太鼓や笛の音、音楽に合わせて参加者が一体となる「盆踊り」。海外からも高い人気を誇る、日本の夏を代表する風物詩の1つです。現在は日本各地で多種多様な盆踊りが行われ、正確な種類は数えられないほど。時代の流れとともに、盆踊りの捉え方も変化してきました。
夏祭りなどで踊られることが多いため娯楽的な印象の強い盆踊りですが、そもそも盆踊りとはどのような意味で行われるのでしょうか。今回は盆踊りの歴史や由来、「日本三大盆踊り」をはじめとした種類について紹介します。
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盆踊りの「盆」とは?
盆踊りは夏祭りの際に行われることが多い
日本独自の行事といわれている「盆」。人は死後に霊となって家族や子孫を見守るという神道の精霊信仰と、旧暦の7月13日〜16日に行われる祖先の冥福を祈る仏教行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が合わさって「盆」になったと考えられています。
現在でも盆を迎えると故人や先祖の霊がこの世に戻り家族と一緒に過ごすとされ、7月13日の晩に「迎え火」をたいて精霊を迎え、7月16日の晩に「送り火」をたいて元の世界へと送り出します。その精霊をもてなし、再び見送る供養の行事が「盆踊り」です。
盆踊りの歴史
平安時代
豊作祈願として行われた「田楽」
平安時代の中期に誕生した踊りが「田楽(でんがく)」。「田植え前に豊作を祈願した」「大陸から渡来した」など由来は諸説あります。同じ頃、「空也上人(くうやしょうにん)」が念仏を広めるために始めたのが太鼓などを打ち鳴らし踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」。これらの祈願や神事が芸能と結びつき、初期の盆踊りの原型になったといわれています。
鎌倉時代
踊り念仏を広めた「一遍上人」
踊り念仏が広まったといわれているのは鎌倉時代。時宗の開祖である「一遍上人(いっぺんしょうにん)」が佐久郡伴野庄(現・佐久市野沢)を訪れた際に、小田切の里(現・佐久市臼田)で初めて踊り念仏を行いました。
一遍上人や同行の尼僧たちが披露した踊り念仏は、衣服がはだけるほど激しく踊り狂い、庶民を巻き込むほどに大流行。「跡部の踊り念仏」として重要無形民俗文化財に指定され、盆踊りの発展に大きな影響を与えるきっかけとなりました。
室町時代〜安土桃山時代
鳴り物の演奏に合わせて踊る「風流踊り」
室町時代に入ると、華やかな衣装で着飾った人々が太鼓や笛、鉦の音に合わせて踊る「風流踊り」が流行。田楽、念仏踊り、風流踊りと次々に派生してきた芸能は、次々と盆踊りに取り入れられていきます。
江戸時代
「阿波おどり」は江戸時代から親しまれるように
江戸時代には農村部を中心に盆踊りが盛んになり、日本三大盆踊りの「郡上おどり」や「阿波おどり」もこの頃から親しまれるように。しかし盆踊りを通じて市民が団結することや、一揆に繋がることが懸念され地域によっては藩から禁止令が出されることもありました。
明治時代
明治時代は盆踊り衰退の時期
娯楽として広く親しまれるようになった盆踊りですが、明治時代には「憂さ晴らし」や「男女の出会いの場」へと姿を変え、取り締まりはさらに激化。西洋の文化が浸透していく中、盆踊りの古い風習や風紀を見出す存在は近代化の妨げになるとされ、一時的に衰退していきます。
大正時代〜昭和戦前
観光地や名産品が歌詞に登場する「新民謡」が流行
大正時代に入ると日本の伝統文化が見直され、盆踊り人気に再び火が。これまでは各地の民謡やお座敷唄が定番でしたが、歌詞に観光地や名産品、著名人などが登場する「新民謡」が誕生します。
昭和戦後
「都市型」の盆踊りが発展した昭和戦後
