沖縄県の隠れた伝統「帆掛サバニ」とは?
職人により受け継がれる伝統の技
海人のロマンを現代に繋ぐ100kmの旅に密着
1日目(沖縄本島糸満~渡嘉敷島)
2日目(渡嘉敷島~渡名喜島)
3日目(渡名喜島~久米島)
サバニの歴史や実物を楽しみたいなら
まとめ

沖縄本島最南端に位置する糸満市は、有名な伝統行事「糸満ハーレー」を代表とする海人(ウミンチュ / 沖縄の言葉で漁師の意)文化が色濃く残り、「海人のまち」と呼ばれる場所。

今回は、そんな沖縄随一の港町「糸満」の海人が漁で使っていた木造小型舟「帆掛(フーカキ)サバニ」について、紹介します。実際に沖縄の職人がサバニを作る過程や想い、そしてサバニに乗り100kmの船旅を敢行する様子を密着取材してきました。

沖縄県の隠れた伝統工芸ともいわれている帆掛サバニから、沖縄糸満海人の歴史とロマンを探っていきましょう。

(メイン写真提供:PHOTOWAVE)

沖縄県の隠れた伝統「帆掛サバニ」とは?

沖縄県、糸満漁港は県内唯一の特定第三漁港(日本の水産業振興のためには特に重要な港)として指定されており、マグロ・イカなど高い漁獲量を誇る港。市内の「道の駅」や飲食店でおいしい海産物が食べられると記憶している方も多いのではないでしょうか。

この「海人(ウミンチュ)のまち」に残る伝統工芸が、今回紹介する「帆掛サバニ」です。

沖縄県糸満で活躍してきた海人たちの歴史


海を渡る糸満ハギ(本ハギ)の帆掛サバニ(写真提供:糸満帆掛サバニ振興会)

糸満エリアは、かつて沖縄県が琉球王国だった時代から漁業の町として栄えてきました。

琉球王府は中国王朝の皇帝が派遣する使節冊封使を受け入れていましたが、この冊封使に渡す魚や貝などを獲ることを糸満漁民に命じていたとされる資料が残っています。王府からも「海のことなら糸満」と一目置かれる存在であったそう。

さらには糸満海人が海で遭難している人を救助したという当時の記録も数多く残っており、糸満海人の漁場範囲の広さと、遭難者が出るような荒れた海原を渡りゆくたくましい姿が想像できます。


旧暦8月15日開催の「糸満大綱引」前に広げられる旗頭には、「海の民」の文字が踊る

糸満は西側を中心に、現在までに繰り返し埋め立てが行われてきました。その過程で、周辺の農村から糸満へ転入する者や、商売のため那覇市方面から糸満へ移り住む者も。時を経ていく中で、糸満は海人のまちとして賑わっていったのです。

「サバニ」とは?


旧暦5月4日糸満漁港で行われる伝統行事「糸満ハーレー」

サバニとは、海人が使っていた舟のことを指します。沖縄県の言葉で「舟・ふね」のことは「ンニ」「ブニ」と発音されますが、「サバニ」の語源としては「サバ(沖縄でサメのこと)漁に使うンニ(舟)」が「サバンニ」「サバニ」になったとされるのが有力な説。

帆を掛けて風を利用し、ウェークと呼ばれる櫂(かい)で水をかき進む「帆掛サバニ」で、かつて海人たちは漁に出ていました。

歴史をさかのぼると、琉球王国時代に活躍していた糸満海人が使っていたのは「マルキンニ(丸木舟)」という一本の木をくり抜いて造るサバニでした。しかし造船制限規定により大木を使用するマルキンニの製造は禁止に。

その後、廃藩置県で沖縄県となったのちの1880年頃、糸満の上原亀が杉材の床板を使って舟を試作。マルキンニの舟大工だった金城徳がそれを改良し、はぎ舟(「ハギンニ」と呼ばれる)に仕上げました。これが現代に受け継がれ伝統工芸とも言われるサバニ、「糸満ハギ(本ハギ)」の元となるものです。

ハギ舟には3つの種類があるとされ、糸満ハギのほか工法の異なる「南洋ハギ」や「中間ハギ(アイヌクー)」があります。
3つのハギ舟のなかでも、糸満で生まれたサバニである「糸満ハギ」は波を切って進む性能に優れており、かつ浅瀬でも小回りが効き、耐久性がよいとして海人に好まれたそう。

