東京観光に欠かせないエリア、渋谷。最新のカルチャーが日々発信される渋谷の街で「本格的な甲冑を着る」武将コスプレが体験できるスポットがあります。
この記事では、話題のスポット「サムライアーマーフォトスタジオ」の街中撮影体験をレポートします。名武将たちが身につけたモデルの甲冑を身にまとい、渋谷の街を練り歩くというユニークな体験は、歴史好きや武将好きの人にはもちろん、東京観光の思い出を作りたい人にもおすすめ。
SNS映え間違いなしの一枚を求め、いざ出陣です!
甲冑体験ができる「サムライアーマーフォトスタジオ」
サムライアーマーフォトスタジオの甲冑体験に出発
はじめに足を運んだのは、渋谷駅から徒歩約10分の場所にある「サムライアーマーフォトスタジオ」。アーマー(armor, armour)とは英語で「甲冑」のことで、実際に武将たちが着ていたモデルの鎧を着用し、本格的な撮影体験ができちゃうんです。
甲冑体験 サムライアーマーフォトスタジオの内観
お店があるのはビルの一角。武将コスプレで使う甲冑のレンタルスペース兼撮影スタジオとなっています。
店舗に入ると、すぐに受付があり、手前には個室の着替えスペース、奥には撮影セット、そして中央には、甲冑や装備品が並ぶ大部屋。
本格的な甲冑たち
サムライアーマーフォトスタジオが扱うのは、職人の手によって制作されたこだわりの甲冑。精巧で本格的な作りから、映画の撮影やテレビドラマ、歴史ドキュメンタリーの撮影などで使われることも多いのだそう。
戦国武将になりきり!甲冑体験に挑戦してみよう
この日筆者が挑戦したのは「渋谷街中撮影コース」。
甲冑の着付け後、スタジオで撮影する基本の「甲冑体験撮影コース」に加え、渋谷の街中へと繰り出し、観光名所でもプロカメラマンによる撮影をしてくれるという体験コースです。渋谷の街中を背景に、現代に突然タイムスリップしてきた武将というユニークな設定で撮影を楽しめちゃうんです。東京観光で、一生の思い出に残る写真となること間違いなしです。
【体験コース詳細】
■渋谷街中撮影コース / 所要時間:約2時間
・着付師による甲冑の着付け
・店内のオリジナルセットでの撮影(約2ポーズ・10カット)
・渋谷の街中での撮影(約10ポーズ・170カット)
予約は公式サイトから:Samurai Armor Photo Studio
甲冑体験の渋谷街中撮影コースの様子
着用する甲冑を選ぼう
まずは自身が着用する甲冑を、全7着から1つ選びます。案内してくれたのは、サムライ姿に身を包んだ着付師の竹村さん。京都で着付けを学んだ竹村さんは、着付けだけでなく武将たちの逸話などについての知識も豊富です。
サムライ姿が似合う着付師・竹村さん
厳かな雰囲気漂う甲冑の中から、お気に入りを探していきます。豪華な装飾が散りばめられた甲冑たちは、どれも威厳を感じさせる重厚感ある作り。見ているだけで気分が引き締まります。
真田幸村モデルの甲冑
筆者が選んだのは、赤の甲冑に、鹿の角を付けた兜が特徴的な「真田幸村モデル」。同行した宮城県出身のメンバーは、仙台藩祖の「伊達政宗モデル」に。黒塗りの甲冑に三日月マークの兜がスタイリッシュで、派手な赤色と引き締まった黒色のコントラストがきっと写真に映えるでしょう。
伊達政宗モデル
「真田幸村と伊達政宗は、同じ年齢で敵同士ながらも深い絆で繋がっていたという歴史的な裏話もあるんですよ」と竹村さん。
徳川勢に付いていた伊達政宗は、敵対する豊臣側の真田幸村が討ち死にした後、真田幸村の遺児たちを匿ったのだとか(諸説あり)。伊達政宗のこの計らいにより、真田の家系は現代まで続いているという事実が残っているそうです。ふたりの思わぬ繋がりを聞いて、甲冑への愛着が湧いてきました。
武将の人物や歴史背景についての解説も
重さ約20kg!甲冑を装着していこう
それでは、選んだ甲冑を身につけていきましょう。必要なものは全てスタジオに用意されているため、特に用意するものはありません。Tシャツとズボンはレンタルでき、足袋はプレゼントとしてもらえます。
着付け中の様子
先に足袋やズボンなどを身につけたら、腕や手、下半身、すねを守る防具と甲冑の胴の部分を順に着付けていきます。
胴の部分の甲冑を装備すると、ずっしりと重く、一気に動きにくなりました。がっちりとした丈夫なつくりで、敵の攻撃から身を守るための防具、という実感が湧きます。
しっかりとした作りが特徴
兜や陣羽織を身につけると、一気に武将の風格が出てきたように感じます。鏡でチェックしながら、自分の見た目や雰囲気の変化を確認しつつ着付け体験を楽しみます。
小道具のハチマキでちょっと違う雰囲気に
兜をかぶると武将の雰囲気に
体験で着用する甲冑は兜も入れると総重量約20kgにもおよびますが、実際に着てみると想像以上に動きやすくびっくり。ちなみに、当時の合戦で使われていた甲冑は、鉄板でできていたため総重量約40kgだったそう。
スタジオ撮影に挑む!
