鶴ヶ城の歴史
鶴ヶ城の見どころ
鶴ヶ城のイベント
鶴ヶ城へのアクセス
まとめ

幕末を語るうえで、外すことのできない場所「会津」。現在の福島県会津若松市です。幕末から明治維新にかけて数々の悲劇が生まれた会津は、その困難を乗り越え東北地方を代表する都市となりました。

そんな会津若松市を代表するスポットが「鶴ヶ城」。かつて白虎隊や戊辰戦争の舞台となった場所であり、現在は観光地としてのみならず市民の憩いの場としても人気です。鶴ヶ城が誕生してから今に至るまで、どんな歴史が繰り広げられてきたのでしょうか。

今回は鶴ヶ城の歴史や見どころを紹介します。

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歴史が生んだ悲劇 白虎隊

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歴史

鶴ヶ城の歴史

鶴ヶ城誕生は室町時代

伊達政宗も鶴ヶ城の城主の1人

伊達政宗も鶴ヶ城の城主の1人

鶴ヶ城が誕生したのは1384年。葦名直盛(あしななおもり)によって造営され、600年以上続く歴史が幕を開けました。当時の名前は鶴ヶ城ではなく黒川城。天守閣も存在せず、あまりお城らしさはなかったとも言われています。1589年には「伊達政宗」が入城。他には蒲生氏郷(がもううじさと)や上杉景勝など、多くの人物が城主を務めました。

天守閣が完成し鶴ヶ城へ改名

現在5層の天守閣は元々7層だった

現在5層の天守閣は元々7層だった

蒲生氏郷が城主だった1593年に7層の天守閣が完成。当時は黒川だった地名を若松へと改め、城の名前も鶴ヶ城に変更されました。鶴ヶ城の名前の由来は、氏郷の幼名が「鶴千代」であり蒲生家の家紋に鶴が入っていたため。縁起が良いという理由で、城の名前に鶴が用いられました。

江戸時代に入ると、会津で大地震が発生。これにより天守閣も被害を受けます。しかし、1639年には天守閣の大改修が終了。この大改修によって鶴ヶ城の天守閣は5層になり、現在の鶴ヶ城と同じ姿となりました。

戊辰戦争でも落城しなかった鶴ヶ城

新政府軍を率いた西郷隆盛

新政府軍を率いた西郷隆盛

幕末になると、薩摩藩と長州藩を中心とした新政府軍が徳川幕府(旧幕府軍)と対立。1868年に京都で起きた「鳥羽・伏見の戦い」をきっかけに、戊辰戦争が勃発しました。江戸城を無血開城させた新政府軍は会津地方へ進撃。勢いそのままに鶴ヶ城下に攻め入ります。

約1ヶ月に及ぶ激戦が繰り広げられた結果、ついに鶴ヶ城が開城。しかし激しい攻防戦でも落城することなく耐えた鶴ヶ城は、「難攻不落の名城」としてその名を天下に知らしめました。

明治7年、政府の命令により石垣を残して取り壊された鶴ヶ城。多くの人々の寄付により、1965年に天守閣が再建されました。鶴ヶ城の名で親しまれていますが、「若松城」や「会津若松城」と呼ばれることも。1934年に国の史跡に指定された際は、「若松城跡」という名で指定されました。鶴ヶ城は現在、日本の100名城の1つにも選ばれています。

鶴ヶ城の見どころ

誕生から600年以上の歴史がある鶴ヶ城。約69,000坪の敷地面積を誇る鶴ヶ城公園内には、多数の見どころが存在します。

天守閣

赤瓦の天守閣は国内で鶴ヶ城だけ

赤瓦の天守閣は国内で鶴ヶ城だけ

鶴ヶ城でもひときわ目立つ5層の天守閣。内部は「鶴ヶ城天守閣博物館」として公開されていて、会津の歴史に触れることができます。2011年には幕末当時と同じ「赤瓦(あかがわら)」へのふき替えを実施。現存する天守閣では、国内唯一の赤瓦の天守閣となりました。

麟閣

千家にゆかりがある麟閣

千家にゆかりがある麟閣

千家ゆかりの茶室「麟閣(りんかく)」。千利休の息子・小庵(しょうあん)が建てたものです。1591年、千利休は豊臣秀吉の怒りを買い切腹。利休の茶道が途絶えることを惜しんだ当時の城主である蒲生氏郷は、小庵を会津にかくまって千家の再興を願いました。

小庵はこの恩義に報いようと、氏郷のために麟閣を建設。結果的に小庵は京都へ帰り、千家を再興することに成功しました。麟閣は東日本では珍しい草庵風の茶室。戊辰戦争後に城下に移築して保存されていましたが、1990年に元の場所に復元されました。現在は福島県の重要文化財に登録されています。