帆をはり、大きな波もなめらかに超えていく糸満ハギの帆掛サバニは機能的でありながら、沖縄の海に浮かんだその美しさは誰の心にも響く伝統の芸術作品であるともいわれています。

明治以降の資料によると、糸満海人は漁場を求めて八重山地方や台湾、九州地方をはじめとする日本本土まで進出していったとされています。

それにとどまらず、その後南洋諸島、フィリピン、シンガポールという海外における漁業で新天地を開拓し、出稼ぎで成功を収めるために糸満海人の活動範囲は広がっていきました。


海を舞台に糸満海人たちは活躍の場を広げていった

意気盛んな沖縄糸満海人の歴史に感じる、海とともに、そして海に生きた人々への憧れ。小さな島国「琉球」にあって、その身ひとつで大海原と向き合ってきた糸満海人の歴史は、あまり知られていない沖縄が生み出した興味深い物語のひとつです。

しかし、時の流れとともに、エンジン搭載の船が主流となったことで帆掛舟はなくなり、FRP(繊維強化プラスチック)の登場により木造舟のサバニを使う海人はいなくなりました。

海を越え活躍の場を広げていった糸満の海人たち。ここからは、海人たちと一緒に時代をつくった木造小型舟「帆掛サバニ」にスポットを当て、詳しくみていきましょう。

職人により受け継がれる伝統の技

日本全国に唯一残る小型木造帆船「帆掛サバニ」。現在では漁業で使われることはないため、現役の木造サバニ職人は片手で数えられるほどに減少しています。その中でも、糸満海人が使ったサバニ「糸満ハギ」の技術を受け継ぐのは、サバニ大工の大城清氏とその弟子である高良和昭氏のみとなっています。


サバニ大工 大城清氏

サバニ造りには設計図がなく、すべての技術を経験で覚えていきます。明治時代、舟大工の金城徳により仕上げられた「ハギンニ」は「糸満ハギ」となり、時代の流れを経て今もその伝統技術が職人から弟子へと受け継がれているのです。

日本に残る唯一の「釘を一切使わない木造舟」の造り方

糸満ハギの造り方の特徴をみていきましょう。


大城清氏とその弟子である高良和昭氏(写真提供:糸満帆掛サバニ振興会)

サバニの曲線は木の板を曲げて造られるため、丈夫でしなやかな宮崎県の飫肥杉(おびすぎ)が最適とされています。

まず舟の側面(舷側・ハラケーギ)となる2枚の長い飫肥杉の板をならべたら、熱湯をかけて少しずつ曲げていきます。

2枚の板に圧力を掛けながら舟の曲線が左右対称になるよう曲げていきますが、このときサバニ大工はどのくらいの圧力をかけるのか、どのくらい熱湯をかけるのか、どのように曲げていくのかをすべて経験から判断します。

この板を曲げていく作業は糸満ハギの大きな特徴のひとつです。


熱湯をかけることで舟の側面の板に曲線が生まれる(写真提供:糸満帆掛サバニ振興会)

続いて、舟底の部分となる木材(スクジー)を削り出していきます。カンナで木の内側を削り込み形を造り出しますが、ここはマルキンニの工法が残る部分です。


長年の経験によりベストな形を造り出していく(写真提供:糸満帆掛サバニ振興会)

舟の側面(ハラケーギ)と底部分(スクジー)ができたら、それらをぴったり合うように調整していきます。接ぎ合わせる際、間にのこぎりを差し込みすり合わせることで隙間のない接ぎ合わせが行われます。


舟の側面と底部分を合わせる(写真提供:糸満帆掛サバニ振興会)

その後接ぎ合わせ部分にフンルー(フンドゥー)という木製の接合材やルークギという竹クギを施します。まるで一枚の板であったかのような凹凸のない見事な舟が完成していきます。

板と板を接ぎ合わせに鉄クギなどの金属類ではなく木材のみで仕上げるのが、糸満ハギサバニのもうひとつの重要な特徴です。金属類を使わないことで、海水でさびることもなく耐久性に優れているとされています。


別の板同士を接ぎ合わせる木製のフンルー(写真提供:糸満帆掛サバニ振興会)

