沖縄は織物を中心に伝統工芸品が揃う
沖縄の伝統的な織物3つ
壺屋焼
琉球漆器
三線
まとめ

日本には全国230もの伝統的工芸品が存在します。その中で最も多いのが東京都と京都府。そして、次に沖縄県と新潟県です。今回は、地方別にご紹介している伝統工芸品シリーズの沖縄編。沖縄では、16の伝統工芸品が国に認められており、どれも沖縄ならではの文化や風土を感じられるものとなっています。

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日本の伝統工芸品一覧&8つの地方別で徹底解説!【完全保存版】

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日本の伝統工芸品一覧&8つの地方別で徹底解説!【完全保存版】 日本で古くから受け継がれてきた技術を用いた「伝統工芸品」。日用品や着物など様々な種類が作られ、日本全国に存在しています。今回はそんな日本の伝統工芸品を地方や都道府県ごとに一覧でまとめてご紹介。それぞれの伝統工芸品の歴史や魅力を徹底解説します。

伝統工芸

沖縄は織物を中心に伝統工芸品が揃う


首里城の門・守礼門

沖縄には全部で16の伝統工芸が経済産業省によって認定されています。品目別の内訳は、織物が13、焼き物、漆器、楽器がそれぞれ1つずつ。沖縄の歴史の中で、織物がもっとも盛んに行われていたことが分かります。

沖縄の伝統工芸における大きな特徴は、「琉球王国」の存在です。琉球王国は貿易拠点として栄えたこともあり、隣国であった中国や朝鮮の文化に強い影響を受けてきました。来国してきた人々から伝統工芸の技術を学び、時には実際に現地へ赴き研究をすることもあったのだとか。

沖縄の伝統的な織物

まずは、経済産業省指定の伝統的工芸品に登録されているほか、重要無形文化財にも登録されている3つの織物をご紹介。

麻織物の最高級品・宮古上布

宮古上布

「宮古上布(みやこじょうふ)」は久米島紬と共に、沖縄県で最初に認定された伝統的工芸品。上布とは、細い麻糸を平織りしてできる張りのある上等な麻織物のことで、宮古上布は沖縄県宮古島発祥の織物です。宮古島では昔から苧麻(ちょま、カラムシ)と呼ばれるイラクサ科の多年草の植物を用いて、さかんに布が織られていたといいます。


琉球藍色に染められた宮古上布(画像提供:OCVB)

宮古上布の歴史

宮古上布の歴史は今から約400年前に遡ります。琉球から中国の明へ向かっていた船が、航海中激しい嵐に巻き込まれるという事態に。もう少しで沈没してしまう時に、一人の宮古島出身の男が海に飛び込み、壊れた船を修復し、人々を助けたのです。

この話を聞いた琉球王国の国王は男を高く評価し、位を与えます。これに喜んだ男の妻が、王国に上布を献上しました。その上布こそ、「宮古上布」の起源とされています。

それから数十年間に渡って、宮古上布は王国に献上され続けました。その後、琉球王国が倒れ薩摩藩の支配下になってからは、市民に人頭税が課せられます。人頭税とは納税能力に関係なく、全ての市民に課せられる税のこと。

この政策により、女性は藩に宮古上布を納付することが義務となります。これをきっかけに「薩摩上布」と呼ばれるようになった宮古上布は、麻織物の最高級品として知れ渡りました。

大正から昭和にかけて生産のピークを迎えますが、沖縄がアメリカの支配下になってからは衰退の一途を辿ることに。現在は職人の数も当時に比べ大幅に減少していますが、島全体をあげて後継者の育成が精力的に行われています。

宮古上布の特徴

宮古上布は現在も麻織物の最高級品として取り扱われており、着物や帯、小物類など、様々な製品が作られています。

原料となる苧麻の繊維から作られた糸を、琉球藍で染めて織られます。麻をはいで作られる非常に細い糸は繊細な模様を織るのに適しており、また光沢のある滑らかな肌触りの生地を生み出します。その美しさは、新潟県越後地方の「越後上布」、滋賀県湖東地方の「近江上布」 と並び、「日本三大上布」にも数えられるほど。


貴重な宮古上布(画像提供:OCVB)

少し値段の張るものが多いですが、布の薄いのが特徴で独特の光沢を持ちます。原料となる苧麻を収穫してから一つの織物が完成するまで数年かかることもあるそうで、その値段にも納得。

伝統的工芸品だけでなく、国の重要無形文化財にも指定されている日本を代表する織物です。

喜如嘉の芭蕉布


喜如嘉の芭蕉布の反物(画像提供:OCVB)

「喜如嘉の芭蕉布(きじょかのばしょうふ)」は、沖縄本島北部の大宜味村(おおぎみそん)喜如嘉原産の織物です。

芭蕉布の歴史

芭蕉布もまた琉球王国と深い関係があり、およそ500年もの歴史があるとされています。最盛期には王族が「芭蕉園」を作って栽培し、専任の職人に織らせていたといわれています。


