二条城の歴史
二条城の見どころ
二条城へのアクセス
二条城周辺のおすすめスポット
まとめ

日本の歴史における大きな転換点であり、激動の時代だった幕末。江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜が大政奉還の意思を表明したことで、鎌倉時代から約700年続いた武士による政治が終わりを迎えました。

そんな大政奉還の舞台となった場所が「二条城」。日本の観光名所である京都の中でも、人気の観光スポットです。世界遺産に登録されている二条城に足を運べば、江戸時代からの歴史をあなたの肌で感じられはず。今回は、二条城の歴史や見どころを紹介します。

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神社・寺

二条城の歴史

天皇の守護を目的として築城された

二条城は徳川家康の指示で築城された

二条城は徳川家康の指示で築城された

1603年、江戸幕府初代将軍の徳川家康が二条城の築城を指示。当時天皇の住んでいた京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊にするために、二条城は築城されました。

第3代将軍家光の時代になると、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)行幸(ぎょうこう)のために二条城の大改修を実施。荘厳な二条城に天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定していることを世に知らしめました。行幸とは、天皇が外出することを指します。

二条城は大政奉還が行われた場所

二条城の二の丸御殿の大広間が大政奉還の舞台

二条城の二の丸御殿の大広間が大政奉還の舞台

家康が征夷大将軍に任命されて以来、政治の大権を天皇から預かる形で日本の統治者として君臨してきた江戸幕府。しかし幕末になると倒幕の動きが加速し、徐々に江戸幕府の権力が失われていきます。

そして1867年、第15代将軍の徳川慶喜が二条城二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明。200年以上続いた江戸幕府が終幕しました。

世界遺産に登録された二条城

恩賜元離宮二条城として世界遺産へ

恩賜元離宮二条城として世界遺産へ

歴史上の大きな転換点である大政奉還の舞台となった二条城。1940年の2月11日に「恩賜元離宮二条城(おんしもとりきゅうにじょうじょう)」として一般公開が始まりました。二条城は「古都京都の文化財」として1994年に世界文化遺産へ登録。現在は日本100名城にも登録されるなど、人気の観光スポットとして国内外から多くの観光客が訪れています。

また、織田信長が建てた二条城もあるのをご存知ですか?信長が建てたとされているのは「旧二条城」。世界遺産に登録されている二条城とは違うものです。現在は「旧二条城跡」として石碑が存在。旧二条城には、現在の京都御苑の敷地も一部含まれていたそうです。

二条城の見どころ

世界遺産に登録され、日本100名城としても人気の二条城。国宝や多くの重要文化財が存在し、見逃せないスポットばかりです。二条城を訪れる際には、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

二の丸御殿

国宝に指定されている二条城の二の丸御殿

国宝に指定されている二条城の二の丸御殿

国宝に指定されている二条城の「二の丸御殿」。東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の順に6棟が立ち並ぶ御殿です。内部には33室の部屋と800畳余りの広さを誇る空間が存在。代表的な「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹などの障壁画が飾られています。

城の住まいの部分である御殿が現存するのは、高知城と掛川城、川越城。二条城の4つ。中でも御殿が国宝に指定されているのは二条城だけです。二条城の二の丸御殿は、江戸初期の住宅様式である書院造の代表例。日本の建築史上で重要な遺構とされています。

また、二の丸御殿内の廊下は有名な「鶯張り(うぐいすばり)」。歩く度に音が鳴るため、侵入者の存在にいち早く気づけるという工夫が施されています。二の丸御殿を訪れた際は、廊下の音に耳を傾けてみましょう。

東大手門

二条城の入り口「東大手門」

二条城の入り口「東大手門」

二条城の正門「東大手門(ひがしおおてもん)」。重要文化財に指定されている門で、現存する門は1662年頃に建築されたと考えられています。

建築当時は現在と同じように2階建ての櫓門(やぐらもん)でしたが、後水尾天皇の行幸に合わせて単層の高麗門(こうらいもん)へ改修。天皇を2階から見下ろさないようにという配慮から、行幸する5日間のために門を造り替えたそうです。

唐門

豪華絢爛な飾りが目をひく唐門

豪華絢爛な飾りが目をひく唐門

東大手門をくぐってすぐ左手に見える「唐門(からもん)」。二条城二の丸御殿の正門です。長寿を意味する「松竹梅に鶴」や聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛(ごうかけんらん)な彫刻が門を装飾。2013年の修復工事により、昔の姿を取り戻しました。