外洋で大きな波に合っても切り抜け、弱い風の日でも帆の推進力を最大限発揮させる舟の曲線や重心の位置。それらをすべて職人の経験や感覚で造り出すサバニ大工の技は人間業とは思えないほど、精密で美しいものです。

サバニは、沖縄の海を越え世界に挑戦した糸満海人の活躍を支えるために抜群の実用性・機能性を持つことを宿命づけられた伝統工芸といえるでしょう。


数年経っても水漏れや傷みがない糸満ハギのサバニ

海人のロマンを繋ぐ「組舟で久米島へ」100kmの旅に密着

サバニ大工の大城清氏が以前より温めてきた糸満海人にまつわる構想がありました。それは、「組舟」で糸満から久米島へ向けて渡ること。「組舟」とは、サバニを横に組んで繋いだ連縛小舟のことを指します。


サバニの技術を受け継ぎながら、かつての海人の軌跡を辿る旅へ

実は、古い中国の資料には1800年代はじめに「糸満村漁船2隻が中国浙江省に漂着」や「糸満の連縛小舟4隻が中国福州に漂流」という記録があるそうで、この記録から大城氏は「通常の漁を行う中で中国浙江省や福州へ漂流するということは、当時の漁場や黒潮の関係から考えられない。糸満海人は王府からの特命や密航など特別な理由で中国と行き来していたのではないか」と推測。

糸満から中国まで行き来していた可能性があると考えたのです。

それが本当なら、糸満から中国をつなぐ線上にある沖縄県久米島に必ず立ち寄ったであろうと考え、まずは糸満海人の軌跡をたどるべく、糸満から久米島へ100kmの航海を組舟で渡ることを決意したのです。


大城氏の弟子で「糸満から久米島へ渡る組舟の旅」船長の高良氏

今回、特別にTHE GATEライターが「糸満から久米島へ渡る組舟の旅」に参加させていただきました。海人のロマンを辿る、100kmに及ぶ組舟の旅の様子を追っていきます。


出発当日の朝、サバニを横につなぎ準備万端の組舟

【実施行程】
1日目:糸満発 〜 渡嘉敷島阿波連漁港着
2日目:渡嘉敷阿波連漁港発 〜 渡名喜漁港着
3日目:渡名喜漁港発 ~ 久米島兼城港着
※各島で子供たちのサバニ乗船体験を実施

「白銀堂」で航海安全を祈願する


糸満市白銀堂において

白銀堂とは糸満海人が厚い信仰を寄せる氏神様のこと。まずは、出発前に航海の安全を祈願します。

1日目(沖縄本島糸満~渡嘉敷島)


糸満沖の様子

風はやや向かい。糸満を出てからすぐに強い波に何度となく出会います。

しかしサバニ2隻を繋げた組舟は安定しており、転覆の不安はありません。1日目に計画しているルートである糸満から渡嘉敷島までは、昔の糸満海人であれば、庭のように頻繁に往来していたと思われる身近な場所。

この日は、予定通り4~5時間で渡嘉敷島へ到着しました。

乗船して驚いたのは、サバニが波を切る様子。

今回組舟に使われたサバニはどちらも大城氏製造の糸満ハギ。サバニの美しさはもちろん、その性能・速さはサバニ乗りなら誰でも知るところですが、2隻を繋げても外洋からのうねりを伴う波をするりするりと乗りこなしていくのです。


渡嘉敷島での子供たちの体験乗船会

渡嘉敷島へ到着してすぐ、地元の子供たちの体験乗船を行いました。島の風景のなか帆掛サバニが美しく、優雅に走ります。

2日目(渡嘉敷島~渡名喜島)


比較的穏やかな沖縄の海原

2日目は、渡嘉敷島を出発し渡名喜島へ向かいます。風はやや追い風となり、昨日より穏やかな航海となりました。

帆掛サバニは風の力と人が漕ぐ力で進みます。

琉球王国時代はもちろん天気予報があるはずもなく、糸満海人は航海を計画するにあたり、旧暦による天候変化の予測や経験をもとにしていたそう。


組舟は追い風を受けて進む

漕ぐことなく、帆が風を受けて舟は前へと進んでいきます。舟が走っている合図でもあるブーンという震動音が舟底から聞こえてきます。エンジンではなく、風で走り波を舟が切る音や海を渡る舟の震動を体感し、帆掛サバニでしか味わえない気持ちよさを堪能できた日でした。


