日本には全国各地に様々な伝統文化、伝統工芸品が残っており、経済産業省が日本の伝統工芸品として認定しているものだけでもその数は230にまで上ります。
石川県は全部で10の伝統工芸品が登録されており、この数は東京都、京都府、新潟県、沖縄県、愛知県に続き6番目。経済産業省が認定しているもの以外にも、石川県内に古くから伝わる伝統工芸品や文化は多く残っており、現在の石川県を創り上げた大きな要因と考えてよいでしょう。
石川県の伝統工芸品というと「加賀友禅」や「金沢箔」などが有名ですが、今回は、石川県の北部に位置する「能登半島」が原産となる伝統工芸品・伝統芸能について紹介していきます。
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日本の伝統工芸品一覧&8つの地方別で徹底解説!【完全保存版】
雄大な自然が残る「能登半島」
軍艦島とも呼ばれる見附島
日本海に突き出し、特徴的な形をした「能登半島」は石川県の最北端に位置しています。日本海側の半島としては最大の面積を誇り、山岳地帯が続いています。イタリアの国土と形が似ていることでも知られていますね。また、世界農業遺産でもある「白米千枚田」も有名です。
能登の千枚田
養老から天平年代(8世紀前半頃)にかけてこの地域は「能登」と称されていたことから、この名前がつきました。雄大な自然が残っており、ドライブなどで訪れる方も多い場所です。また、新鮮な海の幸はもちろん、日本三大朝市にも数えられる「輪島朝市」など、グルメも魅力のひとつです。
日本三大朝市の一つ「輪島朝市」
そして、能登半島の発展に大きく貢献してきたのが数々の伝統工芸品です。能登半島で生産されてきた伝統工芸品は、織物や漆器、焼き物など、多岐に渡ります。生み出された伝統工芸品は立地を活かして全国に運ばれ、能登の経済を支えてきました。能登半島はかねてより貿易の要所であったことが、伝統工芸が盛んな理由にもなっています。
長い歴史を持つ伝統工芸品 漆器「輪島塗」
能登で生まれた漆器「輪島塗」は日本を代表する伝統工芸品。全国的に知名度も高く、経済産業省の指定品目としても認められています。
伝統工芸品 輪島塗の屠蘇器(とそき)
伝統工芸品 輪島塗の歴史
輪島塗発祥の地である輪島市は、能登半島の先端に位置します。
日本では全国各地で漆を使った器「漆器」が生産されていますが、輪島塗は漆の美しい光沢と職人の技術力の高さから、高級漆器として愛されてきました。
伝統工芸品・輪島塗(写真提供:石川県観光連盟)
輪島塗の歴史は、室町時代にまでさかのぼるのだそう(諸説あり)。市の中心部にある「重蔵神社」で見つかった、1524年に製作の「朱塗扉」が最古の輪島塗とされています。その後、生産が活発化していった輪島塗は、全国に流通するようになります。江戸時代には、北海道の択捉島から注文があったという記述も残っているのだとか。
明治維新後も、近辺の豪商や裕福な農家などを中心に発展していきました。旅館などの業務用製品の生産も始まり、日本屈指の漆器としてその名声を確かなものにします。1975年には国の伝統工芸品に、2年後には重要無形文化財として認定されています。
輪島塗の特徴
輪島塗の朱盃
輪島塗の特徴は、使用する土にあります。珪藻土(藻類などの化石の堆積物)や固まった火山灰を砕き粉状にした「地の粉(じのこ)」を用いて製作を行います。
輪島塗ではこの良質な土を器の下地として使用し、これを漆と混ぜ合わせることで、丈夫な漆器を作ってきました。壊れても修復可能なのも特徴のひとつ。こうした技法は安土桃山から江戸時代にかけて完成したといわれています。
輪島塗ならではの技法である「布着せ」もこの頃に完成しました。「布着せ」とは、器の弱った部分や傷みやすい縁などに、綿布や「着せ物漆」と呼ばれる特別な漆を貼り付けることによって修復する技術のこと。輪島塗はこのような繊細な技術工程を組み合わせることで完成します。手間の多さや職人技術の細やかさが、輪島塗が高級漆器とされる理由でもあります。
輪島塗の箸
輪島塗のもうひとつの特徴は、職人による完全分業制。木地つくり、塗り、蒔絵など、それぞれの職人が担当し1つの作品を作り上げます。丁寧に一つ一つ作りつつ、生産性の向上にもしっかりと重きを置いていたことが分かります。
