「やちむん」とは?
「やちむん」の歴史は琉球王国時代から
【壺屋やちむん通り】でお気に入りのやちむんを探す
やちむん家
骨壷の店・たかえす
craft house Sprout
Craft・Giftヤッチとムーン
壺屋やちむん通りは景観も魅力
まとめ

沖縄の伝統工芸「やちむん」を知っていますか?「やちむん」とは、沖縄の言葉で「焼物」のこと。那覇市に位置する「壺屋やちむん通り」は、やちむんの文化・伝統を今に伝える場所です。赤瓦屋根の古民家や石畳道という沖縄ならではの町並みを残す通りには焼物を購入できるお店が立ち並び、多くの観光客や地元の焼物ファンで賑わいます。

今回は、そんな「壺屋やちむん通り」の楽しみ方や、おすすめのお店情報をご紹介。さらに、通りに立つ「那覇市立壺屋焼物博物館」でやちむんの歴史や魅力について探っていきます。

沖縄の地と人々の生活を写す焼き物「やちむん」


沖縄の人たちから長年愛されてきたやちむん(画像:craft house Sprout)

土や釉薬(ゆうやく)、塗料など土地の自然を素材として、そこに生きる人々の生活や文化を色濃く反映する「焼物」。日本では各地域でさまざまな焼物が作られていますが、沖縄の焼物「やちむん」もそのひとつ。南国の島国ならではの風土や歴史、文化に育まれてきました。

やちむんの特徴はぼてっとしたフォルムと色彩


魚が描かれたやちむん。ぼってりとした厚みが特徴(画像:Craft・Giftヤッチとムーン)

やちむんは、壺屋という地域で誕生した歴史を持つ「壺屋焼」や、読谷村で焼かれるものなど種類がさまざま。今回は、その中でもやちむんの発祥ともされている「壺屋焼」のやちむんについて紹介をしていきます。

特徴は、ぼてっとした素朴なフォルムと色彩。沖縄の土の特色や色合いが反映されています。壺屋焼はさまざまな加飾技法がありますが、沖縄の豊かな自然がうつしこまれたようなダイナミックな魚や菊の文様が有。

そもそも、壺屋焼は、「荒焼(アラヤチ)」と「上焼(ジョーヤチ)」という2つの焼き方に分かれます。

荒焼と呼ばれるのは、釉薬をかけない陶器と黒く発色する釉薬を塗った陶器の総称。陶土には沖縄本島中南部からとれる黒土(ジャーガル)と赤土(島尻マージ)が使われます。

対して上焼は、釉薬をかけて焼き上げる施釉陶器のこと。陶土には沖縄本島中部以北からとれる赤土や白土が使われます。釉薬をかけて焼き上げることで釉薬が溶けてガラス状となり表面をおおいます。

荒焼は水がめ・酒がめなど貯蔵を目的としたものが多く、上焼は皿・急須・碗などの日用品が多く作られています。


土そのものの風合いを生かして作る荒焼のシーサー(画像:やちむん家)

上焼は釉薬を使うことで鮮やかな色彩を持つやちむんとなりますが、土の風合いそのままに焼き上げる荒焼もやちむんならではの魅力を感じます。ぜひ比較して楽しんでみてください。

焼物の種類が豊富!器から骨壺まで


上焼で仕上げた骨壺(画像:骨壷の店・たかえす)

やちむんは、器や瓶、置物といった一般的な焼物の製品だけでなく、沖縄の風習や文化から生まれたさまざまな用途・形があります。

例えば、沖縄のお酒「泡盛」に関するさまざまな酒器はやちむんを語る上で忘れてはならない存在。泡盛を持ち運べるようにと作られた「抱瓶(だちびん)」は、体に沿わせ携帯しやすいよう、胴の横断面が三日月形をしており外ひもを通す穴まであります。

ほか、「カラカラ」と呼ばれる注ぎ口が細いとっくりや、泡盛を祝儀贈答するときの容器「嘉瓶(ユシビン)」、仏壇を拝むときに泡盛を入れて使用する「対瓶」など多岐にわたります。


