- 1. 国民の祝日「昭和の日」はどのような日?
- 「昭和の日」の意味
- 4月29日=昭和天皇の誕生日
- 2. 「昭和の日」はいつからある? 制定の経緯
- 「天皇誕生日」から「みどりの日」に変わる
- 2007年から「昭和の日」として存在
- 3. 歴代天皇の誕生日
- 明治天皇の誕生日はいつ?−「明治の日」はあるのか
- 大正天皇の誕生日はいつ?−「大正の日」はあるのか
- 上皇さま(明仁さま)の誕生日はいつ?
- 天皇陛下(徳仁さま)の誕生日はいつ?
- 4. 昭和年表|時事トピック・日本国内の流行など
- 戦前
- 戦中
- 戦後(復興期)
- 戦後(高度経済成長期)
- 戦後(バブル経済突入期)
- 5. 昭和天皇の生涯・功績・人柄
- 早くから政治に携わってきた昭和天皇
- 仲睦まじい夫婦だった昭和天皇と香淳皇后
- 戦争が終わり、重い責任が残った
- これまでにない「象徴天皇」としての務め
- 生物学者として
- おわりに
春になり、ゴールデンウィークも近くなって、うきうきとしてきますね。
祝日と土日があるために、休みの日が多くなるわけですが、その祝日について意味や由来をご存知ですか?
この記事では4月29日の「昭和の日」について解説していきます。
※本記事に掲載の情報は2024年4月時点のものです。諸事情により変更となる場合がありますので、お出かけ等の際は、公式サイト等で最新情報をご確認ください。
1. 国民の祝日「昭和の日」はどのような日?
「昭和の日」の意味
「昭和の日」の意味については、衆議院で祝日法改正案で「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日として提出されています。この法改正案が2005(平成15)年に成立となり、2007(平成19)年より施行されました。
4月29日=昭和天皇の誕生日
「昭和の日」はなぜ4月29日なのか。それは4月29日が昭和天皇の誕生日だからです。1988年までは「天皇誕生日」として祝日でした。
2. 「昭和の日」はいつからある? 制定の経緯
「天皇誕生日」から「みどりの日」に変わる
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が崩御したことで昭和の時代が終わりました。現在の上皇さま(明仁さま)が天皇に即位し、平成に時代が始まったので、平成の間の天皇誕生日は明仁さまの誕生日である、12月23日となりました。
ただ、昭和天皇の誕生日だった4月29日は、国民が楽しみにしているゴールデンウィークの始まりにあたることや、昭和の時代が長かったので休日としての認識が定着していることから、祝日として残しておこうという意見がありました。
当時は「昭和記念日」などの名前で、昭和にちなんだ新祝日として残す案がありましたが、1989年(平成元年)以降の4月29日は「みどりの日」という名称で残ることになりました。
2007年から「昭和の日」として存在
2007(平成19)年1月1日施行の改正祝日法で、同年以降の4月29日は「昭和の日」と定められました。「みどりの日」はそれまで「国民の休日」であった5月4日に変更されました。5月4日は「憲法記念日(5月3日)」と「こどもの日(5月5日)」の祝日に挟まれた日で、それまでは通称〝国民の休日〟と呼ばれる暫定的な休日でした。
このように制定されたのが昭和の日なので、「いつからあるか」と聞かれれば、「2007年から」とも言えますすし、それよりも前から元となる祝日があった、とも言えます。
4月29日と5月4日の移り変わり
3. 歴代天皇の誕生日
もともと日本ではその時代の天皇の誕生日を「天長節(てんちょうせつ)」と呼び祝日としていました。現在は「天皇誕生日」という名前の祝日となっています。ここでは歴代天皇の誕生日について紹介します。
明治以降の歴代天皇の誕生日一覧
●明治天皇…………………11月3日
●大正天皇…………………8月31日
●上皇陛下(明仁さま)…12月23日
●天皇陛下(徳仁さま)…2月23日
明治天皇の誕生日はいつ?−「明治の日」はあるのか
明治天皇の誕生日は11月3日です。現在は「文化の日」となっていますが、変遷をまとめると次の通りです。
①在位期間中の1911(明治44)年まで
11月3日=「天長節」という祝日(※1)
②1912年(大正元年)〜1926(昭和元)年
11月3日=平日となる(※2)
③1927(昭和2)年〜1947(昭和22)年
11月3日=「明治節」という祝日(※3)
④1948(昭和23)年〜
11月3日=「文化の日」(※4)
ちなみに法律では「文化の日」とは「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としていて、明治天皇の誕生日を記念する日とは明記されていません。
ということでまとめると、「明治の日」は存在しませんが、過去「明治節」という祝日が存在しました。
※1 年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官第344号布告)
※2 休日ニ関スル件(大正元年勅令第19号)
※3 休日ニ関スル件(昭和2年勅令第25号)
※4 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)
大正天皇の誕生日はいつ?−「大正の日」はあるのか
大正天皇の誕生日は8月31日です。現在は平日となっています。大正天皇が在位中は、8月31日が天長節でしたが、暑さが厳しい時期に式典を行うことが難しく、10月31日を「天長節祝日」として祝日が設けられたそうです。
というわけで、「大正の日」は過去存在したことはありません。
上皇さま(明仁さま)の誕生日はいつ?
