北野天満宮とは
北野天満宮の見どころ
北野天満宮の七不思議
北野天満宮の年中行事
北野天満宮の基本情報
北野天満宮周辺のおすすめスポット
まとめ

全国に約12,000社存在する天満宮、天神社の総本社である「北野天満宮」。京都府京都市の洛中エリアにあり、学問の神様である菅原道真を祀った天満宮です。

春には梅、夏には新緑、秋には紅葉、冬には雪景色と四季折々の魅力に溢れる北野天満宮。受験シーズンになると学業成就を願って多くの受験生が参拝する京都指折りの観光スポットです。

今回は北野天満宮の歴史と見どころをあますことなく紹介します。

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神社・寺

北野天満宮とは

空と梅のコントラストが印象的な北野天満宮本殿

空と梅のコントラストが印象的な北野天満宮本殿
京都府京都市洛中エリアに位置する「北野天満宮」。947年に建立された、菅原道真を御祭神としている天満宮です。

菅原道真は非常に勤勉だったことから学問の神様として崇められているため、北野天満宮は多くの受験生が訪れる学問成就のパワースポット。天満宮、天神社は全国に約12,000社あるといわれており、その総本社として数ある京都の寺社の中でも高い人気を誇っています。

四季折々の表情を見せ、毎月25日に行われる「天神さんの日」をはじめとする多くの年中行事が開催される格式高い神社です。

北野天満宮の歴史

華やかに梅が咲き誇る北野天満宮

華やかに梅が咲き誇る北野天満宮
北野天満宮は平安時代である947年、都の北西に位置する北野の地に建立されました。それ以来、朝廷から認められ、皇室の祟敬を受けるなど、特別な神社の一つとして栄えてきました。

では北野天満宮はどのようにして建立されることとなったのか。御祭神である菅原道真との関係についても紹介します。

神聖な土地「北野」

朱が印象的な地主社

朱が印象的な地主社
実は北野天満宮建立以前から北野は「聖域」として信仰されている土地でした。都の北西(乾)にあたる位置は風水において重要な地。建立以前には天地全ての神を祀った「地主社」が鎮座していました。

また、夜になると北野の上空には北極星が輝きます。太陽・月・星の運行が天皇・国家・国民の平安に関わるという「三辰信仰」に基づき、天のエネルギーが満ちる聖地として古くから信仰されていたそう。

建立のきっかけは菅原道真の呪い?

三大怨霊としての側面を持つ菅原道真

三大怨霊としての側面を持つ菅原道真
北野天満宮が建立されたきっかけは菅原道真の怨霊の怒りを鎮めるためであったといわれています。

菅原道真は幼少の頃から勉学に励み、弓の技術も卓越しているという文武両面で傑出した人物でした。文学を極め、政治においても遣唐使を停止するなどの実績を残し、右大臣に就任。

菅原道真が左遷された太宰府

菅原道真が左遷された太宰府
順風満帆に思えた矢先、左大臣藤原時平の政略に陥り、無実の罪で太宰府へと左遷させられてしまいます。道真は太宰府では衣食もままならないほど貧しい生活を強いられ、京都に戻ることなく生涯を終えることとなります。

菅原道真の怨霊

菅原道真の怨霊
そして道真の死後、権力を握った藤原時平が39歳で突如として亡くなってしまいます。また、落雷による死傷者が相次ぎ、道真の左遷を決定した醍醐天皇とその皇太子までもが病で亡くなってしまいました。

これらの出来事は道真の怨霊が引き起こしたものであるとされ、その魂を鎮めるべく北野天満宮が建立されることとなりました。

「学問の神様」として崇拝されるまで

天神様として祀られる菅原道真の像

天神様として祀られる菅原道真の像
建立後には藤原氏によって大規模な社殿の造営があり、987年には一条天皇より「北野天満天神」という神号が認められました。1004年には一条天皇が行幸し、国や民を守る神として崇拝されていました。

そして江戸時代になると「寺子屋」が普及し、そこで御祭神である菅原道真の姿絵が掲げられるようになり、学問の神様として信仰されるようになったそう。今では学問上達の他にも、就職成就や安産などのご利益も得ることができます。