独自の技術はもちろん、何度も漆を塗り直し、そして丁寧に絵を入れる作業によって、全国屈指の堅牢さを誇る輪島塗が完成するのです。美しさと力強さを併せ持つ、唯一無二の漆器です。
平安時代から伝わる焼き物「珠洲焼」
珠洲焼(写真提供:アイパブリッシング株式会社)
「珠洲焼(すずやき)」は平安時代の後期から続く伝統工芸品です。主に花瓶や水がめ、壺、近年ではマグカップやビールグラスもといった食器類も製作されています。輪島塗同様長い歴史を誇っていますが、珠洲焼は一度衰廃し、生産がストップしたことも。現在生産されている珠洲焼は、1976年に復活したものとされています。
珠洲焼の歴史
珠洲焼は12世紀後半に、石川県最北端の珠洲市で誕生。現地で採れる丈夫な土を使った焼き物は人気を集め、室町時代の終わりまで順調に成長を続けていきます。海に囲まれた能登半島の立地を生かし、海を通じて東北や北海道まで流通されていたのだそう。
しかし、15世紀の後半から急激に生産が衰退していきます。主な理由は、ライバルでもあった福井の越前焼、岡山の備前焼などが、釜を大きくすることで生産性を向上させた一方、珠洲焼はそのスピードに追いつけなかったため。諸説ありますが、近隣で力を持っていた貴族が戦国時代の覇権争いで力を失い、流通経路が断たれてしまったことも大きく影響したそうです。
復活の兆しが見えたのは、1950年以降になってから。珠洲市内で約40基の焼き窯が見つかったことを機に、珠洲焼復興の流れが動き出します。こうして約半世紀ぶりに、珠洲焼の生産が再開しました。
珠洲焼の特徴
珠洲焼きの焼き窯(写真提供:アイパブリッシング株式会社)
珠洲焼の特徴はその色合いにあります。黒や青灰に色づいた珠洲焼は、シンプルなデザインと相まって荘厳な印象を与えます。珠洲焼の独特な色味は、焼き上げの工程によるもの。珠洲焼は洞窟などを利用したトンネル状の窖窯(あながま)を用いて焼き上げますが、焼く際に窯の入り口を密閉することで酸欠状態になった土の鉄分が発色し、珠洲焼ならではの色味が出るのだそう。
現在、珠洲焼きは陶工も増え始め伝統を受け継ぎながら、新たなエッセンスを加えた作品が次々に誕生しています。日本有数の焼き物生産地として、新たな歴史を刻み始めたばかりです。
伝統工芸品「七尾和ろうそく」
「七尾和ろうそく」は能登半島中部にある七尾市で代々受け継がれてきた伝統工芸品です。目の前に七尾湾が広がる七尾市は、緑豊かな能登の景色を望める絶景スポットでもあります。
和ろうそくと洋ろうそくの違い
伝統工芸品 和ろうそく
皆さんは和ろうそくと洋ろうそく、この二つの違いをご存知ですか?
大きく違うのは原材料。和ろうそくはハゼやヤシから採れる植物油と和紙を使う一方、洋ろうそくはパラフィンという鉱物油と糸を用いて作られます。和ろうそくは植物由来のため体に優しく、芯のある力強い炎を灯すことで知られています。
七尾ろうそくの歴史
花絵ろうそく
ろうそくは日本において、仏教の広まりとともに重要なものとなっていきました。当初は中国から海を介して渡ってくる貴重品で、流通は盛んではありませんでした。
江戸時代に入ってから原材料のひとつであるハゼが現在の九州地方から輸入され、国内栽培が開始。ハゼが七尾まで伝わり、生産が本格化していきました。七尾市は日本海を中心に北海道まで運航する貿易船「北前船」の要所でもあったことから、七尾和ろうそくは流通が次第に拡大し、日本北部を中心に広がっていきました。
「七尾和ろうそく」はお土産にもぴったり
町の中心部には明治から続く老舗「高澤ろうそく店」が残っています。現在、石川県内で和ろうそくを作っているのは同店のみ。デザインや色、大きさなどが異なる和ろうそくが販売されています。お土産としてぜひ手にとってみてはいかがでしょうか。
能登半島には伝統工芸品がまだまだたくさん!
このほかにも2000年の歴史を誇る「能登上布」や、数少ない職人の手で作られる「七尾仏壇」など、国認定の伝統工芸品がいくつも残っています。
能登半島へは、金沢駅から車で約2時間。ぜひ、能登の古き良き伝統を体感しに足を運んでみてはいかがでしょうか。