上皇陛下の誕生日は12月23日です。現在は平日となっています。
天皇陛下(徳仁さま)の誕生日はいつ?
現在の天皇陛下の誕生日は2月23日で、「天皇誕生日」として祝日となっています。
明治〜令和までの歴代天皇の誕生日
このように、歴代天皇の誕生日は、現在祝日である場合と、平日である場合があります。祝日として存在する明治天皇の誕生日=11月3日は、「文化の日」となっているため、「昭和の日」に相当するような「明治の日」「大正の日」「平成の日」というものは存在していません。
4. 昭和年表|時事トピック・日本国内の流行など
昭和という時代は戦争があり、戦後は急速に発展し、景気もよくなり、とても戦争で焼け野原になったとは思えない成長を遂げた、まさに激動の時代でした。
昭和を大きく分けると、戦前、戦中、戦後、ということになりますが、戦後はまたもう少し分けて、復興期、高度経済成長期、バブル経済突入期と分けられます。
戦前は1939(昭和14)年まで、戦中は1939(昭和14)年から1945(昭和20)年まで。戦後は1945(昭和20)年から1989(昭和64)年までということになります。
戦前【1926(昭和元)年〜1939(昭和14)年】
1928(昭和3)年、「ビーチパジャマスタイル」で銀座の通りを歩くモガ(出典:File:Kagayama mogas.jpg/Kagayama Kyoyo, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争、そこから第二次世界大戦、太平洋戦争へ発展していきます。
●1927年(昭和2)
モボ・モガ流行。それぞれ「モダンボーイ」、「モダンガール」の略です
●1930年(昭和5)
「銀ブラ」という言葉が流行。意味は「銀座通りをぶらぶら散歩すること」
●1931(昭和6)
満州事変。日産自動車が小型自動車「ダットサン」の生産を開始
●1932(昭和7)
満州国建国、五・一五事件
●1933(昭和8)
国際連盟脱退
●1934年(昭和9)
女性の間でパーマが流行
●1936(昭和11)
二・二六事件
●1937(昭和12)
盧溝橋事件、日中戦争開戦。時代の雲行きが怪しくなり、『愛国行進曲』『海ゆかば』などの歌曲が流行。流行語は「挙国一致」「国民精神総動員」「千人針」など
奉天(瀋陽)に入る日本軍(出典:File:Mukden 1931 japan shenyang.jpg/不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
戦中【1939(昭和14)年〜1945(昭和20)年】
真珠湾攻撃、攻撃後の空撮(出典:File:Pearl Harbor- Nakajima B5N2 over Hickam- 80G178985.jpg/不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
アメリカのハワイ州・オワフ島への奇襲攻撃「真珠湾攻撃」によって太平洋戦争が開戦。
1945(昭和20)年、原爆投下等により日本は敗戦を受け入れ、ポツダム宣言を受諾します。これにより太平洋戦争・第二次世界大戦は終結。同年8月15日、昭和天皇はラジオ放送において自らの声で終戦を伝えました。「玉音放送」と言われるものです。
それまで一般市民は昭和天皇の声を聞いたことがなく、ラジオの前で正座や平伏して聞いた人も多かったといいます。その様子がよくドラマなどで再現されますね。当時、天皇は神でしたから、声を聞くなどということは大変なことだったのです。まして、それが「日本は戦争に負けた」という内容だったので更に重く受け止められたでしょう。
●1939(昭和14)
第二次世界大戦の開戦
●1940年(昭和15)
流行歌は『月月火水木金金』、流行語は「贅沢は敵だ」などと戦争の影が濃くなります
●1941(昭和16)
真珠湾攻撃を行い太平洋戦争開戦
●1942年(昭和17)
流行語は「欲しがりません勝つまでは」「産めよ殖やせよ」と、戦争がらみです。戦時下では楽しそうなものが流行ることなど、あるわけもなかったのです
●1945(昭和20)
東京大空襲、アメリカ軍の沖縄上陸、広島・長崎への原子爆弾投下、ポツダム宣言受諾
戦後(復興期)【1945(昭和20)年〜1955(昭和30)年】