着付けが完了したら、スタジオ内での撮影に挑戦。専属カメラマンによる約1時間ほどの撮影時間のなかで、小道具の刀や扇子、軍勢を率いる時に使っていた采配(指揮具)などを使い、さまざまなポーズをとっていきます。
小道具の刀を使った凛々しい一枚
撮影中は着付師さんが声掛けで盛り上げてくれるので、思わず天下を獲った武将気分に。ポーズや表情のポイントをいろいろと教えてくれるので、誰でもモデル気分で楽しみながら撮影に挑戦できます。
和気あいあいとした雰囲気のスタジオ撮影
勇ましい雰囲気の写真も
複数人数で参加の場合は、参加者集合での撮影も可能です。今回は2人での参加だったため、決闘シーンや睨み合っている写真など、時代劇のワンシーンのような写真を撮ることができました。
甲冑体験で決闘シーンにも挑戦
武将コスプレのまま渋谷の街に繰り出そう!
納得がいくまで約1時間、たっぷりスタジオ撮影をしたあとは「渋谷街中撮影コース」のメインイベント、甲冑姿で渋谷の街中へ!
筆者らは平日の12時ごろに出発。渋谷の街は賑わっており甲冑を着たまま街を歩くと、行き交う人に一緒に写真撮影を頼まれるなど、常に大人気です。
実際に外を歩いてみると、甲冑は重たいですが、改めてその動きやすさが分かります。当時の武将たちと同じ格好で外を出歩いていると思うと、スタジオでの撮影とは違った感動がありました。
周囲の視線にドキドキしながら道玄坂を下っていきます
足元は靴ではなく、戦国武将たちも履いていた草鞋(わらじ)を着用。足首までを藁で固定し長距離の歩行もできるように作られています。歩きやすいものの、靴よりも足裏のクッション性がずっと低いため、歩道を歩くとコンクリートの硬さが足の裏から伝わってきます。普段靴以外で歩道を歩くことがないため、新鮮な気持ち。軽快な足取りで渋谷の観光名所を巡っていきましょう!
道玄坂
スタジオから出てすぐ、商業施設が立ち並ぶ道玄坂を渋谷駅の方へと下っていきます。周りの人々からの視線が気恥ずかしいですが、せっかくの武将体験。堂々とした足取りで人通りの多い道を進み、渋谷センター街へと向かっていきましょう。
堂々とした足取りで渋谷センター街へ
渋谷センター街 / 渋谷スクランブル交差点
飲食店などの店舗が多く並び、若者が集まる「渋谷センター街」。
特に人通りの多いセンター街の入り口付近で撮影をしていきます。観光客から一緒に撮影したいと頼まれることも多く、すっかりモデル気分に。普段とは違う撮影の舞台としての渋谷は、どこか新鮮で、映画の撮影セットに忍び込んでいるようです。小道具の扇子や采配も使いつつ、ポーズを決めていきます。
人通りのタイミングを見計らって撮影
渋谷スクランブル交差点での撮影
ハチ公 / 渋谷駅前
渋谷のシンボルとして有名な銅像「忠犬ハチ公」は、待ち合わせの人や観光客が多く集まっていたため、少し遠巻きに撮影を行います。
ハチ公と記念撮影
渋谷駅前で撮影をしていると、いつの間にかギャラリーが増え、記念撮影の列を作ってしまうほどの人気ぶり。サムライ愛が強く、侍のタトゥーまで入れてしまったという海外からの旅人と一緒に写真をパチリ。最初の恥ずかしさはどこへやら、色々な国からの観光客と交流していくうちにすっかり気分は高まります。甲冑をきっかけに様々な人と交流できるなんて、貴重な体験です。
街中で大人気の武将コスプレ
海外からの観光客も大興奮
1時間近くの街中撮影中は、気分も高揚していたためラクラクと動けましたが、スタジオまでの帰路になると、徐々に甲冑が重たく感じるようになってきました。かつて武将たちは、この倍の重さの甲冑をずっと纏いながら戦っていたのだと思うと、その力強さが身に染みて感じられますね。
スタジオに到着したら、着替えを済ませ、撮影した写真をチェック。帰りには撮影した写真データがすべて入ったSDカードがプレゼントされます。専属カメラマンが撮影した本格的な写真を自宅でじっくり眺め、お気に入りを見つけてみてください。
甲冑のモデルとなった武将はどんな人?
