国産シェア90%手袋のまち・東かがわ市の歴史
海外からもオファー殺到!「福田手袋」の製造技術
香川県でお気に入りの手袋を買おう!
まとめ

冬は防寒具として、夏はUV対策として何気なく使っている「手袋」。みなさんは日本国内に手袋の産地があることはご存知でしょうか?

実は、国内で生産されている手袋の約9割が、香川県の東かがわ市で生産されているんです。130年以上も続く歴史とその技術力は、近年国内のみならず海外でも高く評価されています。

今回は、香川県生まれの手袋の魅力を探るべく、東かがわ市にある「香川のてぶくろ資料館」で誕生の歴史を調査。さら老舗の手袋工場で、製造工程を見学してきました。そこには、高品質な手袋を作り続けるためのこだわりが詰まっていました。

国産シェア90%手袋のまち・東かがわ市の歴史

そもそも、温暖な気候の香川県で、なぜ手袋産業が盛んになったのでしょうか。その秘密を知るべく、東かがわ市にある「香川のてぶくろ資料館」に訪れました。

香川のてぶくろ資料館

手袋の歴史や東かがわ市産の手袋を展示

僧侶の駆け落ちから始まった手袋産業の歴史

手袋産業の先人たち

手袋産業を発展させた先人たち

東かがわ市の手袋産業の歴史は、明治時代に遡ります。

明治21年、松原村(現在の東かがわ市松原)で僧侶をしていた両児舜礼(ふたご しゅんれい)が、近所に住んでいた三好タケノと共に大阪へ駆け落ち。そこで生計を立てるため、舜礼はタケノの隣家でやっていた縫製の仕事でお金を稼ぎ、その後手袋の製造に専念したのが、はじまりです。

明治24年1月、亡き父の仏事に松原村へ帰省した舜礼は、いとこの棚次辰吉(たなつぐ たつきち)と親戚二人を連れて帰阪し、さらに大阪で事業を拡大。しかしその年の6月、舜礼は脳涙結晶病で39歳の短い生涯を閉じるのです。

ミシンを使う棚次辰吉

自身が開発したミシンを使う棚次辰吉

大阪に連れられて来た棚次辰吉は舜礼の急死により遺業を継ぎ、手袋産業で成功を収めます。そして明治32年、松原村に帰郷。当時衰退期にあった製塩業に従事する人々を救済するべく、手袋商会「積善(しゃくぜん)商会」を設立、失業しかけた多くの人々の働き口を確保したのです。

これが大きなきっかけとなり、東かがわ市では手袋作りが産業のひとつとして広がっていくことに。

大正時代の大阪手袋株式会社縫工部

大正時代の大阪手袋株式会社縫工部

手袋製造が日本でさらに盛んになったのは、大正3年のこと。第一次世界大戦により、手袋生産の中心であったヨーロッパが戦地となってしまったため、日本に大量の注文が入ったのです。この需要をこなすため、東かがわ市を含む国内で、さらに多くの手袋工場が設立。より、手袋産業が東かがわ市をはじめ日本人にとって身近なものとなったのです。

作業用手袋たち

機能性を追求した作業用手袋

その後、手袋需要が以前より衰えるようになっても、東かがわ市ではビニール手袋の開発、さらにはゴルフ用、スキー用等のスポーツグローブから作業用まで多彩な手袋を製造。常に時代のニーズに応じた手袋を開発しながら事業は引き継がれ、今日に至るのです。

香川てぶくろ資料館の貴重な展示品

「香川のてぶくろ資料館」は、手袋産業120周年を記念してつくられた資料館。手袋の歴史的資料以外にも、有名スポーツ選手が実際に使用していたグローブや、かつて製造された貴重な手袋、大正時代より使われていた縫製器具などを展示しています。

川口能活選手使用グローブ

サッカー日本代表GK・川口能活選手使用

婦人用手袋

「神埼商店」製の婦人手袋

こちらは昭和5年ごろに作られた婦人用手袋。流れるような曲線が美しいベルトモチーフは、80年以上も昔のものとは思えない新鮮なデザインです。

手廻し単環ミシン

手廻し単環ミシン

手袋製造が始まった明治時代中期に使用されていた「手廻し単環(たんかん)ミシン」。1本の糸で縫うため、ほつれやすいという欠点がありましたが、簡単な構造であることから大正5年頃まではミシンの主流として使用され、昭和40年代まで活躍しました。

