【首里城の歴史】いつ誰がなぜ建てたもの?
【首里城の歴史】建築や構造の特徴
【首里城の歴史】火災と再建
【首里城の歴史】を入り口にもっと沖縄を知ろう!
まとめ

沖縄県を代表する観光地である首里城。華やかで美しい外観に、心を奪われた人も多いことでしょう。

2000年には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。

2019年の火災によって正殿などは焼失してしまいましたが、今も多くの人々が復興を待ち望んでいます。

この記事では、そんな首里城の歴史や特徴について詳しく解説します。

「首里城って誰がいつ建設したの?」
「首里城の構造にはどんな特徴がある?」
「首里城の復興状況について知りたい!」

そんな方は、ぜひ記事に目を通してみてくださいね。

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【首里城の歴史】いつ誰がなぜ建てたもの?

まずは、首里城が生まれた流れについて取り上げます。いったいどんな人物が、首里城を建設したのでしょうか。

首里城のはじまり

首里城は、14世紀なかばに尚巴志(しょうはし)によって丘陵地帯の上に建設されました。具体的な建設年は、よく分かっていません。

歴史研究家・上里氏が監修した尚巴志の肖像イラスト

歴史研究家・上里氏が監修した尚巴志の肖像イラスト(©和々)

首里城をはじめとした沖縄地方の王城は、グスクと呼ばれます。

・城壁が曲線を描いている
・多くの広場を持つ
・信仰に使用する聖地がある

首里城は上記のようなグスクの特徴を保持しつつ、独自の発展を進めていきました。建設後は、約450年間にわたって王城として使用されています。

首里城の建設者

琉球王国の初代国王である尚巴志が、首里城を建設しました。

尚巴志とは、かつて別々の政治勢力に分裂していた三山(中山・山北・山南)を統一した人物です。

創建後は首里城を拠点に据えて、琉球王国を統治していきました。

首里城建設の背景

首里城は、国王とその家族が暮らす「王宮」以外に、政治をおこなう「首里王府・本部」としての役割ももっていました。

このほかにも「王国祭祀の運営拠点」「文化芸術の発展場」などの意義もあったと考えられています。

さまざまな目的を達成するために、首里城は建設されたのです。

【首里城の歴史】建築や構造の特徴

次に、城の建築や構造の観点から、首里城を紐解いていきます。

首里城の建築様式

首里城は、グスク特有の「内郭が外郭(城壁)に囲まれている」「内郭に正殿をはじめとした建物が建造されている」といった構造で建築されています。

こういった点は沖縄の王城ならではのポイントですが、鮮やかな朱色や龍のデザインなどが使われている「唐玻豊(からはふう)」などからは、日本・中国の建築との共通点が見えます。

首里城の正殿

首里城の正殿

「唐玻豊」とは、首里城の顔ともいえる正殿の中央部分のことです。日本に伝わる和風建築をもとにしているため、古くから続く日本との交流が見て取れます。龍の装飾は、中国から影響を受けたものでしょう。

これに加えて、加工していない石を積み上げる石積み技術も特徴的です。この石積み技術を使って、城郭の優美な曲線を描いています。同じような石垣は本土でも見られるため、日本から伝わった技術であることが予想できます。

独自の特徴をもちながらも、日本・中国の影響も強く受けているところが、首里城の建築・構造の魅力です。

世界遺産としての価値

2000年に、首里城は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。

琉球王国のグスク及び関連遺産群は、今帰仁城跡(なきじんじょうあと)、座喜味城跡(ざきみじょうあと)、勝連城跡(かつれんじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、首里城跡、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、識名園(しきなえん)、斎場御嶽(せーふぁうたき)からなる。写真は今帰仁城跡の石垣

琉球王国のグスク及び関連遺産群は、今帰仁城跡(なきじんじょうあと)、座喜味城跡(ざきみじょうあと)、勝連城跡(かつれんじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、首里城跡、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、識名園(しきなえん)、斎場御嶽(せーふぁうたき)からなる。写真は今帰仁城跡の石垣(©沖縄観光コンベンションビューロー)

全ての遺産において高い価値がありますが、その一つである「首里城跡」の「首里城正殿基壇の遺構」は、とくに重要な文化財だと認識されています。

基壇とは、城などを支える土台のことです。首里城の正殿基壇をみてみると、奥に行くにつれて時代が古くなっていることがわかります。

これらの情報から考えると、最低でも7回以上は正殿が建て替えられたことが予測できます。歴史の深さを感じることができる、大変価値のある遺構です。

【首里城の歴史】火災と再建

首里城は、火災とともに長い歴史を歩んできた王城です。この段落では、首里城を語るうえでは避けて通れない「火災と再建」について取り上げます。

首里城と火災の歴史

首里城は、これまでに何度も火災に見舞われてきました。そして、そのたびに復元を繰り替えしてきた建造物でもあります。過去には、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の攻撃で全焼したこともありました。