喜如嘉の芭蕉布の着物(画像提供:OCVB)

それまで高級品として扱われていた芭蕉布でしたが、徐々に庶民の手にも渡るようになります。芭蕉の木が沖縄全域で生えていたこともあり、どの家庭でも生産ができたことが大きな理由です。

戦時中は生産が止まってしまいましたが、終戦後再開され、1972年には宮古上布と同じく国の重要無形文化財に指定されました。

芭蕉布の特徴

芭蕉布は「芭蕉」と呼ばれる植物の葉の繊維を用いて作られます。芭蕉は「ジャパニーズ・バナナ」とも呼ばれており、沖縄全域で採取できる植物です。


原料となる芭蕉

もともと柄のない無地の生地が特徴の芭蕉布。着物を中心に織られていましたが、庶民も身に付けるようになってからは、芭蕉布の代名詞ともいえる「絣模様」が施されるようになります。

先ほど紹介した宮古上布の藍色とは対照的に、芭蕉布のほとんどは淡い茶色やクリーム色をしています。500年もの長い間、沖縄で受け継がれてきた芭蕉布。芭蕉布が、生地が薄く空気を通しやすいことが特徴。高温多湿である沖縄・奄美大島では、通風性のある芭蕉布が好まれ、古くから着用されてきました。

芭蕉の栽培・採取から、染め、織り、全てが喜如嘉の村で行われており、工程の多さ、必要な芭蕉の量なども相まって「幻の織物」とも呼ばれています。

久米島紬

「久米島紬」は数ある沖縄の織物の中でも非常に長い歴史を誇ります。


様々な久米島紬の反物(画像提供:OCVB)

久米島紬の歴史

久米島紬発祥のルーツは、久米中城(くめなかぐす)に仕えた堂之比屋(どうのひや)という男が当時、明の国から養蚕の技術を持ち帰ったこととされています。そのため、紬は室町時代から生産されていたことになります。


久米島紬の機織りの様子(画像提供:OCVB)

また、宮古上布と同じく、久米島紬も人頭税として人々に課せられました。薩摩藩の侵攻にあってからはその質がより問われるようになり、外部から養蚕や真綿の技術に長けた人物を呼び生産に力をいれていきました。この頃、現在に伝わる久米島紬の基礎が完成したとされています。

久米島紬は大正時代に生産のピークを迎えますが、第一次、二次世界大戦の影響で、徐々に衰退していきます。しかし、具志川村(現在の久米島町)を中心に再び養蚕が始められ復興を果たします。そして、1975年に国指定の伝統的工芸品、2004年には国指定の重要無形文化財となりました。

久米島紬の特徴

鮮やかな藍やカラフルなものもある宮古上布とは対照的に、久米島紬はシックな色合いが特徴です。


シックな色合いが特徴の久米島紬(画像提供:OCVB)

久米島紬では、蚕の繭からとれた糸を使用。「泥染め」や沖縄に生える植物を使った「草木染め」といった方法で染めるのが特徴の一つです。「泥染め」とは、実際に泥を使うのではなく、グールやテカチといった植物を用いて行う染色技法のこと。奄美大島だけで行われている技法で、光沢と深みを併せ持つ渋い黒色に仕上がります。

また、久米島紬ならではの「絣模様」も魅力的。現代では織物に絣模様をつける際は機械を使うことが多くなりましたが、久米島では全ての工程を手作業で行う古来の技法で製作されています。

沖縄県の伝統工芸品 壺屋焼


カラフルな模様が特徴

「壺屋焼(つぼややき)」は那覇市の壺屋が原産の沖縄を代表する焼き物です。

壺屋焼の歴史

織物文化が強い沖縄ですが、唯一焼き物として壺屋焼が伝統工芸品に指定されています。

琉球王国、そして沖縄の焼き物の礎となったのは14〜16世紀にアジア方面から伝わってきた「高麗瓦」が始まり。東南アジアや当時先進国として発展していた中国と盛んに貿易を行っていた琉球では彼らから技術を学び、こうした工芸品が作られていました。

壺屋焼として生産が始まったのは、琉球が薩摩藩の支配になってから。海外との貿易も制限され、技術や物資の輸入に陰りがみえていた頃、琉球の王であった尚寧王(しょうねいおう)が焼物の生産が盛んだった朝鮮から陶工士を呼び寄せ、窯を開かせます。この時焼かれ始めた「上焼(じょうやち)」が壺屋焼のルーツとなりました。その後、美里の知花窯(ちばながま)、首里の宝口窯、那覇の湧田窯らの焼き窯が王府によって統合され、本格的に壺屋焼の生産がスタートすることになります。

