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ジブリの世界を体感できる場所12選! 日本のアニメーション映画を代表するスタジオジブリ。ジブリ作品にしかない世界観が人々を魅了し、その人気は世界に知れ渡るほどです。そんなジブリ作品の舞台となったと考えられている場所は世界中に存在します。今回は、『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』、『となりのトトロ』をはじめ、ジブリの世界観が体感できる日本のスポットをジブリ作品ごとに紹介していきます。千と千尋の神隠し(2001) 10歳の少女・千尋が不思議な世界に迷い込んでしまう物語の『千と千尋の神隠し』。そのジブリ独特の世界観を体験できる場所は日本に2カ所あります。 千と千尋の神隠しの舞台、四万温泉・積善館(群馬県) <amp-img width="1000px" height="666px" src="https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/thegate/2019/06/17/17/23/50/Sekizenkan-Honkan.jpg" layout="responsive" alt="積善館本館の外観"></amp-img> <small>千と千尋の神隠しの舞台といわれる積善館本館(写真提供:[ググッとぐんま写真館](http://gunma-dc.net/){target='_blank'}{target='_blank'})</small> 「四万の病に効く名湯」として古くから愛されてきた「四万温泉」。その温泉街にある旅館の一つ「積善館」が、千と千尋の神隠しに登場する「油屋」にそっくりなのです。 <amp-img width="1000px" height="666px" src="https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/thegate/2019/06/17/17/24/07/Shima-Onsen-Sekizenkan.jpg" layout="responsive" alt="四万温泉にある積善館の夜の様子"></amp-img> <small>四万温泉にある積善館の夜の様子</small> 宮崎駿監督もこの積善館がモデルの一つだと明言しており、千と千尋の神隠しの世界観を彷彿とさせるような、温泉宿へと続く赤い橋、そして木造建築の湯宿はまさに映画のワンシーン。千と千尋の神隠しが好きな方は、その世界観に浸り、つい橋を渡るときに息を止めてしまうのではないでしょうか。 積善館は1691年に建てられた日本最古の木造建築の湯宿でもあり、「湯治スタイル」という珍しい宿泊スタイルも楽しめます。 【関連記事】 千と千尋の神隠しの舞台といわれる四万温泉の積善館の記事はこちら↓↓ [【四万温泉】レトロな雰囲気が魅力の温泉街](https://thegate12.com/jp/article/89){target="_blank"} ######89######
9.oct 2018
東京都内最強!明治神宮のパワースポット完全ガイド&おすすめ参拝ルート 歴史ある寺院が多くの人を惹きつける日本。そんな日本を代表する神社といえば、「明治神宮」を真っ先に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。明治天皇を祀った神社として、現在まで長い間国民に愛される明治神宮。初詣参拝客数は、例年神社の中でも日本一を誇ります。 そんな明治神宮、実は東京都内有数の強力なパワースポットとしても有名なんです。境内には複数のパワースポットが存在し、それぞれ「縁結び」「精神のリセット」「生命力の強化」など、様々な効果が得られるとされています。パワースポットが持つパワーには、「癒し」「浄化」など数種類があると言われますが、全てが揃う神社は都内で明治神宮だけなんだとか。 今回は明治神宮のパワースポット情報に加え、全てのパワースポットを効率よく回れるおすすめの参拝ルートを紹介します。 【関連記事】 明治神宮の自然と歴史の詳しい解説はこちら↓↓ [【明治神宮】歴史と見所を徹底解説!都心にある巨大な森の魅力とは](https://thegate12.com/jp/article/30){target='_blank'}{target='_blank'} ######30######
27.jul 2020
【明治神宮】歴史と見所を徹底解説!都心にある巨大な森の魅力とは 東京都内有数の規模を誇り、関東を代表する神社として知られる「明治神宮」。長年国民に愛されており、明治神宮の初詣参拝客数は、例年全国の神社の中でもトップを誇ります。結婚式場や披露宴会場としてもおなじみの明治神宮。近年ではパワースポットとしても人気を集めています。 新宿と渋谷のちょうど間に位置する明治神宮ですが、境内や隣接している代々木公園には、都心にいることを忘れてしまうほど豊かな自然が広がっています。静けさと緑に包まれた空間はまさに「都会のオアシス」。また、初夏に見られる菖蒲の花など、季節によって見どころも様々です。 今回はそんな明治神宮の歴史や魅力を紹介していきます。 【関連記事】 明治神宮のパワースポット情報とおすすめ参拝ルートはこちら↓↓ [東京都内最強!明治神宮のパワースポット完全ガイド&おすすめ参拝ルート](https://thegate12.com/jp/article/336){target='_blank'}{target='_blank'} ######336#####明治神宮の歴史 明治神宮創建計画の始まり 明治45年、明治天皇が崩御されます。明治維新を成し遂げ、近代化が進んだ日本を支えた明治天皇。日本全国から愛された天皇の死は、列島を悲しみの渦に巻き込みました。その後、明治天皇を偲ぶ神社の創建を望む声が、国民から挙がります。その声は政府にまで届き、明治天皇を祀る神社の創建計画が始動しました。 大正から昭和へ <amp-img width="1000px" height="666px" src="https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/thegate/2019/06/07/18/40/43/Meiji-jingu-shrine-entrance.jpg" layout="responsive" alt="Meiji-jingu"></amp-img> <small>明治神宮</small> 大正2年には、「神社奉祀調査会」が発足。