軍艦島の歴史
軍艦島の見どころ
ドルフィン桟橋
30号棟・31号棟アパート
総合事務所
第二竪坑坑口桟橋跡
貯炭ベルトコンベアー
端島神社
端島小中学校
軍艦島に関する施設
軍艦島史料館
軍艦島デジタルミュージアム
軍艦島ツアーを催行する5つの船会社
《1》軍艦島クルーズ
《2》軍艦島コンシェルジュ
《3》やまさ海運
《4》シーマン商会
《5》第七ゑびす丸
軍艦島のアクセス
軍艦島の周辺情報

長崎県南西の沖合にある端島、またの名を「軍艦島」。面積は63,000㎡、東京ドームの約1.4倍で、その見た目が戦艦「土佐」に似ていることからこの愛称がつきました。1900年代初頭から半ばにかけて、軍艦島は日本有数の炭鉱都市として栄え、一時期は世界最大の人口密度を誇るほどにまで成長しました。

現在は島全体が廃墟となってしまいましたが、明治日本の産業革命遺産として、当時の生活の名残や近代化による産業発展の様子を各所に見ることができると人気を博しています。

今回は、2015年に世界文化遺産にも登録された「軍艦島」の歴史と魅力を紹介します。

軍艦島の歴史

炭鉱現場から地上へ戻る人々

坑道を進む炭鉱マン(写真提供:長崎県観光連盟)

端島(通称、軍艦島)は長崎港から約18kmの場所に位置しています。1800年代の後半、軍艦島沿岸で石炭が見つかったことをきっかけに島の発展が始まります。炭鉱で採炭される石炭は八幡製鐵所の製鉄用原料炭として供給し、日本の近代化を支え続けてきました。

軍艦島の町を行き来する人々

軍艦島の日常(写真提供:長崎県観光連盟)

幅160m、長さ480mという小さな島でしたが、炭鉱産業の繁栄と共に家族で移り住む人も増え、人口が急増しました。1959年には、総人口5千259人を記録。人口密度は世界1位を誇り、この記録は未だ破られていません。

その後、次々と高層住宅や学校、病院、さらには映画館やプールといった娯楽施設、神社なども建設されました。そして、炭鉱やコンクリート式の建造物が立ち並ぶその様が戦艦「土佐」に似ていたことから、「軍艦島」という名前がつきました。

軍艦島の床屋の店内

軍艦島には床屋さんも (写真提供:長崎県観光連盟)

それだけ人が密集していたとはいえ、軍艦島の島民は不自由なく暮らしていたとされています。その一方で、炭鉱での仕事は非常に過酷で、戦争による捕虜などが重労働を課せられていたという事実も残っています。

現在も島に残るアパートなどの廃墟

今も残る廃墟

1970年代に入ってから、国は発電エネルギー材料を石炭から石油に転換する政策をとります。そのため炭鉱産業は徐々に衰退し、1974年の春完全に閉山され、人々は島を去っていきました。

軍艦島は2009年を機に一般開放され、その6年後世界遺産にも登録されました。今では日本の近代化の象徴として、人気の観光施設となっています。

軍艦島の見どころ

ドルフィン桟橋

ドルフィン桟橋と廃墟

ドルフィン桟橋

軍艦島の玄関となる停泊場です。軍艦島は波が非常に荒いため常設の港を作るのが難しく、人々が暮らしていた当時も波に強いドルフィン型の桟橋が設けられていました。現在のものは昭和37年に完成した第3代です。

30号棟・31号棟アパート

アパートとの廃墟

かつては町一番の賑わいをみせたアパート
1916年に完成した「30号棟アパート」は、日本最古の鉄筋コンクリート製の高層マンションで、鉱山で働く人々のために建てられました。日本初のコンクリート製建築物ということもあり、非常に価値の高いものとして保存されています。

31号棟アパートも同じく高層マンションでしたが、美容室や郵便局といった公共施設も中に作られていました。

総合事務所

総合事務所の廃墟

総合事務所

赤レンガ造りの「総合事務所」は島、そして鉱山のコントロールセンターとして機能していた場所です。当時、子どもたちは立ち入り禁止とされていました。

第二竪坑坑口桟橋跡

炭鉱の主要現場だった第二竪坑坑口桟橋跡

第二竪坑坑口桟橋跡
軍艦島の炭鉱業の中心地跡です。ほとんどの施設が崩壊してしまっていますが、今もその面影を見ることができます。

貯炭ベルトコンベアー

炭を運んだベルトコンベアー跡

貯炭ベルトコンベアー
発掘された石炭を運搬するコンベアーです。現在は柱部分が残っており、この上をベルトコンベアーが流れていました。

端島神社

端島神社の鳥居

廃れてもなおたつ鳥居
「端島神社」は地下600mという過酷な環境で働く人々が日々の安全を祈る大切な場所でした。本殿や拝殿は倒壊してしまっていますが、祠だけは現在も残っています。

