福島県西部の会津地方に位置する「大内宿」。かつて会津から江戸へ向かうための重要な宿場町として栄えていました。
参勤交代の時代から150年以上経った今では、観光客や歴史見学で訪れる学生など多くの人々で賑わうスポットとなっています。伝統的な茅葺き屋根の民家がずらりと立ち並び、まるで江戸時代にタイムスリップしたような感覚を味わえます。
今回は、大内宿が今の姿に至るまでの歴史や町並み保存の取り組みをはじめ、グルメやイベントなど大内宿の魅力を紹介します。
大内宿とは?なんて読むの?
大内宿(おおうちじゅく)
大内宿(おおうちじゅく)は、会津と日光を結ぶ「会津西街道」沿いに整備された宿場町です。福島県南会津地方にあり、現在は県内有数の観光地として親しまれています。参勤交代が行われていた時代、会津藩が江戸へ参勤する際の重要な拠点となっていました。
会津西街道とは
会津城下(現在の福島県会津若松市)から下野今市(現在の栃木県日光市今市)の約130㎞にわたって続く「会津西街道」。別名「下野(しもつけ)街道」や「南山通り」とも呼ばれ、会津藩主や、会津藩と友好関係にあった米沢藩や新発田(しばた)藩の藩主が参勤交代の際に通行する街道として、重要な役割を果たしていました。
大名行列の様子
【大内宿 基本情報】
住所:福島県南会津郡下郷町大字大内
TEL:0241-68-3611
公式サイト:奥会津の観光スポット「大内宿」|大内宿観光協会
また、大内宿のある福島県下郷町ではライブカメラの映像の配信を行なっています。
リンクはこちら→下郷町ライブカメラ
宿場町とは
宿場町とは、江戸と日本各地を結ぶ街道沿いに設けられた「宿場」を中心に発展した町のこと。宿泊施設や飲食店などが集まり、疲れを癒す旅人で賑わいました。
当時の宿場町の様子
また、当時幕府によって定められていた「参勤交代」も、宿場町の発展に寄与しました。参勤交代とは、地方の大名が、1年おきに自分の領地と江戸とを行き来する制度のことです。
その道中、大名が多くの家臣を引き連れて立ち寄ったことで、宿場町は大いに潤ったと言われています。
宿場町一覧
宿場は街道沿いの一定区間ごとに設けられました。中でも、江戸時代に整備された「五街道」(東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道)の一つ「中山道(なかせんどう)」沿いには多くの宿場があり、現在もその歴史的な町並みが残っています。
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大内宿の歴史
鶴ヶ城に近いことから、大いに栄えた大内宿
大内宿が形成されたのは江戸幕府が街道整備をし始めた1640年ごろ。しかしそれ以前から大内宿は東北と幕府とを結ぶ道の中継点でした。天下統一を果たしたあの豊臣秀吉も、東北を平定する際に大内宿を通過したともいわれています。
会津城下から数えて3番目の宿駅として整備された大内宿。鶴ヶ城から約20㎞と比較的近い場所にあったため、一時は大名などの宿泊施設「本陣」などが建てられ、活気ある宿場町として発展を遂げました。
衰退の一途を辿った明治期
しかし、明治時代に入り、新日光街道(現在の国道121号線)の開通に伴い幹線道路からはずれると、宿場町としての機能が弱体化し農村へと変化。外部との人の往来が遮断され、賑わいをみせたかつての様子は人々から忘れ去られてしまいました。
街並み保存の取り組み
茅葺き屋根の修繕
山奥でひっそりと宿場町の面影を残していた大内宿が再び脚光を浴びたのは、1967年。武蔵野美術大学の相沢教授が大内宿の調査に訪れ、江戸時代から残る茅葺き屋根の建築群を保存するよう訴えました。
1977年に大内ダムの建設が始まると、その保証金などで茅葺き屋根からトタン屋根への改築が進み、歴史的な町並みが失われそうになったことも。しかし、1981年に、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されたことを契機に、住民の町並み保存の意識が高まり、歴史的街並みを復活させようという動きが強まりました。一度トタンにした屋根を茅葺き屋根に戻したり、電柱の地中化やアスファルト舗装の撤去を行ったりすることで、江戸時代の景観を再現しました。
