南蛮渡来のゲーム「ウンスンカルタ」とは
ユニークな「ウンスンカルタ」の絵柄
「ウンスンカルタ」のルール
「ウンスンカルタ」を体験してみよう
まとめ

多くの日本人になじみの深い「カルタ」は、お正月の娯楽としてもよく知られている日本独特のゲームです。最近ではアニメの影響もあり、カルタに興味を持つ海外の人も増えているといいます。

もちろんカルタといっても種類はいろいろ。中でも特にポピュラーなのは「いろはカルタ」や「百人一首」などでしょう。ところが今回紹介する「ウンスンカルタ」は、ほかのどんなカルタとも似ていません。今回はそんな謎のカルタ「ウンスンカルタ」の由来や特徴、魅力について紹介します。

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伝統工芸

南蛮渡来のゲーム「ウンスンカルタ」とは

「犬も歩けば棒に当たる」で始まる「いろはかるた」には、着物や浴衣などを着た日本人の姿や日本の風景・風習などが描かれています。また、競技カルタに参加したことのある人なら、「百人一首」に描かれた平安貴族の姿や和歌をイメージするかもしれません。

日本のかるた

カルタといえば「いろはカルタ」が一般的

今回ご紹介する「ウンスンカルタ」の絵柄は、非常にユニーク。和風というよりも西洋風や中国風のものがほとんどで、パッと見ても、とても日本のものとは思えません。それぞれのカードに付いている名前も「ロバイ」や「コツ」といった調子で日本語ばなれしています。

ウンスンカルタの絵柄

西洋の剣や竜などユニークな絵柄が並ぶ

江戸時代に生まれたゲーム「ウンスンカルタ」

ウンスンカルタのルーツは16世紀の大航海時代までさかのぼります。当時ポルトガルの船乗りたちが港で遊んでいたカードゲームが、日本で「南蛮カルタ」と呼ばれていました(ちなみに「カルタ(carta)」というのはポルトガル語で、現代では「トランプ」や「手紙」と翻訳されます)。

その南蛮カルタを見よう見まねで覚えた日本人は、さらにアレンジを加えて「天正カルタ」を作り出します。江戸中期に入ると絵柄が追加され、やがて「ウンスンカルタ」と呼ばれて全国に広まりました。

ポルトガルのカード

ポルトガルの船乗りたちが港で遊んでいたカード

人吉だけに「ウンスンカルタ」が残ったのはなぜ?

一時は日本中で流行したウンスンカルタですが、18世紀の終わり頃になると幕府の命令で一切の遊戯が禁止され、ウンスンカルタも衰退していきます。それでも日本で1カ所だけ、取り締まりを逃れてウンスンカルタが生き延びた地域がありました。それが熊本県の「人吉」です。

ウンスンカルタ全体

独特な絵柄のウンスンカルタが人吉に根付いた

人吉だけにウンスンカルタが残った理由とはなんでしょうか。残念ながらはっきりした答えはわかりませんが、おそらく人吉の「地形」と「文化」に関係があると考えられています。

人吉は九州山地などの険しい山脈に囲まれた盆地です。このため江戸時代にはアクセスが不便で、外から人吉に入るには厳しい山越えが必要でした。また盆地内には球磨川という大きな川やその支流が流れているため、冬になると毎朝のように濃霧が発生し、それが昼間で続く日もあります。こうした特徴を考えると、江戸時代の人吉は外部との接触があまりない一種の「秘境」だったといえそうです。

一方で、江戸時代の人吉一帯は「肥後人吉藩」という独立した藩でした。当時の城下町にあたるのが現在の人吉市中心部で、かつては武士や農民、職人、商人など、さまざまな階級の人で大いに栄えていたといいます。もしかすると、ウンスンカルタなどで遊ぶ盛り場のようなところもあったかもしれません。

外からの取り締まりの目は届かず、内側は栄えている土地。作家の司馬遼太郎は人吉のことを「日本でもっとも豊かな隠れ里」と呼びました。ウンスンカルタが現代まで生き延びることができたのも、こうした人吉の特徴を考えると納得です。