香川県民である筆者ですが、まさか香川の手袋の歴史が僧侶の駆け落ちから始まったとは思ってもみませんでした。手袋だけでなく、プロスポーツ選手が使うグローブなども香川で作られていると初めて知り、なんだかうれしい気持ちに。

海外からもオファー殺到!「福田手袋」の製造技術

福田手袋の手袋

海外でも人気の高い「福田手袋」

手袋産業の歴史が分かったところで、次はその製造技術を探るべく、創業100年以上の歴史をもつ東かがわ市の老舗手袋メーカー「福田手袋株式会社」を取材しました。

国内の大手百貨店や、ヨーロッパをはじめとする展示会でも高く評価されている同社には、一体どのような秘密があるのでしょうか。取締役・福田敦子さんの案内で、手袋の製造工程を見学してきました。

60年以上現役の機械を使って布を裁断

裁断部屋

裁断部屋

まずは手袋に使う布の裁断から始まります。歴史を感じる裁断部屋には、たくさんの布と道具がひしめきあい、並んでいました。

手袋の3つの型

写真左から / 親指の型、主型、マチ型

1つの手袋を製作するのに「親指・主(おも)・マチ」の3つの型を使用します。

裁断機械の「ポンス」

長年使用されている裁断機「ポンス」

手袋と同じくらいの長さに裁った布の上に型を置き、「ポンス」と呼ばれる機械を使って裁断します。「ガシャン!」という大きな音と共に機械が下がり、型が抜かれます。その後、きれいに布を抜くため、金槌で型をコンコンと叩き、布を抜き出します。

このポンスという機械は昭和35~40年ごろから使われているもの。さらにこれだけではなく、工房で使われているほとんどの機械が同時期のもので、何と60年以上も使われ続けているそう。半世紀以上という長い期間現役で動き続ける機械が、現代でも手袋産業を支え続けているのです。

高速刃の裁断機

高速で刃が回転する裁断機

型取りをした手袋の裾部分など、細かい部分はまた別の機械で裁断します。「こういう風に、きれいな製品を仕上げるための決まりごとがいくつもあるんです」と、敦子さんは話します。

手袋縫製を支えるこだわりのミシンと"ミリ単位"の縫製技術

裁縫部屋

大きな窓から明るい光が差し込む縫製部屋

次にミシンの音がリズミカルに響く縫製部屋へと移動します。

二重環ミシン

下糸が二重になる「二重環ミシン」

福田手袋で長年使用されているこのミシンにはちょっとした秘密が。

一般的なミシンは、上糸と下糸、2本の糸を1回交差させることによって縫いあげていきますが、この「二重環(にじゅうかん)ミシン」は、下糸が2回交差します。すると、下側の糸が二重になり、手袋が伸び縮みした際にも対応できるゆとりと、強度がつくられるのです。

ベテラン縫い子さんの作業風景

この道50年以上の、ベテラン縫い子さん

縫製を行う「縫い子さん」は、20代~70代と、幅広い年齢層の女性が活躍しています。

手袋の縫い代はわずか1.5~2mm。縫い子さんたちは糸切りバサミのような先の尖った小さなハサミを使い、布を送りながらミシンをかけていきます。マチ針も使わなければ、出来上がり線のようなガイドもありません。

手袋の型に沿って、縫い子さんの感覚だけで縫い上げていく技術の正確さ・素早さ。ここまでの技術を手に入れるために、どのくらいの経験を積まれてきたのでしょうか。その流れるような手つきに、目を奪われます。

わずかな縫代

ごくわずかな縫い代で縫い押さえる

さらに、よく動かす親指の付け根部分は、縫い合わせた1mm程度隣の場所に、もう一度ミシンをかけます。これは「縫い押さえ」という工程。形を整えることと、強度をつけ破れにくくするという理由があります。