ここからは、サムライアーマーフォトスタジオの甲冑体験で選べる全7つの甲冑のなかでも特に人気を誇る4つの甲冑と、その武将について紹介。それぞれの甲冑を比べてみると、兜の前面に付ける装飾など、武将たちの個性やデザインセンス、好みが色濃く現れていてとってもユニークなんです。甲冑は防具というだけでなく、武将たちの象徴でもあったわけです。ぜひお気に入りの武将を探してみてくださいね。
仙台藩の藩祖:伊達政宗(1567-1636年)
伊達政宗の甲冑
戦国武将の中でも絶大な人気を誇るのが「独眼竜」の異名を持つ伊達政宗(1567-1636)。
安土桃山、江戸時代初期に活躍した武将で、仙台藩(現在の宮城県仙台市)の藩祖です。政宗は1600年の関ヶ原の戦いには徳川方として上杉景勝と戦い、その後、仙台藩 62万石の基礎を築きました。大坂の陣にも徳川方として参戦し、徳川秀忠・家光からの信頼を得たといわれています。
甲冑はスタイリッシュな黒塗り。一般的に武将の袴は華やかなものが多いですが、政宗は袴も黒にしていたという徹底ぶり。そして、伊達政宗と言ってイメージされるのは、やはり大きな弦月の前立てをつけた黒兜。軍旗である日の丸の旗に合わせて、前立てを月としていたそうです。
伊達政宗はこのように、着用するものにも独自のこだわりをもっていました。「しゃれた」「粋な」「豪華な」などの意味を持つ「伊達者」という言葉は、伊達政宗が由来といわれています。
甲冑を着用するなら欠かせないのが、眼帯。天然痘により片目を失ったといわれる政宗は、歴史的には眼帯をつけていた資料はないものの、映画やドラマでの眼帯姿が勇ましく、伊達政宗の定番のイメージとなっています。甲冑体験では撮影で眼帯も身につけられますよ。
戦国時代の英雄:真田幸村(1567-1615年)
真田幸村の甲冑
戦国時代の英雄として名を馳せた真田幸村(1569-1615)。安土桃山時代末期から、江戸時代初期に活躍した武将です。
真田幸村の甲冑は、全て赤一色で統一した「赤備え(あかぞなえ)」。兜には大きな鹿の角が付けられ、真田家の家紋である六文銭の飾りが施されています。六文銭とは、死後、極楽浄土までの道のりでお金に困ることのないよう棺におさめる冥銭で、江戸時代の硬貨が6枚揃ったものです。
大坂夏の陣では、16万人にのぼる徳川勢に突撃して本陣まで攻め込んだ幸村。当時の活躍を賞賛し、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と呼ばれています。三度に渡って家康の本陣に切り込んだことで、家康本人は何度も自害を覚悟したそう。十文字槍の達人だったということもあり、幸村は自ら先陣を切って相手陣営に乗り込んでいきました。
幸村は、伊達政宗と同じ歳であったことから、友人関係などの特別な繋がりがあったのではとされる説があります。また、幸村の死後、敵対関係の伊達が遺族を匿ったことから、密約を交わしていたのではないかなどの噂も囁かれているそうです。
福岡藩の藩祖:黒田長政(1568-1623年)
黒田長政の甲冑
安土桃山時代から江戸時代にかけて登場した黒田長政(1568-1623)は、戦国時代の名軍師・黒田官兵衛の息子です。甲冑体験で着ることができる長政の兜は、両脇に金箔押の大水牛の脇立があるのが特徴。正面には日輪の前立てを添え、黒と金のコントラストが印象的です。長政は、大水牛の脇立がある兜がお気に入りで、大水牛の兜を複数所持していたそう。
武闘派武将としてのほか、外交的な面でも活躍した長政。幼少の頃は織田信長の人質として育ち、のちに豊臣秀吉について、父・官兵衛とともに各地に従軍しました。父が隠居した後は、朝鮮出兵・賤ヶ岳の戦いなど数々の戦功を挙げます。関ヶ原の戦いでは徳川勢として参加。その功績により筑前国(現在の福岡県北西部)を与えられ、その後福岡藩の初代藩主に就任した人物です。
大出世で天下統一:豊臣秀吉 (1536-1598年)
豊臣秀吉の甲冑
世界でも類を見ない大出世を成し遂げ、天下統一をした人物として知られる豊臣秀吉(1536-1598)。安土桃山時代の武将ですが、元は農家の生まれで下層階級出身でした。信長の歩兵として仕えますが、信長に尽くす姿が気に入られ、次第に出世をしていきます。
秀吉は、1582年に起きた本能寺の変で信長が明智光秀の謀反により自害すると、 山崎の戦いで明智光秀をやぶり、天下統一の道を歩きだします。その後、大阪城を築き、関白・太政大臣(朝廷の最高職)の位を得て豊臣秀吉と名乗りました。そして1590年、信長の意思を継いで日本で初の天下統一(日本全国を支配下に置き治めること)を果たします。
秀吉が所有していた甲冑の多くは、派手なデザインと色使いが用いられ、当時でも際立つ存在であったそう。サムライアーマーフォトスタジオで扱う甲冑も、派手好きの秀吉らしく金色をベースにさまざまな色を取り入れた装飾的な仕上がりとなっています。
甲冑を身にまとって武将気分を堪能してみよう!
日本の名だたる武将たちのコスプレを着て撮影体験ができるなんて、日本のサムライ文化や武将たちのファンにはたまらないですよね。友人や家族、恋人との素敵な思い出と一緒にほかではできない甲冑体験を通して、特別な写真を残しませんか?
道玄坂の交差点での一枚