鐘撞堂

正確な時間を伝え続けた鶴ヶ城の鐘撞堂

正確な時間を伝え続けた鶴ヶ城の鐘撞堂

鶴ヶ城の天守閣から少し西に進んだ場所にある「鐘撞堂(かねつきどう)」。戊辰戦争で籠城戦になった際も、正確な時を告げ続けた鐘が存在します。城外にいた味方兵は鐘の音で城内の健在を知り、士気を高めたそう。時守(ときもり)が撃たれても別の者が鐘を鳴らし、開城するまで止むことはなかったと言われています。

荒城の月碑

荒城の月は鶴ヶ城を舞台として作詞された

荒城の月は鶴ヶ城を舞台として作詞された

鶴ヶ城本丸に位置する「荒城の月碑(こうじょうのつきひ)」。名曲「荒城の月」の歌詞が記されています。天守閣が取り壊され荒廃した鶴ヶ城をモチーフに、土井晩翠(どいばんすい)が荒城の月を作詞。この碑が誕生したことで、作詞の根拠が鶴ヶ城であることが地元でも広まりました。

鶴ヶ城のイベント

会津若松市のシンボルである鶴ヶ城では、期間限定でイベントを開催。普段とは違う鶴ヶ城を楽しむことができます。イベントに合わせて鶴ヶ城を訪れてみてはいかがでしょうか。

会津絵ろうそくまつり ゆきほたる

ろうそくの灯りと雪景色が美しいゆきほたる

ろうそくの灯りと雪景色が美しいゆきほたる

毎年2月の第2土曜日とその前日に行われる「会津絵ろうそくまつり ゆきほたる」。会津の伝統工芸品の1つ「会津絵ろうそく」が、鶴ヶ城をはじめとした市内各所を照らします。

期間中は、鶴ヶ城天守閣の夜間登閣が可能に。天守閣から眺める雪景色が約10,000本のろうそくに照らされ、絶対に見逃せない絶景を作り上げます。

光の杜ミュージアム 「アイヅテラス」

体験型ライトアップが楽しめるアイヅテラス

体験型ライトアップが楽しめるアイヅテラス

鶴ヶ城のライトアップに合わせて、2月中旬から約1ヶ月行われる「光の杜ミュージアム『アイヅテラス』」。本丸内のイルミネーションや体験型のライトアップが実施されます。

子どもから大人まで楽しめるので、家族連れにも人気。会津ならではの絵柄も映し出され、インスタ映えするような撮影スポットもあります。

鶴ヶ城さくらまつり

鶴ヶ城では約1,000本の桜が咲き誇る

鶴ヶ城では約1,000本の桜が咲き誇る

桜の開花時期に合わせ、4月上旬から5月上旬に開催される「鶴ヶ城さくらまつり」。蒲生氏郷が城下に敷いた十楽(じゅうらく)を再現した「會津十楽 春の陣」や「鶴ヶ城おもてなし市」など、数多くのイベントが開催されます。

鶴ヶ城のライトアップで桜が夜空に浮かび上がる

鶴ヶ城のライトアップで桜が夜空に浮かび上がる

また、東日本最大級の規模で城内全体のライトアップする「鶴ヶ城公園ライトアップ」も実施。約1,000本の桜が夜空に姿を表し、幻想的な空間を作り出します。

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公園・遊び場

鶴ヶ城紅葉ライトアップ

鶴ヶ城では紅葉もライトアップされる

鶴ヶ城では紅葉もライトアップされる

紅葉の時期に合わせて実施される鶴ヶ城のライトアップ。より趣深く、色鮮やかな紅葉を楽しむことができます。不要な眩しさを抑えているため、陰影や光の階調を活かした心地よいライトアップが特徴的。優しい光に包まれた鶴ヶ城を堪能することができます。

鶴ヶ城の基本情報

アクセス:周遊バス/東山温泉・若松駅方面【鶴ヶ城入り口】下車徒歩約1分
住所:〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1
電話番号:0242-27-4005(一般財団法人 会津若松観光ビューロー)
営業時間:会場時間 8:30〜17:00(16:30入場締切)
料金:天守閣入場料 大人(高校生以上):410円 小・中学生:150円 麟閣共通入場券:520円
公式サイト:一般財団法人 会津若松観光ビューロー

激動の時代を眺めてきた鶴ヶ城

今回は、難攻不落の名城と謳われた鶴ヶ城を紹介しました。5層の天守閣がとても美しい鶴ヶ城は、日本100名城の1つ。会津若松市のシンボルとして、多くの人々が訪れます。

幕末をはじめ、激動の歴史を眺めてきた鶴ヶ城。実際に訪れてみることで、あなたの肌でその歴史を感じてみてはいかがでしょうか。