その後、日本全体の復興にともない、1施設ずつ復元を達成。沖縄本土復帰20周年となった1992年には、正殿も無事にもとの姿を取り戻しました。

またも発生した火災による焼失

復興を遂げた首里城はのちに世界遺産にも認定され、沖縄のシンボルとして認知度を高めていました。しかし、2019年10月31日に発生した火災によって、正殿を含む多くの施設が焼失。

2019年12月に撮影された火災後の首里城

2019年12月に撮影された火災後の首里城

炎に包まれる首里城をニュース番組などで目にして、ショックを受けた人も多いのではないでしょうか。

全焼したのは正殿、北殿、南殿・番所、書院・鎖之間、黄金御殿、二階御殿の6棟でした。これに加えて、奉神門と女官居室が部分焼となり、損害額は約53億円と発表されています。なお、火災による死傷者はいませんでした。

火災の原因は、調査書において「正殿の1階で通電していた延長コードと、その先の発光ダイオード(LED)照明器具で何らかの電気的異常があった」との指摘がなされています。
(出典:首里城の火災、消防「原因不明」(2021年3月4日)|ロイター通信

首里城再建作業

首里城を早くもとの姿に復元させるべく、火災後には再建作業が始まりました。これまでに行われた再建作業や、復興活動の記録は以下のとおりです。

2019年
公園利用区域の拡大、復興モデルコースの設定、ライトアップ一部再開など

2020年
赤瓦の漆喰はがし、大龍柱の補修作業、「新春の宴」「首里城復興祈念公演」「首里城祭」開催、正殿遺構などの一般公開開始など

2021年
奉神門の完成、磚瓦(せんが※1)の撤去、連結送水管工事の着手、仮設見学デッキや解説板の作成、「首里手作り市」開催など

(※1)土を焼いて生成した煉瓦

2022年
オキナワウラジロガシ後継木育成(正殿に使用)、久志間切弁柄(くしまぎりべんがら※2)の塗装試験(正殿に使用)、木材倉庫・原寸場の完成、破損瓦のシャモット(※3)製作、正殿復元整備工事の起工式開催など

(※2)沖縄県名護市久志で取れるバクテリア由来の赤色顔料
(※3)瓦を砕いて粉状にしたもの

首里城の再建完了はいつ?

首里城は、2026年までの再建完了を目指しているところです。正殿の工事も開始され、復興作業は着実に進んでいます。今しか見ることができない「復興工事中の様子」を見学できるエリアを設置して、話題にもなりました。

・木材倉庫・原寸場見学エリア
職人が木材を扱う様子を見学

・大龍柱補修展示室
補修が終わった大龍柱を展示

・首里城復興展示室
火災後の残存物を展示

・世誇殿
大スクリーンにて首里城ムービーを上映

・女官居室
ミュージアムショップを設置

「復興したら見に行こう!」というのももちろんすてきな考えですが、今まさに再建をおこなっている首里城の姿を目に焼き付けておくのもおすすめです。

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まとめ

首里城は、沖縄の伝統が詰まった歴史的な建造物です。沖縄独特の文化と日本・中国の文化が入り混じった外観はとても美しく、多くの人々を惹きつけていました。

2019年に発生した火事によって、正殿を含む多くの部分が消失してしまいましたが、2026年までに復興工事は完了する予定です。

復興工事をおこなっている現在も、基本的に首里城は見学可能です。伝統工芸品や歴史スポットといった魅力的な要素がたっぷり楽しめる沖縄へ、ぜひ足を運んでみてくださいね。

Text:岩井パン Edit:Sakura Takahashi
Photo:PIXTA(特記ないもの)

参考文献:
上里隆史『琉球という国があった』(福音館書店/2012年)
TAC出版編集部『おとな旅プレミアム沖縄 '19-'20年版』(TAC出版/2018年)

参考:
首里城公園公式サイト首里城復興サイトおきなわ物語内閣府首里城の火災、消防「原因不明」|ロイター通信(2023年9月8日閲覧)/世界遺産の首里城で火災、正殿などが全焼|BBC NEWS JAPAN(2023年9月8日閲覧)/がじゅまるの樹の下で。Okinawa Media Library