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神社・寺

北野天満宮の見どころ

約1100年の歴史を持つ北野天満宮。広大な敷地内には多くの見どころが存在します。菅原道真との深い関わりを感じることができるスポットが満載です。

国宝 社殿

建物が重なり合うような複雑な機構が特徴の社殿

建物が重なり合うような複雑な機構が特徴の社殿
桧皮葺(ひわだぶき)の屋根を持つ社殿はいくつもの建物が繋がっている複雑な構造が特徴。八棟造(やつむねづくり)や権現造り(ごんげんづくり)と呼ばれており、歴史を伝える貴重な機構として国宝に指定されています。

社殿は当時のものではなく、歴史の中で何度も火災の被害を受けています。現在の社殿は豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼が1607年に造営したもの。豪華な装飾からは桃山文化の特徴が見られ、歴史の混ざり合いを目で見ることができる貴重な建築物となっています。

史跡 御土居のもみじ苑(しせき おどいのもみじえん)

紅葉で紅く染まる御土居のもみじ苑

紅葉で紅く染まる御土居のもみじ苑
青もみじ・紅葉の時期にのみ公開される「史跡御土居のもみじ苑」。約350本のもみじが並ぶ中に朱い鶯橋(うぐいすばし)がインパクトを放つ圧巻の絶景です。

緑と朱のコントラストが美しい夏の御土居のもみじ苑

緑と朱のコントラストが美しい夏の御土居のもみじ苑
青もみじは5月上旬〜6月下旬まで公開されており、青々としたもみじの力強さと鶯橋の朱が美しいコントラストを生み出す絶景です。

照らされて幻想的な雰囲気を醸し出す秋の御土居のもみじ苑

照らされて幻想的な雰囲気を醸し出す秋の御土居のもみじ苑
紅葉は10月下旬〜12月上旬まで公開されており、京都でも有数の紅葉スポットです。錦の絨毯に足を踏み入れ、見上げると頭上一面が紅く染まる景色はまさに格別。ライトアップは11月中旬〜12月上旬までなので要注意です。

入苑時間:9時〜16時 ライトアップは日没〜20時
入苑料:大人 1,000円 こども 500円
   (茶菓子付き)

菅原道真が愛した梅と北野天満宮

菅原道真が愛した梅と北野天満宮
「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな」

訳:春風が吹いたら、匂いを(京から太宰府まで)届けておくれ 梅の花よ。主人(菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。

この和歌を詠んだ菅原道真は梅をこよなく愛していた人物だったといわれています。その影響もあり、北野天満宮は京都内でも有数の梅の名所。

さまざまな種類の梅が咲き乱れる北野天満宮の梅苑

さまざまな種類の梅が咲き乱れる北野天満宮の梅苑
50種、約1,500本もの梅が咲き乱れ、春の香りで境内が満たされます。開花が早い梅は正月明けごろから花を咲かせ、さまざまな品種が咲き繋ぐことで3月末ごろまで楽しむことができます。

また、2月上旬ごろから梅苑を公開。梅の観賞だけでなく、茶屋でお茶とお菓子を楽しむことができるので訪れた際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

公開時間:9時〜16時まで
入場料:大人(中学生以上) 1,000円 こども 500円
 (茶菓子付き)

なで牛

境内のあちらこちらにいる臥牛

境内のあちらこちらにいる臥牛
北野天満宮の境内にはたくさんの牛の像が存在します。この牛の像のことを「臥牛(がぎゅう)」と呼び、全ての牛が寝そべっているのが特徴。

これは菅原道真が丑年生まれであった、太宰府で生涯を終えた道真の遺体を運んでいる際、牛車の牛が座り込んで動かなくなったため、やむをえず付近の安楽寺に埋葬したなどの牛に関連する故事に由来しています。

長年なでられて表面がツルツルしているなで牛

長年なでられて表面がツルツルしているなで牛
牛の像はなでるとさまざまなご利益があるといわれており、頭をなでると頭が良くなり、体の悪いところをなでるとそこが治るそう。受験生にも人気のスポットで多くの牛がたくさんなでられたことでツルツルになっています。

花手水(はなちょうず)

美しい花が参拝者を癒す北野天満宮の花手水

美しい花が参拝者を癒す北野天満宮の花手水
コロナ禍で一大ブームとなった花手水(はなちょうず)。北野天満宮では京都一ともいわれる大きさの花手水を見ることができます。

思わず写真を撮りたくなる北野天満宮の花手水

思わず写真を撮りたくなる北野天満宮の花手水
浮かべられた花は一週間ごとに入れ替わり、それぞれストーリーをもっているのだとか。美しい色彩を放つ花々が参拝者の心を癒す北野天満宮の「映えスポット」です。