街頭テレビに集まる観客。1954(昭和29)年、国際プロレスリング大会の力道山戦放映時(出典:File:Street televisions in Japan.JPG/不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
戦後は焼け野原だったところから急速に復興が進み、発展しました。復興を象徴する東京オリンピックや大阪万博も開催されました。
1945(昭和20)年から1952(昭和27)年までの7年間は、日本史上初めて他国 (アメリカ)の占領下に置かれていた時代です。その後、1952(昭和27)年のサンフランシスコ平和条約の発効と同時にGHQは解体され、日本は主権を回復しました。
日本はこの頃から高度経済成長期と呼ばれる時期に入っていきます。テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電製品は「三種の神器」と呼ばれ、高度経済成長期のシンボルのような存在でした。
だいたい1973(昭和48)年頃までを高度経済成長期といいます。同年のオイルショックが高度経済成長期の終わりとされています。
●1946年(昭和21)
戦後まもなく、流行歌は『リンゴの唄』(並木路子)が流行し、また漫画『サザエさん』(長谷川町子)の連載が始まります
●1949年(昭和24)
美空ひばりレコードデビュー(11歳)
●1951(昭和26)
サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約を締結
●1952(昭和27)
GHQ解体。映画『風とともに去りぬ』(監督=ヴィクター・フレミング)日本初公開。漫画『鉄腕アトム』(手塚治虫)連載開始
●1953年(昭和28)
地上波テレビ初放送。当時はもちろん白黒。高価なものでもありましたので、街頭テレビが設けられ、人気番組の時にはみんなが集まったといいます
●1954年(昭和29)
映画『ゴジラ』(監督=本多猪四郎)公開。今でも続くゴジラシリーズの第1作目は70年前に公開されたものだったのですね。この時の伊福部昭(いふくべ あきら)によるテーマ曲は、今でも「ゴジラと言えば」の名曲です
戦後(高度経済成長期)【1955(昭和30)年〜1973(昭和48)年】
1964(昭和39)年、東京オリンピック閉会式(出典:File:Tokyo Olympic Closing Ceremony 19641024.jpg/Project Kei, CC BY-SA 4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
●1956(昭和31)
国際連合に加盟
●1957年(昭和32)
「三種の神器」として洗濯機、冷蔵庫、テレビ(白黒)が家庭に入ってきました。コカ・コーラが日本で発売されたのもこの年です
●1958(昭和33)
東京タワー完成
●1959年(昭和34)
当時の皇太子・明仁さまと美智子さま(現・上皇さまと上皇后さま)のご成婚があり、パレードがテレビで生中継されました。これにともないテレビの売れ行きが急増
●1960年(昭和35)
タカラから発売された人形「ダッコちゃん」がブームに
●1961年(昭和36)
『上を向いて歩こう』(坂本九)がヒット。「巨人・大鵬(たいほう)・卵焼き」は子どもが好きなものの代表でした
●1963年(昭和38)
『高校三年生』(舟木一夫)がヒット。舟木さんは現在でもショーの際に必ずこの歌を歌います
●1964(昭和39)
新幹線開業、東京オリンピック開催。人形劇『ひょっこりひょうたん島』(TBS)がテレビで放送され人気に。『明日があるさ』(坂本九)、『柔』(美空ひばり)がヒット
●1966年(昭和41)
ビートルズ(The Beatles)来日。「新三種の神器」としてカー(車)・クーラー・カラーテレビの「3C」が非常に売れました
●1967年(昭和42)
ミニスカートブーム。イギリスのモデル・女優で「ミニ(スカート)の女王」と呼ばれたツイッギー・ローソンが来日したため話題になったようです
●1968年(昭和43)
国内総生産(GDP)世界第2位へ。三億円事件発生
●1969年(昭和44)
『長崎は今日も雨だった』(内山田洋とクール・ファイブ)、『ブルーライトヨコハマ』(いしだあゆみ)がヒット。テレビ番組では『水戸黄門 第1部』(TBS)、『8時だョ!全員集合』(TBS)が放送開始