全ての工程に職人の手が加わることで美しい製品が仕上がる

手作業で余分な布を裁断

手作業で余分な布を裁断

手袋の裾部分を縫製した後は、縫い代の余分な部分をハサミでカット。縫い代が多すぎると中でもたつくので、手作業でひとつひとつ丁寧に切り取ります。

返し棒<
手袋を返す「返し棒」

ここまでは生地が裏返しになっているため、「返し棒」という専用の機具を使い、表に返します。

縫い上げた手袋を返す様子

1分とかからない早業

指1本1本の布を表に返していくため、時間がかかる作業。かと思いきや、これもまた、職人の手にかかればあっという間です。

返し棒の筒の部分は現在ステンレス製ですが、昔は竹で作られていました。「返し竹」と呼ばれていたそうです。

くり金に手袋を入れていく

丁寧に「くり金」に手袋を差し込む

ここからは仕上げ工程です。「くり金」と呼ばれる仕上げ型に手袋を入れ、蒸気を当ててて整形します。

蒸気を当てて形を整える

蒸気を当てて形を整える

この機械は上部が蒸気を当てる場所、下部が蒸気を当てた後に乾燥させる場所と、2カ所に分かれています。

出荷前の最終チェック

出荷前の最終チェック

最後に細かい検品作業を受けて、ようやく完成。福田手袋では、最初から最後まで全ての工程で人の手が加わって、ひとつの製品が仕上がるのです。

素材から製造まで「完全日本製」のこだわり

国内染色の布を使った手袋

カラフルな素材も国内で染色している

福田手袋の自社ブランドである「l’apero(ラペロ)」は、製造はもちろん素材も染色工程も全て国内という、完全日本製。

「確かに国産の材料を使うと、値段は高くなります。ですが、日本の材料や染色技術は本当に世界に誇れるものなんです。こんな面積の少ないものがなぜ洋服よりも高いのか、と思う方がいるかもしれませんが、実物や工程を見ていただけると納得していただけると思っています。それほど製品には絶対の自信を持って製造しています」と、敦子さんは話します。

100年以上続く企業・福田手袋の秘密

福田手袋の手袋たち

東京やパリの展示会にも出展している

最後に、福田手袋の代表取締役である福田洋市さんに話をお伺いしました。

――100年以上も続く企業自体、なかなかないですよね。長く続けられる秘訣があるのでしょうか?

長く続いているのは、先代からの積み重ねが100年というだけであって、続けようとしてそうなったわけではなく、積み重なったのが「今」というだけのことです。気づけは、それだけ経っていたということ。今後、日本が、世界がどうなるか分からないのと同じで、存続できるかどうかは誰にも分かりません。

ただ、守りには入らない。売り先や売り方、製造方法であったり、現状に満足せず常に前を向いていくことを心がけています。

――今後、どのような会社にしていきたいですか?

他社にはない、何か光るものがある会社にしたいですね。そういった魅力はつくろうと思ってつくれるものではないので、驕らず、慢心せず、自分の信じたことをやっていこうと思っています。

香川県でお気に入りの手袋を買おう!

今回取材した福田手袋の自社ブランド商品は、工房では販売しておらず、主要都市にある百貨店で購入ができます。香川県内では高松三越に置いていることもありますが、在庫がない可能性もあるので、訪れる前に確認するのがベター。

手袋のアウトレット店

手袋のアウトレット店

「手袋のアウトレット店」

同社以外にも、東かがわ市には多くの手袋企業があります。その手袋を実際に手に取り、おトクな価格で購入できるお店が「香川のてぶくろ資料館」内にある「手袋のアウトレット店」。日本手袋工業組合に加盟する手袋メーカー30社が持ち寄った手袋を中心に、革製のバックや財布なども販売されています。

讃州井筒屋敷

讃州井筒屋敷

「讃州井筒屋敷」

また、JR高徳線・引田駅からほど近い、江戸時代の商家を改装し観光施設にした「讃州井筒屋敷(さんしゅういづつやしき)」や、「東かがわ手袋ギャラリー」でも購入することができます。

長く使える“香川の手袋”を手に取ってみて

香川県が手袋の産地であるということは、県民であっても知らない人が多いという事実があります。まだまだ認知度が低い香川の手袋ですが、その品質は一級。素材からデザイン、製造工程までこだわって作られる「福田手袋」の手袋をはじめ、質の高い香川の手袋は、価格以上の価値をわたしたちに与えてくれるはずです。

また、東かがわ市には手袋企業以外にも、創業より260年も続く醤油蔵「かめびし屋」や、少し足を伸ばしたところには小動物とのふれ合いで有名な「しろとり動物園」など、見どころもたくさん。ぜひ一度訪れて散策してみてくださいね。