人吉地域イメージ

「日本でもっとも豊かな隠れ里」人吉の風景

昭和時代の初めごろまで、ウンスンカルタは人吉球磨地方で広く遊ばれていました。特に盛んだったのは「鍛冶屋町(かじやまち)」と呼ばれる一帯です。ここは江戸時代から鍛冶屋が集中していた場所で、仕事を終えた職人たちが毎日のようにウンスンカルタを楽しんでいたといいます。

戦後になるとウンスンカルタを知る人も少しずつ減り、平成に入る頃にはわずか「14〜15人程度」という、消滅の危機に直面しました。しかし地域の愛好家や保存会の活動によってウンスンカルタは守られ、現在では再び注目を集め始めています。

鍛冶屋町

ウンスンカルタが盛んだった「鍛冶屋町」

ユニークな「ウンスンカルタ」の絵柄

ウンスンカルタは全部で75枚のカードから構成されており、一般になじみのある花札やトランプより枚数が多めです。ここではイメージしやすいようトランプと比較しながら説明していきます。

額縁に入ったかるた

ウンスンカルタは75枚で構成される

まずトランプの「スペード・ハート・クラブ・ダイヤ」に相当するのが「パオ(棍棒)・イス(剣)・コツ(聖杯)・オウル(貨幣)・グル(巴紋)」。トランプが4種類なのに対し、ウンスンカルタは5種類というところが大きな違いのひとつです。

絵柄の説明

左から、パオ・イス・コツ・オウル・グル

次にトランプの「A・2〜10・J・Q・K」に相当するのが「スン(唐人)・ウン(七福神)・ソウタ(女王)・ロバイ(竜)・レイ(従者)・カバ(騎士)の絵札と、1〜9の数札」。トランプの13種類に対してウンスンカルタは15種類です。ちなみに1〜9のカードについては、たとえばイス(剣)なら剣を1本〜9本描くことで表現します。

数の表現の説明

上 / 左から、スン・ウン・ソウタ 下 / 左から、ロバイ・レイ・カバ

筆者が面白いと思ったのは「コツ(聖杯)」のカードです。南蛮カルタを見た日本人にとって、おそらく一番イメージしにくい絵柄が「キリスト教の聖杯」だったのではないでしょうか?ウンスンカルタの「コツ」は、どう見ても「聖杯=コップ(カップ)」というより、何かの木の実のような気がします。

数を表す絵柄

左から、コツのソウタ・コツの1・コツの9

地域でウンスンカルタを盛り上げる

鍛冶屋町では「鍛冶屋町通りの町並み保存と活性化を計る会」の方々が、ウンスンカルタ普及を含む地域おこし活動に取り組んでいます。同じような団体は全国にありますが、鍛冶屋町通りの取り組みは非常に熱心で、2005年の「くまもと県民文化賞」をはじめ多くの表彰や認定を受けているそうです。

実際に鍛冶屋町を歩いてみると、ウンスンカルタや人吉の名物をモチーフにしたものがたくさん見つかります。たとえば「ウンスンカルタのステンドグラス」(「世界一小さな美術館CHOBI」の窓)や「ウンスンカルタのタイル」(「ウンスンカルタの家」の前の路上)などなど…。ぜひ現地を訪れて、自分の目で確かめてみてください。

ステンドグラスにロバイ

建物にはめ込まれた「ロバイ(竜)」のステンドグラス

オウルとコツのタイル

路上にはめ込まれた「オウルのウン」と「コツの3」のタイル

「ウンスンカルタ」のルール

ウンスンカルタのルールを覚えるには、実際に教えてもらいながらプレイするのが一番です。ですがここでは、簡単に基本ルールを紹介します。

まず、ウンスンカルタは4対4で競うチーム戦です。プレイ中は敵と味方が交互に並び、ぐるっと円を描くように座ります。その中の一人が最初にカードを切り、各人の前に伏せた状態で配ったら(一人あたりの手札は9枚)ゲーム開始です。

次に、それぞれのカードには、トランプと同様に絵柄や数によって強弱があります。ゲーム中は一人一枚ずつカードを出していき、一巡したなかで最も強いのカードを出した人が、ほかのカードをすべて取ります。それを手札が無くなるまで繰り返して、最終的にメンバー全員のカード数が多い方のチームが勝ちです。

ちなみにどの絵が一番強いか、どの順番で強弱が決まるかはゲームの流れによって決まるため、ここでは説明しきれません…やはり実際に参加して、ぜひ自分の目で確かめてみてください!