●1970(昭和45)
大阪万博開催。三島由紀夫自決
●1972(昭和47)
冬季札幌オリンピック開催。沖縄返還。上野動物園にパンダがやってくる。あさま山荘事件発生
●1973(昭和48)
オイルショック。『神田川』(南こうせつとかぐや姫)がヒット。
1971(昭和46)年頃の店頭の風景(出典:File:71-1431 Nagano, Japan 1971 (51404683862).jpg/wilford peloquin, CC BY 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
戦後(バブル経済突入期)【1973(昭和48)年〜1989(平成元)年】
●1975年(昭和50)
『およげ!たいやきくん』(子門真人)が大ヒット。日本でレコード売り上げ枚数が最も多いシングル盤(※5)です。キャンディーズ、山口百恵がデビュー
●1976年(昭和51)
ピンク・レディーがデビュー
●1980年(昭和55)
松田聖子がデビュー
●1982年(昭和57)
『待つわ』(あみん)、『聖母たちのララバイ』(岩崎宏美)がヒット、映画では『E.T.』(監督=スティーブン・スピルバーグ)、『セーラー服と機関銃』(監督=相米慎二)がヒット。中森明菜も1982年デビューです。ストーンウォッシュのジーンズも流行しました
●1983(昭和58)
東京ディズニーランド開園。任天堂から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」発売
●1984(昭和59)
グリコ・森永事件。映画『風の谷のナウシカ』(監督=宮崎駿)公開。エリマキトカゲがCMになるほど流行りました
●1985(昭和60)
国際科学技術博覧会(つくば万博)開催。日本航空123便墜落事故。おニャン子クラブがデビュー。ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)発売
●1986(昭和61)
バブル景気が始まる
●1987(昭和62)
国鉄が分割民営化しJR発足。ボディコン、ワンレングスが大流行。バブルを感じさせますね
●1988(昭和63)
青函トンネル開通。瀬戸大橋開通。映画『となりのトトロ』(監督=宮崎駿)、「火垂るの墓』(監督=高畑勲)、『ラストエンペラー』(監督=ベルナルド・ベルトルッチ)公開。ドライビールが大流行。この年の後半から昭和天皇の具合が悪くなり、色々なものが自粛ムードとなっていきました
●1989年(平成元)
1月8日から元号が変わり、「平成」の時代が始まりました
※5 最も売れたシングル一覧 日本 フィジカルセールス|Wikipediaより
机上型ゲーム機も人気を博しました。写真は京都市内の銭湯のインベーダーゲーム(2005年頃)(出典:File:Space Invaders.JPG/Tomomarusan, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
5. 昭和天皇の生涯・功績・人柄
早くから政治に携わってきた昭和天皇
昭和天皇は1926(昭和元)年から1989(昭和64)年まで在位していました。在位期間は、歴代天皇の中で一番長い62年です。
昭和天皇は1901(明治34)年生まれ。皇太子となったのは15歳の時です。父上の大正天皇は、1921(大正10)年頃から病気のため体調が優れず、昭和天皇は天皇に即位する前の満20歳から摂政に就任し、務めを果たしていました。そして1926(昭和元)年、昭和天皇25歳の時に天皇に即位します。
当時の天皇は現人神(あらひとがみ)と言われ、崇め奉られる存在でした。政治や軍事にも関わっていましたし、その頃は戦争も多い時代でしたので、とても若いときから国や国民のことを思い、政治をされていたのでしょう。
仲睦まじい夫婦だった昭和天皇と香淳皇后
昭和天皇の結婚は1924(大正13)年。香淳皇后(こうじゅんこうごう)こと良子(ながこ)さまはちょうど20歳でした。結婚が決まるまで二人は会ったことがなく、当時は周囲が決める結婚でしたが、2男5女をもうけ、とても仲のいい夫婦だったようです。
昭和天皇と良子さまのお子様は女子が4人が続いたため、側室をすすめられたこともあったようですが、昭和天皇は断りになったそうです。昭和天皇には兄弟もいたため、自分たちの子どもが次の天皇を継がなくてもいいとお考えだったようです。