東南隅櫓

二条城の見張り台として建てられた東南隅櫓

二条城の見張り台として建てられた東南隅櫓

二条城の南東部分に位置する「東南隅櫓(とうなんすみやぐら)」。重要文化財に指定されています。見る角度によっては、お堀に映った隅櫓を目にすることもできるのだとか。

元々は外堀の四隅に見張り台として隅櫓が建てられ、武器庫として使用されていました。しかし、1788年の大火によって多くの櫓が焼失。今では東南隅櫓と西南隅櫓の2つだけが残っています。

本丸御殿

二条城の本丸御殿は当時では珍しい3階建てだった

二条城の本丸御殿は当時では珍しい3階建てだった

二条城の内堀に囲まれた、広さ約20,000㎡の本丸にある「本丸御殿」。元々は京都御所にあった桂宮御殿を、1893年に移築したものです。二条城の本丸御殿は、当時としては珍しい3階建ての建物。本丸御殿の南側にある本丸庭園では、四季折々の風景を目にすることができます。

天守閣跡

二条城の天守閣跡からは本丸の庭園や京都の街並みを眺められる

二条城の天守閣跡からは本丸の庭園や京都の街並みを眺められる

本丸の南西部にある「天守閣跡」。上に登ることが可能で、本丸御殿や庭園、京都の街並みを見渡すことができます。かつては伏見城から移築された5重6階の天守閣があったものの、1750年の落雷により焼失。その後は再建されることなく、現在は石垣だけが残されています。

二条城の基本情報

交通アクセス:JR京都駅から地下鉄烏丸線【烏丸御池駅】で乗り換え、地下鉄東西線【二条城前駅】で下車徒歩すぐ
住所:〒604-8301 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
電話番号:075-841-0096
営業時間:開城時間 8:45〜16:00(17:00閉城)
入城料金:入城料のみ:620円 入城料と二の丸御殿観覧料:1,030円 展示収蔵館観覧料:200円
公式サイト:二条城

二条城周辺のおすすめスポット

江戸幕府の栄枯盛衰や日本の歴史を見守ってきた二条城。京都でも有名の観光スポットですが、二条城の他にも併せて訪れたいスポットが存在します。

壬生寺

新撰組と関わりの深い壬生寺

新撰組と関わりの深い壬生寺

991年に創建された「壬生寺(みぶでら)」。幕府擁護のために結成され、幕末に活躍した新撰組ゆかりの地です。かつては、境内を新撰組の兵法調練場として壬生寺を使用。境内にある「壬生塚」には、近藤勇をはじめとした11人の新撰組隊士が祀(まつ)られています。

御金神社

御金神社では金運などのお金にまつわるご利益がいただける

御金神社では金運などのお金にまつわるご利益がいただける

金属と鉱物の守り神である「金山毘古命(かなやまひこのみこと)」を主祭神として祀る「御金神社(みかねじんじゃ)」。金運や招福、宝石にまつわるご利益がいただけるとして人気のスポットです。

入り口で待ち構えているのは金色に輝く鳥居。屋外でも色褪せることのない特殊な塗料が使用され、多くの参拝者を出迎えています。

六角堂

聖徳太子が建てたと言われている六角堂

聖徳太子が建てたと言われている六角堂

587年、聖徳太子によって創建されたと伝えれらる「六角堂」。正式名称は紫雲山頂法寺ですが、本堂が六角形であることから六角堂として親しまれています。六角堂に祀られているのは「如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)」。長寿や安産、魔除けのご利益が得られると言われています。

六角堂の仏前に花を供える中で、さまざまな工夫がなされて室町時代に成立したのが「いけばな」。六角堂は華道発祥の地としても人気です。

江戸幕府を全てを見届けてきた二条城

今回は、大政奉還の舞台となった二条城を紹介しました。江戸幕府の成立から滅亡までを知る二条城。現代の日本文明誕生を語るうえで、欠かすことのできないスポットです。

世界遺産に登録されている二条城は、国内外を問わず多くの観光客から人気。鶯張りが有名な国宝の二の丸御殿をはじめ、二条城には数多くの見どころが存在します。実際に二条城に足を運び、江戸時代からの歴史を感じてみてはいかがでしょうか。