端島小中学校

端島小中学校跡

端島小中学校
7階建ての「端島小中学校」は戦後の1958年に建てられました。狭い敷地に高層アパートが林立する軍艦島は日当たりが非常に悪かったため窓は大きく、また中庭も作られました。

軍艦島に関する施設

そのほかの軍艦島に関する施設をご紹介します。

軍艦島史料館

軍艦島資料館のエントランス

軍艦島資料館

平成28年にリニューアルオープンされた「軍艦島史料館」では、島の歴史や炭鉱での作業についてなど、様々な資料やパネル展示を見ることができます。そのほかにも、明治時代における日本・軍艦島の産業革命に関する映像も必見です。

●住所:長崎県長崎市野母町562-1(長崎のもざき恐竜パーク内)
●公式サイト:軍艦島資料館|長崎のもざき恐竜パーク

軍艦島デジタルミュージアム

「軍艦島デジタルミュージアム」では、最新技術を駆使した今までにない体験をすることができます。VRで再現した炭鉱での作業体験ゲームや360°広がる映像資料をご覧になれます。

●公式サイト:軍艦島デジタルミュージアム

軍艦島ツアーを催行する5つの船会社

軍艦島に行くには旅行会社のツアーに参加しなくてはなりません。島の歴史的重要性はもちろん、険しい波が打ち寄せる軍艦島へのツアーは徹底して管理されています。専用の船に乗船して、軍艦島を周遊するものや、上陸して島内を見学するツアーがあります。

現在軍艦島へのツアーを催行する船会社は5社あります。

※軍艦島に上陸するツアーの場合、ツアー料金に加えて長崎市施設使用料・軍艦島上陸料の310円(小学生は150円)がかかります
※軍艦島周辺は波が激しいことで知られており、年間で約100日も運航が中止になってしまいます。ツアーを利用する際はその内容や規約を充分に確認した上で予約をするようにしてください

《1》軍艦島クルーズ

5つのツアーの中で最も安いのが「軍艦島クルーズ株式会社」のツアーです。ガイドは全て日本語ではありますが、島の歴史について深いところまで教えてくれます。

詳しくはこちら:軍艦島クルーズ株式会社

《2》軍艦島コンシェルジュ

「軍艦島コンシェルジュ」のツアーでは、実際に軍艦島に住んでいた方がガイドとしてお話ししてくれます。全て日本語でのツアーですが、英語の音声ガイドも用意されています。
詳しくはこちら:軍艦島コンシェルジュ

《3》やまさ海運

やまさ海運では「軍艦島上陸周遊クルーズ」と「軍艦島周遊クルーズ」を催行。荒波にも耐えられる大きな船を使っていますが、時には揺れることもあるのでご注意ください。ツアーはほとんど日本語で行われますが、時折英語での説明もあります。
詳しくはこちら:やまさ海運

《4》シーマン商会

シーマン商会でも「上陸+周遊コース」と「周遊コース」の2つのツアーを催行。参加者には記念品が贈られます。かつて軍艦島の島民だった坂本さんをはじめとするスタッフのガイドには定評があります。
詳しくはこちら:シーマン商会

《5》第七ゑびす丸

「第七ゑびす丸」は軍艦島周辺での海釣りができる釣り船です。もう一隻の船「アイランド号」は軍艦島クルーズを催行する船。アイランド号のガイドさんは元軍艦島の島民だった方。当時の貴重な話を聞くことができます。上記4つの船会社は全て長崎港から出発しますが、こちらは野母崎港から出港します。
詳しくはこちら:第七ゑびす丸

軍艦島へのアクセス

多くの観光客が長崎港から軍艦島を目指します。

長崎駅からのアクセス

長崎駅前駅まで徒歩で移動
路面電車 / 正覚寺下行
→【大波止】→ 徒歩(約5分)

佐世保駅からのアクセス

西肥バス 長崎〜佐世保 / 中央橋方面
→【長崎駅】- 長崎駅前駅まで徒歩で移動
路面電車 / 正覚寺下行
→【大波止】→ 徒歩(約5分)

長崎空港からのアクセス

長崎バス / 長崎空港線エアポートライナー・長崎駅前行き
→【長崎駅】
路面電車 / 正覚寺下行
→【大波止】→ 徒歩(約5分)

博多駅からのアクセス

JR特急かもめ / 長崎方面
→【長崎駅】
路面電車 / 正覚寺下行
→【大波止】→ 徒歩(約5分)

軍艦島の周辺情報