿。その勢いの良さと故事によって、出世祈願の効果があるとされています。
金閣寺の基本情報
アクセス:JR京都駅から市バス/205系統「金閣寺道」から徒歩約5分
住所:〒603-8361 京都府京都市北区金閣寺町1
拝観時間:9:00〜17:00
参拝料:大人(高校生以上):400円 小・中学生:300円
※2023年4月1日より大人500円に価格変更
公式サイト:金閣寺
金閣寺の周辺情報
京都といえば真っ先に名前が上がるほど有名な金閣寺。しかし、京都の見どころは金閣寺だけではありません。金閣寺と併せて訪れたい京都の観光名所を紹介します。
銀閣寺

東山文化が生まれた地 銀閣寺
金閣寺と同様に、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている銀閣寺。「わびさび」の文化である東山文化が誕生した場所です。正式名称は「慈照寺(じしょうじ)」。金閣寺とは違い銀色の建物はありませんが、日本人が持つ特有の美意識が感じられる場所です。
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龍安寺

枯山水が有名な龍安寺
枯山水(かれさんすい)の石庭が有名な「龍安寺(りょうあんじ)」。金閣寺や銀閣寺と同じく世界遺産に登録されています。龍安寺の石庭の縦横比は、最も美しい比とされている黄金比。石庭の奥に向かって低くなるように傾斜がつけられていることで奥行き感も生まれるなど、多くの工夫が施されています。
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仁和寺

徒然草でおなじみの仁和寺
兼好法師の随筆「徒然草」にも登場する「仁和寺(にんなじ)」。境内には五重塔や仁王門などの江戸時代に建てられた建造物が並んでいます。金閣寺を筆頭に、数多くの世界遺産がある京都。仁和寺も世界遺産に登録されている場所です。建造物ができたのと同時期に植えられた御室桜(おむろざくら)は4月中旬に見頃を迎え、当時と同じ姿で咲き誇ります。
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国内外から人気の金閣寺
今回は、京都でも特に人気のスポット「金閣寺」を紹介しました。古都京都の観光名所として世界遺産にも登録されている金閣寺。海外からの観光客も多く、修学旅行で訪れる学生も多い場所です。
修学旅行で訪れたあなたも、大人になってもう一度足を運んでみると改めて金閣寺の良さを感じられるはず。京都に行く際は、ぜひ金閣寺を訪れてみてはいかがでしょうか。