御朱印・お守り

北野天満宮で人気の御朱印

北野天満宮で人気の御朱印(写真提供 Instagram: yurinara1213様
北野天満宮では本殿の右側にて御朱印やお守りを手に入れることができます。イベントの時期は場所が変更になる場合もあるので、あらかじめチェックしておきましょう。

学業上達・受験合格のお守りや、刀剣乱舞とコラボした御朱印などが幅広い層からの人気を集めています。絵馬や干支を模したおみくじも手に入るので訪れた際はお参りした後に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

北野天満宮の七不思議

北野天満宮には古くから七つの不思議が伝えられ、信仰されてきました。七不思議の制覇を目指して巡ってみると新たな発見ができるかも。

その一 影向松(ようごうのまつ)

建立された当時から北野天満宮を見守る影向松

建立された当時から北野天満宮を見守る影向松
北野天満宮の表参道にある大鳥居(一ノ鳥居)をくぐると右手にある一本の松が「影向松」。北野天満宮が建立された当時からあるといわれている御神木です。

立冬から立春前日までに初雪が降ると、天神さまが影向松に降臨し、詩を詠むという伝説があり、今でも初雪が降った日には硯と筆と墨をお供えして「初雪祭」の神事を行なっています。

その二 筋違いの本殿

特殊な歴史的背景を持つ北野天満宮の本殿

特殊な歴史的背景を持つ北野天満宮の本殿
一般的な神社では参道の先に立派な本殿がそびえ立っています。しかし、北野天満宮では参道の正面に構えているのは地主社。

もともと北野の地には地主神社が存在しており、後から北野天満宮が建立されたという歴史的理由から正面には地主社、正面を避けて本殿という形式になったそうです。この正面を避けた本殿のことを「筋違いの本殿」と呼びます。

その三 星欠けの三光門(ほしかけのさんこうもん)

北野天満宮のシンボル的存在である三光門

北野天満宮のシンボル的存在である三光門
本殿前には三つの門があり、その中門を「三光門」と呼びます。「三光」とは日・月・星のことを指し、門の梁の間に彫られた彫刻に由来しているそう。

しかし、日と月は確認できるものの、星の彫刻はどこにもありません。ではなぜ三光門と呼ばれているのでしょうか。

そのわけは北野天満宮が建立された平安時代、朝廷があった場所から北野天満宮を望むと、門の上に北極星が輝いていたからだそう。この言い伝えから「星欠けの三光門」と呼ばれ、今でも信仰されています。

その四 大黒天の燈篭(だいこくてんのとうろう)

受験生の運試しとして人気な大黒天の燈籠

受験生の運試しとして人気な大黒天の燈籠
三光門の少し東南にある石燈篭には大黒天が刻まれたものがあり、「大黒天の燈篭」と呼ばれています。

大黒様の口に小石を落ちないように乗せ、その小石を財布に入れて祈ることでお金に困らなくなるという運試しをすることができます。

1855年に質屋の「大黒屋」を中心とする組合から寄付されたものであるため、お金に関するご利益があるといわれてきましたが、受験生にとっても「落ちない」ということで人気の運試しとなっています。

その五 唯一の立ち牛

北野天満宮唯一の立ち姿が描かれた牛

北野天満宮唯一の立ち姿が描かれた牛
境内には多くの臥牛(寝そべった牛)の像があることで知られる北野天満宮ですが、唯一立ち姿で刻まれた牛が存在しています。

拝殿の欄間(らんま)には「唯一の立ち牛」と呼ばれる立った姿の神牛が刻まれています。立っている理由は分かっておらず、謎に包まれた立ち牛です。

その六 裏の社(うらのやしろ)

本殿の裏に構える裏の社

本殿の裏に構える裏の社
神社は前から拝むように造られるのが一般的ですが、北野天満宮の本宮には背面に「御后三柱(ごこうのみはしら)」という「裏の社」があります。

得られるご利益は菅原道真と同じく「学問成就」ですが、御祭神は異なります。裏の社の御祭神は道真の祖先。昔は本殿へお参りしたあと、必ず裏の社にも参拝していたそうです。

その七 天狗山

かつて北野天満宮に出没したといわれる烏天狗

かつて北野天満宮に出没したといわれる烏天狗
境内の北西には「天狗山」と呼ばれる小さな山があります。室町時代に描かれた北野天満宮に関する『社頭古絵図』には烏天狗(からすてんぐ)が登場し、この辺りに天狗が出没したかもしれないと想像してしまう場所になっています。