どこまでも透き通るようなコバルトブルーの海にウェークをさす

穏やかな海を渡り、渡名喜島に到着。

渡名喜島は区画整備が昔から徹底されていたそうで、居住地区には民家がきれいに並んでいます。夜になるとフットライトで照らされライトアップする古民家集落も有名です。


渡名喜島内を歩く

「海に囲まれた島では刺身が主食」という言葉の通り、どの島でもこれでもかという量の刺身をいただきました。新鮮で身の引き締まった刺身を味わえるのは、海に囲まれた島ならではの楽しみです。


各島では心づくしのおもてなしを受けた

3日目(渡名喜島~久米島)

最終日の3日目。渡名喜島から久米島へ渡ります。


渡名喜島~久米島間の荒れた海を渡る帆掛サバニ

前日から荒れることが予想されていたものの、久米島でサバニの到着を待つ人々がいるという思いで出航。昨日の穏やかな気候とは打って変わって、風は強く、波も3~4mと大きい荒れた海となりました。

この渡名喜島~久米島間の船旅は安全も配慮し、一部伴走船で曳航となりました。私はこの日、エンジンを搭載した伴走船に乗船。航海の途中には、伴走船から波の合間に組舟が消えて帆しか見えなくなることも。


久米島の港へと進んでいく

糸満から久米島へ島々を渡り継ぎ、糸満海人が通ったであろう海の道を無事辿り終えました。この旅を通じて、糸満海人が辿ったかもしれない糸満から中国への航海の一部を肌で感じることができたように思います。

いずれ大城氏の「糸満から中国へ」という想いが実現し、糸満海人の壮大な活躍を現代によみがえらせることができるでしょう。

サバニの歴史や実物を楽しみたいなら

サバニにまつわる歴史や造り方、そして現代へと繋がる海人のロマンも追ってきました。せっかく沖縄県に足を運ぶのならば、ぜひサバニの実物を見てみてください。最後に、沖縄県内のおすすめの施設とイベントを紹介します。

大城氏の作った船を展示している「海洋文化館」へ


海洋文化館(写真提供:国営沖縄記念公園〈海洋博公園〉)

大城氏が製作した糸満ハギのサバニが見られるのが、沖縄美ら海水族館で有名な海洋博公園内にある施設「海洋文化館」。


帆を立てた糸満ハギ(本ハギ)と南洋ハギが並ぶ(写真提供:国営沖縄記念公園〈海洋博公園〉)

展示資料は約750点にもおよび、日本や沖縄の成り立ちとも密接な関係をもつ環太平洋の歴史に触れられます。実際にサバニに乗船して写真を撮影できるコーナーも設けられており、サバニの触り心地や迫力を間近で体感できますよ。

帆掛サバニ乗りが集結する「サバニ帆漕レース」


青い海を渡る帆掛サバニの姿が美しい(写真提供:PHOTOWAVE)

毎年初夏に開催される「サバニ帆漕レース」では、実際に海を走るサバニの様子を見ることができます。

サバニ大工の大城氏と高良氏も自ら造ったサバニで、このレースに毎年出場。座間味島をスタートし那覇へ向けて走る約40kmのレースです。

サバニの継承と操船技術向上を目的にレースが開催されていますが、大城氏自身サバニを乗りこなしレースに出場して舟の性能を確かめることで、サバニ造船技術をさらに高めているそうです。


2019年のレースでは、大城清氏のチームがサバニクラス優勝を飾った(写真提供:PHOTOWAVE)

慶良間諸島の海を駆けていくサバニたちの様子は、まるでタイムスリップして海人が活躍していた昔の沖縄の海を見ているかのような光景です。ぜひ間近でサバニが海を進んでいく姿を見てみてはいかがでしょうか。

沖縄県糸満で海に生きた人々のロマンを感じる旅へ

帆掛サバニは、現代に残されている機能美を究極に高めた沖縄県の伝統工芸です。ぜひ沖縄県糸満の歴史や文化を見て・感じて、世界の海に飛び出していった海人たちの心意気に触れる旅に出かけてみてください。