ですが、5人目のお子様は男子で、日本中が祝福ムードに包まれました。その時のお子様が今(2024年4月現在)の上皇さまです。
戦争が終わり、重い責任が残った
昭和天皇は普通では考えられないほど苦労をした方ではないでしょうか。20代から日本のトップに立ち、当時の日本は軍国ですから、昭和天皇は政治ばかりでなく軍事のトップでもありました。
昭和時代は初めからきな臭く、第二次世界大戦もあり、敗戦国となったことで、昭和天皇の立場もそれまでとは一転した生活になったことでしょう。
昭和天皇は終戦後「私はどんな犠牲を払つてもいゝといつた そしてその時ハ裁判ニ掛けられる事ニなつても仕方がないと思つたのだ(※6)」とまでお考えだったそうです。
1946(昭和21)年1月1日の年頭詔書では「天皇が現人神であるというのは架空の概念である」と述べられました。これがいわゆる「人間宣言」です。天皇は「象徴天皇」としての役目を果たしていくことになりました。
※6 NHK NEWS WEB 昭和天皇「拝謁記」戦争への悔恨-天皇の位にとどまるべきか 心の動きも記述より
これまでにない「象徴天皇」としての務め
昭和天皇は戦後、人間としての天皇という立場を全うされました。象徴天皇として日本各地を回り、一般の人々とも会話を交わすなどし、昭和天皇の「あ、そう」というお言葉が流行語になりました。
その後ヨーロッパやアメリカへも訪問され、1981(昭和56)年、昭和天皇は80歳になるのを機に、新年一般参賀にて初めて「お言葉」を述べ、以後恒例となっています。
1986(昭和61)年4月29日には、政府主催で天皇陛下御在位60年記念式典が催され、歴代天皇で在位最長を記録。しかしながら1987(昭和62)年頃から体調を崩し、1989(昭和64)年1月7日6時33分、昭和天皇は皇居吹上御所において87歳で崩御されました。
激動の時代を生き、若いころから政治を行い、神として崇められる対象から、ひとりの人間として生活をするという、立場も全く変わった時代の天皇でした。
昭和天皇の全国巡幸(1946年・大垣)(出典:File:Emperor Showa visit to Ogaki in 1946.JPG/不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
生物学者として
昭和天皇はまた、海洋生物・植物の分類研究を行う生物学者であったことでも知られています。著書も多数あり、『天草諸島のヒドロ虫類』(1969年/保育社)、『小笠原群島のヒドロゾア類』(1974年/保育社)などがあります。
ちなみに、4月29日が天皇誕生日ではなくなったのち、「みどりの日」と制定されたのは、このように昭和天皇が海洋生物や植物に造詣が深かったことが由来です。
おわりに
昭和という時代はとても長かったので、ひと口に「どんな時代だった」とは言えません。
また価値観も戦前と戦後では全く違うものになりました。昭和の終わりごろと今の生活は大きく変化していますが、戦前から戦後の変化はそれ以上だったと言えるかもしれません。
この激動の昭和という時代は日本史上、語られていくべき時代ではないでしょうか。
Text:hougaku_Omori Edit:Erika Nagumo
画像(特記ないもの):編集部
参考:
各「国民の祝日」について|内閣府
知ってそうで知らない「国民の祝日」とその趣旨や経緯|政府広報オンライン
上皇さま誕生日の12月23日、将来は祝日「平成の日」に?|東京新聞
文春オンライン|意外と知らない「天皇誕生日」の始まりとルール なぜ明治と昭和は休日で、大正は休みじゃない?|文春オンライン
昭和天皇・香淳皇后|宮内庁
昭和天皇について|昭和天皇記念館
年表|国立国会図書館
年代別 懐メロ歌謡曲ランキングー昭和史 豆知識ー
日本の流行・ブーム総まとめ
(参考情報)祝日法制定の経緯|内閣府
国民の祝日に関する法律|e-Gov法令検索
国民の祝日に関する法律|Wikipedia
年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム|Wikipedia
休日ニ関スル件|Wikipedia
明治節|Wikipedia
昭和館
昭和天皇「拝謁記」|NHK NEWS WEB
コトバンク
ほか