江戸時代の雰囲気を残す大内宿
「売らない、貸さない、壊さない」をスローガンに、茅葺き屋根の家屋を保存するとともに、2008年からは、週に一回茅葺の練習会を開催。次世代の茅葺職人を育てる取り組みが行われています。こうした保存活動の結果、現在では茅葺き屋根の古民家を利用した食事処や土産物屋などが軒を連ね、年間100万人を超える観光客が訪れる一大観光スポットになっています。
大内宿の茅葺き屋根の家の秘密
大内宿の茅葺き屋根の家
日本の原風景とも言える、茅葺き屋根の家。歴史は古く、縄文時代(約12,000年前〜2,400年前まで)の竪穴住居にも見られます。茅葺き屋根とは、イネ科の芒(すすき)や茅萱(ちがや)などの「茅(かや)」と呼ばれる植物を使って作られた屋根のこと。原料となる茅には空洞が多いため、断熱効果が高く、夏は涼しく冬は暖かいのが特徴。草で作られた屋根と聞くと、雨漏りをしないのか不思議ですよね。
その秘密は、屋根の形と内装にあります。屋根に傾斜をつけて水はけを良くするとともに、室内の囲炉裏(いろり)から立ち上る煙によって湿気や水分を蒸発させることで、雨漏りを防いでいるそうです。
また、大内宿のある福島県をはじめとする雪国では、屋根の傾斜を急にすることで、雪が自然に地面に落ちるように工夫されています。
冬の大内宿
大内宿のインテリア
このように、先人の知恵が詰まった茅葺き屋根の家。家の中はどうなっているのでしょうか?大内宿では、「大内宿町並み展示館」や古民家を利用した飲食店などで、内部が一般公開されています。
大内宿町並み展示館
大内宿の中央にある「大内宿町並み展示館」は、大名などが宿泊した「本陣」と呼ばれる建物を、近隣の糸沢宿、川島宿のものを参考に復元したもの。
藩主が篭(かご)のまま建物に出入りする「乗り込み」と呼ばれる玄関や、かつて昼食をとる部屋として使われた「上段の間」などが再現されているほか、昔の農機具や生活用品、当時の風習を伝える写真などが展示されています。
また、囲炉裏では実際に火がたかれており、趣たっぷりです。
大内宿町並み展示館の囲炉裏
また、会津の郷土玩具・中湯川人形を扱う美濃屋では、阿部家の古民家が一般公開されています。
阿部家は、大内宿の名主を歴任した由緒ある家柄。その住宅は、江戸末期に没落した本陣に代わり、大名の休憩所や宿泊所として利用されていました。佐藤家(本家玉屋)も、今から800年以上前に、後白河天皇の子・以仁王(もちひとおう)が草履を脱いだと伝えられる、歴史ある家柄です。
現在は食事処として営業しています。築400年以上の趣ある座敷で、お食事を楽しんでみてはいかがでしょうか。希望者は、内部を見学することもできます。
大内宿を散策しよう!
古き良き大内宿を満喫する方法をご紹介します。
大内宿の地図(画像提供:大内宿観光協会)
大内宿のフォトスポット
大内宿の町並みを一望したい!という方には、「見晴台」がオススメ。見晴台は、湯殿山と呼ばれる小高い丘の上にあり、まるでガイドブックに載っているような写真を撮ることができますよ。
見晴台から見下ろした大内宿の町並み
赤べこ絵付け体験にチャレンジ
赤べこ
会津の民芸玩具「赤べこ」。「べこ」とは東北地方の方言で牛のことです。和紙を糊で固めて作られており、首がゆらゆらと揺れる可愛らしい姿が特徴。古くから、幸せを運ぶ牛・子どもの守り神として、人々から愛されています。福島県各地の土産物店で販売されているほか、絵付けの体験教室も開かれており、自分だけの「オリジナル赤べこ」を作ることも。
大内宿では「みなとがわ屋」で絵付け体験ができます。自由に顔のパーツや模様を描いて、世界にひとつだけの赤べこを作ってみてくださいね。
大内宿の名物「ねぎそば」の由来とは?
ねぎそば
大内宿の名物といえば「高遠(たかとお)そば」。そばを箸がわりの長ねぎ一本で食べる、会津地方の郷土料理です。別名「ねぎそば」とも呼ばれています。
ねぎそばの由来は?