壺屋焼の特徴

壺屋焼最大の特徴は、沖縄県特有の「釉薬(ゆうやく、うわぐすり)」を使っていること。釉薬とは陶器などを作る際に使用するガラス質の薬品のことで、色付けや装飾、また陶器を強化するためにも使われます。


壺屋焼のお湯呑み

壺屋焼は温かみのある色合いと、どっしりとした重量感が魅力です。

「上焼(じょうやち)」「荒焼(あらやち)」の2種の焼き方で製作されます。上焼は、釉薬を使い1,200℃以上の高温で焼き上げる技法。釉薬を使うことで、壺屋焼ならではの重厚感が生まれます。また、装飾的な柄が施されているものが多いのも特徴。

対して荒焼は、柄も少なく、素朴さを持つ壺屋焼に仕上がります。主に水がめや花瓶、お酒の瓶などの製作で使われています。

沖縄県の伝統工芸品 琉球漆器


琉球漆器(画像提供:OCVB)

「琉球漆器」もまた、琉球王国にルーツを持つ工芸品です。

琉球漆器の歴史

琉球王国は、隣国である中国の影響を大きく受けてきました。漆器の技術は14〜15世紀頃に伝わってきたとされており、当時は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)と呼ばれる役所が設けられ、漆器について研究し、製造する場所として使用されていたそう。


琉球漆器の皿(画像提供:OCVB)

かつては琉球国内、もしくは海外へ輸出する貿易品(お土産)として漆器は使用されていましたが、薩摩藩が侵攻してからはその名が全国に知れ渡るようになります。芸術性と高い技術は今も受け継がれ、沖縄県内の民間の工房などで製造されています。

琉球漆器の特徴


首里城の祭事に使われるものも

琉球漆器は元来お祭りや儀式といった場所で重宝されてきたため、豪華な装飾品や儀式で身につけるアクセサリーなどが多く作られていました。

琉球漆器の大きな特徴として、多様な装飾方法が挙げられます。その中でも特徴的なのが堆錦(ついきん)と呼ばれる琉球漆器独自の技法。「堆錦餅」と呼ばれる特別な漆と顔料を混ぜ合わせ絵付けする方法で、焼き上げるとその模様がプクっと浮き上がります。

沖縄県の伝統工芸品 三線


ちゅーらかぎー

沖縄の代名詞ともいえる「三線」。美しい音色は長年愛されてきました。

三線の歴史

「三線(さんしん)」は沖縄県原産の弦楽器です。誰もが一度はその音色を聴いたことがあるのではないでしょうか。中国から「三弦」と呼ばれる楽器が沖縄へ伝わり、それが進化して三線となりました。さらに三線が本州へと伝わり、「三味線(しゃみせん)」が生まれたとされています。三線と三味線は同系の楽器ですが、三線の方がやや小さく円形。

三線には7つの型があり、それぞれで作る工程が異なります。チーガと呼ばれる胴の部分には主にニシキヘビの皮が使われており、棹には漆が施されています。そのなめらかな丸みを帯びたフォルムは、沖縄の方言で「美人」という意味を持つ「ちゅーらかぎー」と例えられることも。


近くから見た三線(画像提供:OCVB)

中国から伝わってきた当初、三線は宮廷楽器として発展していきます。王国の行事などで多く使用され、組踊(くみうどぅい)と呼ばれる伝統舞踊でも欠かせない楽器となっていきました。この組踊はユネスコの無形文化遺産にも登録されており、いかに三線が琉球王国、そして沖縄で愛されてきたかがうかがえますね。

三線の特徴


美しい音を奏でます

元々宮廷楽器として使われていたこともあり、三線は庶民の手には届かない高級な品でした。ところが、徐々に琉球王国民の中で三線を真似た楽器を作る人たちが現れ、琉球王国全体に広がっていくことに。当時は高級品であった蛇の皮が手に入らない場合は、芭蕉などの植物を代用していたそう。

この歴史から、三線を使い奏でる音楽には「宮廷音楽」と、民謡などの「庶民芸能」の2つが存在します。

沖縄の伝統工芸品はお土産にもぴったり

沖縄にはここで紹介した6つの伝統工芸品以外にも、「首里織」や「与那国織」などの織物など、併せて16の伝統工芸品が存在します。どれも他の県では見つけられない、沖縄ならではの工芸品です。海外の技術や琉球の文化、そして豊かな自然が生み出した工芸品はお土産にもぴったり。

今回ご紹介した伝統工芸品の他にも、「琉球ガラス」などの可愛らしい工芸品も。あなたにぴったりのお土産探しを、楽しんでみてはいかがでしょう。

※本記事内で記載している「首里城」について:2019年10月に発生した火災により、正殿などが全焼。2019年11月現在、首里城公園および首里城への入城区域が制限されています。最新情報は公式ホームページをご確認ください。