戦時下には歌謡曲も軍国歌謡が中心となり、盆踊りはまたしても暗黒の時代に。それでも戦後の復興と共に盆踊りも活気を取り戻していきます。高度経済成長期には地域の交流手段として、各自治体が積極的に盆踊りを開催。東京をはじめとする「都市型」の盆踊りはこの時期に誕生しました。
そして「1964年東京オリンピック」のテーマ曲として「東京五輪音頭」が発表。日本の復興やオリンピックへの期待などこの時代を象徴する存在となり、各地の盆踊りでも踊られました。
平成
盆踊りは「人と地域を結び直す」存在に
数々の災害に見舞われた平成の時代。その中で盆踊りは「人と地域を結び直す」役割を果たしてきました。東日本大震災後、盆踊りの存続が危ぶまれたものの、一年に一度の再会の場として盆踊りがコミュニティを結び直す存在となるのです。
アフター・コロナ時代
コロナ禍に誕生した「オンライン盆踊り」
2020年新型コロナウイルスの拡大により、盆踊りやお祭りは全国各地で中止に。第二次世界大戦の戦時中以降、盆踊りが中止されたのは初めてという自治体も少なくありませんでした。そんな中で注目されたのは、YouTubeやZoomを使用して盆踊りをリアルタイムで配信する「オンライン盆踊り」。新しい生活様式に適した盆踊りの在り方が誕生しています。
盆踊りの種類や代表曲
約500年もの歴史を持つとされている盆踊り。形を変えながら、全国各地で数多くの種類に派生しました。正確な数は定かではないものの、大きく分けると盆踊りは2種類。「伝統系盆踊り」と「現代系盆踊り」に分類できます。
伝統系盆踊り
阿波おどりは伝統系盆踊りの1つ
盆踊りが誕生してから、昔ながらの伝統が活かされている「伝統系盆踊り」。さらに細かく分けることができます。伝統系盆踊りに分類されるのは、「伝承系盆踊り」「伝統進化系盆踊り」「民謡踊り」の3種類。同じように見える伝統系盆踊りですが、それぞれ違いがあります。
伝承系盆踊りとは、江戸時代から踊られていて現在も特定の地域で伝承されているもの。「郡上おどり」や「西馬音内盆踊り(にしもないぼんおどり)」などが含まれています。
伝統進化系盆踊りとは、伝統に根ざしつつも近代の変化を取り入れて進化したもの。誕生した地域から全国に広がっていて、「阿波おどり」などが含まれています。
ソーラン節も盆踊りの定番
民謡踊りとは、元々は地域の民謡だったものが昭和期に変遷・洗礼され全国区になったもの。「炭坑節」や「相馬盆唄(そうまぼんうた)」が含まれています。
体育祭などで踊られる全国的に有名な「ソーラン節」も盆踊りの定番曲。ニシン漁の際に歌われていた「沖揚げ音頭」が変化したもので、「ソーラン、ソーラン」というフレーズは気持ちを高める掛け声だと言われています。
現代系盆踊り
現代系盆踊りは子どもから大人まで楽しめる
大正時代以降に誕生し、時代背景が反映されている「現代系盆踊り」。当時流行した曲やアニメソングが使用されていて、盆踊りと聞くと多くの人が現代系盆踊りを思い浮かべます。
現代系盆踊りを分類すると、「新民謡」「歌謡舞踊・新舞踊」「J-POP系・アニメ系盆踊り」の3種類。現在では、新旧さまざまな曲が盆踊りに使用されています。
東京音頭はヤクルトスワローズの応援歌としても定着している
関東大震災で壊滅した東京の不況を吹き飛ばそうと、それまでなかった都会の盆踊りとして企画された東京音頭。日比谷公園の盆踊り大会で初披露された時は、「丸の内音頭」という名前でした。
翌年に東京音頭に名前を変更。現在ではプロ野球・東京ヤクルトスワローズの応援歌としても親しまれています。
歌謡舞踊・新舞踊とは、歌謡曲や演歌、もしくは昭和中期以降に作曲された民謡調の音楽に合わせて踊るもの。代表例として「きよしのズンドコ節」などが挙げられます。
J-POP系・アニメ系盆踊りとは、その名の通りJ-POPやアニメソングに合わせて踊るもの。代表曲として「ダンシング・ヒーロー」や「ドラえもん音頭」が挙げられます。若者の盆踊り離れを解消するために考案され、子どもからお年寄りまで楽しめる盆踊りの新しい定番曲となりました。