絵柄説明のカード

絵柄によって強さが変わる

「ウンスンカルタ」を体験してみよう

人吉だけに伝わるウンスンカルタ。それを体験するには、実際に人吉を訪れてみるのが一番の近道です。

ウンスンカルタの家で遊ぶ

昭和時代の中頃までウンスンカルタが盛んだった鍛冶屋町には「ウンスンカルタの家」があります。ここではウンスンカルタに関する資料が収蔵・展示されているほか、事前に予約をすれば実際にウンスンカルタで遊ぶこともできます。

ウンスンカルタの家

ウンスンカルタの専門施設「ウンスンカルタの家」

建物の中に入ると、細長い階段を登っていきます。なんとなく秘密めいた雰囲気に、江戸時代の弾圧を生き延びてきたウンスンカルタにぴったりな印象を受けます。

ウンスンカルタの家の中

大きな「ロバイ」を見つめながら階段を上る

3階まで登ると、展示品とプレイ用の円卓があります。ここに展示されているのはウンスンカルタの原型となった南蛮カルタの画像やウンスンカルタの普及に努めた人たちの記録など、他ではなかなか見ることのできないものばかりです。

ウンスンカルタの資料たち

展示されているウンスンカルタの資料

実は、ウンスンカルタには「世界大会」があります。毎年10月に開催され、今年(2019年)でなんと16回目。「人吉だけに残る遊びなのに世界大会?」と不思議に思うかもしれませんが、実はこれには訳があるのです。

世界大会の発起人は、ウンスンカルタの保存と普及に取り組む「鍛冶屋町通りの町並み保存と活性化を計る会」の立山茂さん。しかし第1回の大会を開催した2004年当時は「もうウンスンカルタの普及は難しいかもしれない」と挫折を感じていたそうです。

「せめて最後の打ち上げ花火に」と大会を企画し、さらに「どうせやるなら」とポルトガルの大使館に連絡を取って国旗と国歌の使用許可をお願いしたところ、なんと当時のポルトガル大使が来場。新聞にも取り上げられ話題となりました。

予想を超えて盛り上がった大会は第2回、第3回と続き、全国からの参加チームも年々増えているそうです。今後は海外からの参加者もどんどん増やしていきたいと、立山さんは話します。

世界大会の結果

毎年10月に開かれる「世界大会」

「ウンスンカルタ」でいざ、勝負!

今回の記事の最後は、筆者自らがプレイする様子をレポート!…と思ったのですが、残念ながらウンスンカルタはチーム戦。基本は4対4で、特別ルールなら3対3でも可能とのことでしたが、私と同行者、そして立山さんを含めても3人。今回は残念ながらプレイできませんでした。

せっかくですから、「プレイしている」雰囲気の写真を紹介します。実際の遊びのダイジェスト版としてご覧ください。

かるたを円に並べる

白いクロスを敷いた円卓にカードを配っていく

手札を確認

自分の手札を確認したら、勝負!

カルタを総取り

一番強いカードを出した人が場のカードを総取り

最後に、立山さんに「ウンスンカルタを普及させる極意」を伺いました。それは「勝ち負けではなく楽しく遊ぶこと」です。この極意、実はウンスンカルタの家にも掲示されています。

ウンスンカルタをプレイして、悔しい思いをしたり腹を立てたりするようなことがあっては本末転倒。勝っても負けても「楽しかった。またこの人たちとウンスンカルタをやりたい」とみんなが思うことができれば、ウンスンカルタはこの先もどんどん普及していくことでしょう。

ウンスンカルタを遊ぶ心構え

ウンスンカルタを未来に残すための心構え

「ウンスンカルタ」を体験しに行こう

全国でも人吉だけに残る「ウンスンカルタ」。その魅力は実際のカードに触れ、実際にプレイしてこそ初めて分かるもの。ぜひみなさんも、人吉に行ってウンスンカルタを体験してみてください。不定期に地域イベントも開催されているそうなので「どうしても人数を集められない」という場合も、まずは相談してみましょう!