神社の創建地などの選定が本格的に始められ、翌年「代々木御料地」に決定します。しかし、当時土地が荒れ果てていたため、建築開始には時間と綿密な計画が必要でした。そこで土地をならし、美しい森林をつくるべく「明治神宮造営局」が大正4年に発足します。日比谷公園の設計に携わった本田静六や本郷高徳、造園家の上原敬二といった森林設計のエキスパートが集い、計画が練られました。その後、幾多の困難を乗り越え、大正9年に「明治神宮」が完成します。 第二次世界大戦で明治神宮は全焼してしまいますが、国内外から寄付金が集まり、昭和33年に再建されて現在の姿となりました。 「永遠の杜」としての明治神宮 <amp-img width="1000px" height="666px" src="https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/thegate/2019/06/07/18/45/24/Meiji-jingu-shrine-forest.jpg" layout="responsive" alt="Meiji-jingu 明治神宮"></amp-img> <small> 明治神宮「永遠の杜」</small> 荘厳な森林に囲まれた明治神宮。この森は当時荒廃していた土地を開発して造られた人工的なものです。今では東京都内を代表する神社となり、緑豊かなパワースポットとして有名な明治神宮ですが、その裏には人々の影なる努力がありました。 大正4年、神社にふさわしい森を造ろうと「明治神宮造営局」が発足。前述した森の第一人者らによって構成され、自然状態に近い森を目指した計画がスタートします。彼らは様々な種類の木々を植えることで、100年後も続く森を目指しました。まず、第一段階として在来樹種のアカマツやクロマツ、全国から献木された100万本もの木々の中でも大きなものが選ばれ、植えられました。その木々の間には、成長の早いヒノキやサワラ、スギなどを植えることで、より密度の高い森を造ります。このほかにも、カシやシイ、クスノキなどを植林。アカマツやクロマツが枯れれば、ヒノキなどが主木となり、カシやクスノキが成長するといった、自然のサイクルを作りあげました。こうして、木々が自ら世代交代を行う「天然林相」を実現することで、100年後も続く、都内有数の森林が完成に近づいていきました。 計画は順調に進んでいるようにみえましたが、当時の総理大臣、大隈重信は「明治神宮の杜を薮にするのか、薮はよろしくない、当然杉にするべきだ」と反論します。しかし、この土地は保水力に乏しく、成長するのにたくさんの水が必要なスギを植えるのは、非常に困難でした。大隈を納得させるべく、また当初の目標「100年後も続く森」を実現すべく、明治神宮造営局の面々は研究に研究を重ねました。その結果大隈を説得することに成功し、明治神宮の杜が完成しました。 現在、明治神宮には234種、100,000本もの木々が植えられています。この森では絶滅の危機に瀕している動物が生存しているほか、日本で初めて「ジングウウスマルヒメバチ」が発見されました。
14.jul 2020
日本が誇る伝統工芸品まとめ【関東地方編】 日本には数多くの「伝統工芸品」があり、その数は1,000を超えています。中には国の認定を受けているものもあり、歴史的に貴重なものばかりです。日本のものづくりの原点ともいえる伝統工芸品。今回は、贈り物やお土産にもぴったりな、関東地方に根付く伝統工芸品、笠間焼・烏山和紙・高崎だるま・房州うちわ・小川和紙・江戸切子・箱根寄木細工を紹介します。伝統工芸品とは 長年継承されてきた技術を用いて作られたもので、主に日用品として使用されてきた伝統工芸品。中でも、100年以上の歴史を持つことや多くの工程を手作業で行うなど、国の指定する五つの要件を満たした工芸品は「伝統的工芸品」として認定を受けます。現在、日本にある伝統的工芸品の数は230品目を数えます。 日本の伝統工芸品一覧はこちら [日本の伝統工芸品一覧&8つの地方別で徹底解説!【完全保存版】](https://thegate12.com/jp/article/335){target='_blank'}{target='_blank'}茨城県の伝統工芸品 笠間焼 <amp-img width="1000px" height="666px" src="https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/thegate/2019/06/17/18/14/50/Kasama-yaki.jpg" layout="responsive" alt="笠間焼の器"></amp-img> <small>茨城県の伝統工芸品 笠間焼の器</small> 茨城県笠間市に根付き、伝統的工芸品の認定を受けている「笠間焼」。同じく笠間市にある笠間稲荷神社の参拝みやげとして親しまれていました。 笠間焼が誕生したのは江戸時代中期。箱田村(現在の笠間市)の久野半右衛門が、信楽焼の職人・長右衛門の指導で焼き物を始めたのが始まりです。 その後も藩の奨励を受けながら繁栄し、明治時代には19の窯元が笠間にあり、陶器の産地として全国に知られていました。戦後、プラスチック製品の登場によって一時は衰退してしまう笠間焼。しかし、1950年に設立された茨城県窯業指導所にて、粘土の研究や陶工の養成などに力を入れ、再び笠間焼は活気付きます。 また、これまで厨房用の粗陶器を作っていましたが、戦後は工芸陶器に方針転換をしたことも、笠間焼が繁栄を取り戻した要因です。 <amp-img width="1000px" height="666px" src="https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/thegate/2019/06/17/18/19/21/Kasama-yaki-Potter's-wheel.jpg" layout="responsive" alt="笠間焼作りの様子"></amp-img> <small>笠間焼の製作工程</small> 完成までに、主に11の工程がある笠間焼。最初は粘土の掘り出しから始まり、仕上げの滑らかにする工程まで、熟練の職人が丹精込めて作り上げます。 そんな笠間焼ですが、「特徴がないのが笠間焼の特徴」といわれるほど、自由な作風が特徴。伝統や格式などに縛られることなく、各陶芸家たちが個性を存分に表現しているのが笠間焼の魅力です。現在の笠間焼は、インテリア用品やオブジェなどに多く用いられています。
7.nov 2018