また、都の北西という神聖な土地に建てられた北野天満宮の中の北西ということもあり、特に神聖な場所として信仰されていたそうです。

北野天満宮の年中行事

ご縁日

多くの露天と人で賑わう北野天満宮の縁日

多くの露天と人で賑わう北野天満宮の縁日
毎月25日は「天神さんの日」で知られる北野天満宮の縁日。25日に開催するのは菅原道真の誕生日と命日が25日であったことに由来しています。参道には多くの露天が並び、賑わいを見せています。
灯りに照らされる北野天満宮の三光門

灯りに照らされる北野天満宮の三光門
日没から21時までは境内のライトアップが行われます。350個の石燈籠と250個の釣燈籠にあかりがともり、幻想的な雰囲気に。夜の暗闇の中に美しく照らされた国宝の社殿が浮かび上がります。

大福梅の土用干し(おおふくうめのどようぼし)

神職・巫女の手によって干される梅の実

神職・巫女の手によって干される梅の実
毎年7月下旬に行われる「大福梅の土用干し」。境内で育った梅の実は梅雨明けを受けて神職・巫女(しんしょく・みこ)総出で土用干しを行います。

並べられて干されている梅の実

並べられて干されている梅の実
6月上旬から実の採取を開始し、塩漬けされた梅の実をすのこの上に並べ、約4週間かけて乾燥。干し上がった梅の実は樽に11月下旬まで貯蔵したのち、12月13日〜12月25日まで参拝者に配布します。

御手洗祭(みたらしさい)

さまざまな色の短冊が境内に溢れる北野天満宮の御手洗祭

さまざまな色の短冊が境内に溢れる北野天満宮の御手洗祭
毎年8月上旬に行われている「御手洗祭」。七夕神事のことを指し、詩を詠んだり、農作物の生育、万民の無病息災を祈願する節句行事です。

ライトアップされて昼間とは違う雰囲気を放つ北野天満宮の御手洗祭

ライトアップされて昼間とは違う雰囲気を放つ北野天満宮の御手洗祭
境内には短冊が飾られた笹がたくさん飾られ、華やかな雰囲気を醸し出します。境内のライトアップも行われるため、多くの人で賑わう人気の行事です。

基本情報

アクセス:JR京都駅から市バスで30分程度 「北野天満宮前」下車
住所:〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町
電話番号:075-461-0005
営業時間:楼門の開閉時間 4月〜9月 5時〜18時
             10月〜3月 5時30分〜17時30分
     社務所・授与所 9時〜17時(もみじ苑ライトアップ期間中 9時〜20時)
拝観料:無料
公式サイト:北野天満宮

北野天満宮周辺のおすすめスポット

北野天満宮のある洛中エリアには訪れたい名所がたくさん。北野天満宮と併せて訪れたいスポットを紹介します。

二条城

歴史が動いた現場を体感できる二条城

歴史が動いた現場を体感できる二条城
徳川慶喜が大政奉還を行なった場所として知られる「二条城」。世界遺産にも登録されている人気の観光名所です。

国宝の「二の丸御殿」は虎、豹や桜などが描かれた障壁画や彫刻、飾金具など至る所に趣向が凝らされた豪華な作りは必見。ライトアップも有名で、色とりどりに輝く二条城は昼とは違う雰囲気を醸し出しています。

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【二条城】歴史や見どころは?大政奉還の舞台は京都の世界遺産

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二条城

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京都駅ビル

芸術的な建築が印象的な京都駅ビル

芸術的な建築が印象的な京都駅ビル
壮大な天井の建築が特徴的な大型商業施設である「京都駅ビル」。平安京の街路網をモデルとした開放感のある駅ビルです。

屋上の「大空広場」では京都の街を一望しながらゆっくり過ごせます。京都観光の休憩に立ち寄ってみたいスポットです。

ご利益と美しさを兼ね備える京都有数の神社

今回は学問の神様で知られる「北野天満宮」を紹介しました。菅原道真の怨霊を鎮めるために建立され、今では受験生が多く訪れるパワースポットとなりました。

ご利益だけでなく、春夏秋冬それぞれの美しさやライトアップも楽しめる北野天満宮を訪れてみてはいかがでしょうか。