高遠そばの歴史は遡ること江戸時代。寛永20年(1643年)、徳川秀忠の4男である保科正之は高遠(長野)、山形に続き、会津藩の藩主に引き立てられました。正之はそば好きとして知られ、会津転封の際にそば打ち職人にそばを広めさせたといわれています。正之は会津以外にも、それまで藩主として治めていた山形や、4代将軍・家綱の補佐をしていた時代に江戸でそばを広めたそう。
保科正之を祀る土津神社(福島県猪苗代町)
特に会津地方ではこのそばが、正之が初めて藩主となった高遠の地名にちなんで「高遠そば」として定着していきました。それが今日まで高遠そばが会津名物として親しまれている所以です。
ねぎそばの特徴と食べ方
高遠そばは、辛味大根を絞った汁に焼いた味噌で味付けした「からつゆ」に付けて食べるのが本来の食べ方でした。しかし醤油が普及してくると、醤油にだしを加えたつけ汁で食べるのが一般的になります。大内宿でいただけるねぎそばもおおむね、醤油・辛味大根・鰹節を混ぜ合わせたつけ汁のスタイルです。
まるごと添えられた長ねぎをお箸がわりに、また、薬味としてかじりながら食べます。ねぎでそばをすくって食べるというと、少し難しそうに感じますが、ユニークな食文化楽しみながらいただいてみてください。もちろん箸も用意されているので、ご安心くださいね。
大内宿 食べ歩きグルメ
大内宿のグルメといえばねぎそばが思い浮かびますが、他にも人気の食べ歩きグルメ・スポットがたくさんあります。ここでは大内宿で食べられる、編集部おすすめのグルメを紹介します。
しんごろう
大内宿のしんごろう
しんごろうは、半つきのご飯を丸めて串に刺し、エゴマの味噌(じゅうねん味噌)を塗って炭火で焼いた料理のこと。しんごろうという名前ですが、昔正月に餅を食べられなかった「しんごろう」という青年がご飯をつぶして丸めて餅の代わりにしたのが由来だそうです。「味処(あじどころ)みなとや」では、店先でしんごろうを焼いています。甘く香ばしい香りに誘われてついつい買ってしまうこと間違いなしです。
【味処 みなとや】
住所:福島県南会津郡下郷町大字大内宿字山本34
TEL:0241-68-2933
味処みなとや
栃餅
栃餅
栃餅は、アク抜きした栃の実をもち米と合わせてついたお餅のこと。「加登屋(かとや)」では、13日間かけて作られた栃餅を味わうことができます。あんこやきな粉との相性が抜群です。
【大内宿 加登屋】
住所:福島県南会津郡下郷町大内字山本50
TEL:0241-68-2941
岩魚の塩焼き
大内宿 岩魚の炉端焼き
大内宿では岩魚(いわな)をその場で焼いてくれるお店がいくつかあります。「浅沼食堂」では獲れたての岩魚を炉端焼きでいただくことができます。店内に設置してある水槽から店員さんが岩魚を取り出して串刺しにし、炭と薪で焼いてくれるそう。骨まで柔らかく、丸ごと食べられると評判です。
【浅沼食堂】
住所:福島県南会津郡下郷町大内字山本51
TEL:0241-68-2378
大内宿のイベント
ここまで大内宿の歴史や見どころをご紹介してきましたが、大内宿の楽しみ方はまだまだあります。普段は見られない大内宿の魅力に迫る、とっておきのイベントを2つご紹介します。
2月『大内宿雪まつり』
大内宿雪まつり
毎年2月の第2土曜日と日曜日に開催される「大内宿雪まつり」。街道沿いには住民たちの手作りの雪灯籠が並べられ、雪化粧した茅葺き屋根の町並みに幻想的な光景が広がります。
雪灯篭
時代仮装行列や花火の打ち上げ、そば食い競争といった様々なイベントも用意され、見どころ盛りだくさんのお祭りです。
9月1日『一斉放水』
一斉放水(写真提供:下郷町)
毎年9月1日に実施される「一斉放水」。年に一度、火事に弱い茅葺き屋根の家屋を守るため、大内宿全体で行われる防火訓練です。ただの訓練かと思いきや、放水銃から水が勢いよく噴射され、水のアーチが出現!この珍しい光景を目の当たりにしようと、毎年多くの人々が訪れます。
大内宿へのアクセス
最寄駅:湯野上温泉駅
東京駅からのアクセス
東北新幹線【東京駅】→JR磐越西線【郡山駅】→会津鉄道【会津若松駅】→【湯野上温泉駅】→広田タクシーの循環バス「猿游号(さるゆうごう)」(約15分)
車でのアクセス
最寄りIC:磐越自動車道 会津若松IC(約55分)
駐車場:第一駐車場、第二駐車場、第三駐車場、臨時駐車場
江戸時代の街並みが残る大内宿
ここまで、大内宿の歴史や見どころについて紹介してきました。江戸時代の町並みが保存され、タイムスリップしたような雰囲気を味わえる大内宿に、ぜひ足を運んでみてくださいね。