日本三大盆踊り①「郡上おどり」
観光客も地元の人も1つの輪になって踊る「郡上おどり」(画像提供:郡上八幡観光協会)
日本一長い期間開催される「郡上おどり」。およそ400年前から城下町「郡上八幡」で踊り続けられてきた、東海地方で最も有名な盆踊りです。
元々は当時の藩主が四民融和を目的として、藩内で行われていた盆踊りを城下に集めたのが郡上おどりの始まり。「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と推奨されたことから、観光客も地元の人も1つの輪になって踊るというのが郡上おどりの特徴です。
日本一長い開催期間の盆踊り
郡上おどりが開催されるのは、毎年7月中旬から9月上旬にかけて。毎晩開催場所を変え、ひと夏で街を巡ります。8月13日から16日の4日間で開催される「徹夜踊り」は郡上おどり最大の見どころ。日本三大盆踊りの中で唯一誰でも参加できる郡上おどりは、「見るおどり」ではなく「踊るおどり」といわれています。
郡上おどり 基本情報
開催日程:2024年7月13日〜9月7日
※徹夜おどりは8月13日〜16日
開催場所:日によって異なるため公式サイトをご確認ください。
公式サイト:郡上八幡観光協会公式サイト
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日本三大盆踊り②「西馬音内盆踊り」
彦三頭巾と編み笠が特徴的な「西馬音内盆踊り」
秋田県羽後町(うごまち)で古くから続く「西馬音内(にしもない)盆踊り」。毎年8月16日から18日に開催されます。
西馬音内盆踊りの起源は不明であるものの、正応年間(1288年から1293年)に始まったという説が有力。現在の西馬音内御嶽神社の境内で、豊年祈願の踊りを奉納したことが始まりだと言われています。
目の部分だけに穴の空いた「彦三頭巾(ひこさずきん)」を頭から被って編み笠を身につける出立ちから、付けられた呼び名は「亡者踊り」。芸術性の高さが評価されており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
西馬音内盆踊り 基本情報
公式サイト:羽後町公式サイト
日本三大盆踊り③「阿波おどり」
「阿波おどり」は日本最大規模の盆踊り
徳島県徳島市で行われる「阿波おどり」。阿波国(現・徳島県)に入国した蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が徳島城の築城祝いに城下の人々を城中に招き、無礼講で踊らせたのが始まりといわれています。
市民社会に定着した阿波おどりは自由な民衆娯楽として花開き、特に戦後は復興の象徴として目覚ましく発展。毎年8月12日から15日までの開催期間中には、人口20万人の徳島がおよそ100万人の人々で賑わいます。
有名連の阿波おどり
阿波おどりは何十人もの人がそれぞれ集団(連)を組んで踊るのが特徴的。全国各地から毎年約950連、約6万人の踊り子が参加します。女踊りは優美に、男踊は自由奔放に個性強さが好まれるのだとか。「ヤットセー、マットセー」「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」と有名なフレーズを口ずさみながら、日本の伝統芸能を体験してみてはいかがですか。
阿波おどり 基本情報
盆踊りは誰でも参加できる
今回は盆踊りの歴史や種類、日本三代盆踊りについて紹介しました。多くの盆踊りは誰でも参加できるため、途中から飛び入りで踊ることが可能。見るだけではなく、一緒に踊って楽しめるのも盆踊りの特徴です。
普段着で踊ることももちろんできますが、浴衣を来て参加すればより一層楽しい時間を過ごせるはず。夏の風物詩である盆踊りに参加して、心に残る思い出を作ってみてはいかがでしょうか。
参考文献:『年中行事読本:日本の四季を愉しむ歳時ごよみ』(岡田芳朗・松井吉昭著/創元社)ほか