泡盛のとっくり「カラカラ」

現在確認されている古い泡盛の器には、上焼の色鮮やかなものなど陶工が腕によりをかけて作った逸品が多くあり、やちむんを通して泡盛と沖縄県民との繋がりを感じられます。


那覇市立壺屋焼物博物館内展示の厨子甕

こちらは、やちむんの骨壺「厨子甕(ずしがめ)」。

沖縄では、昔から亡くなった人の遺体をいったんそのまま墓におさめ、数年経った後に骨を洗う「洗骨」の風習がありました。洗った後の骨は火葬せずに甕に入れます。そこで使われていたのが厨子甕で、現代の一般的な骨壺よりかなり大きなサイズで作られていました。

焼物の厨子甕は色鮮やかに加飾を施す首里城に似せた御殿形からシンプルな形状のものまでさまざま。ただ、沖縄県内でも現在では多くが火葬を採用しており、その変化に伴って大きな厨子甕の需要はほとんどありません。

やちむんで作られる「シーサー」


壺屋やちむん通り近く、新垣家のチブルシーサー

さらに沖縄ならではと言えば、忘れてはならないのが「シーサー」。沖縄県内を散策していると、あらゆる場所でシーサーを見かけます。

シーサーは、火災防止のために集落に置かれた石獅子が起源と考えられています。集落の守り神の役目をしていた石獅子が焼物となり、広まっていくことに。焼物のシーサーが作られ始めたのは、明治22年以降のこと。荒焼のチブルシーサー(チブルとは沖縄の言葉で「頭部」の意。頭部分のみのシーサー)がはじまりとされています。

全身像は大正〜昭和時代にかけて作られるようになり、戦後は色とりどりの釉薬をほどこした上焼シーサーも多く手がけられてきました。


オスとメスのシーサーを対で置くのが一般的(画像:やちむん家)

シーサーは、2体1組で置くのが一般的。右側に口を開けているオス、左側に口を閉じているメスを置くものとされています。オスは沖縄の悪霊「マジムン」を追い払い、大きく開けた口から幸福を呼び込む役割を担います。メスは今ある幸せを逃さないという意味が込められているそう。

琉球王国に誕生した「やちむん」の歴史


壺屋やちむん通りにある「那覇市立壺屋焼物博物館」

沖縄の暮らしや風習と密接に関わり、変化してきたやちむん。

次は、やちむんがどのような歴史を辿ってきたのかを見ていきましょう。今回は、壺屋やちむん通りにある「那覇市立壺屋焼物博物館」にお邪魔して話を伺ってきました。


壺屋焼物博物館屋外にある「北の宮(ニシヌメー)」

壺屋焼物博物館は、壺屋やちむん通りに立つ博物館です。やちむんの誕生から、壺屋でやちむんが発展し現在に至るまでの貴重な歴史的焼物を展示しています。ほか、有名陶工の作品や、土地の守り神「土帝君(トーティークン)」などを祀った北の宮など見どころ満載。やちむんの歴史と魅力に触れるためには外せない観光スポットです。

朝鮮人陶工により新たな製陶技術が琉球王国に伝えられた

それでは、やちむんの歴史を見ていきましょう。


博物館内展示の土器

沖縄の焼物のはじまりは、6,600年前につくられた土器といわれています。北山・中山・南山という3つの勢力が台頭していた三山(さんざん)時代になると、それぞれの勢力が独自で貿易網を築き上げ、中国や朝鮮、タイ、ベトナムなど国外から陶磁器を輸入していました。そのような盛んな海外貿易の影響を受けて、焼物の技術が発展していったのです。

その後、1429年に尚巴志(しょうはし)により三山が統一され、琉球王国が誕生。王府のもと、1600年代には薩摩から招いた朝鮮人陶工が指導を行い、新たな製陶技術が伝えられたと考えられています。このようにして琉球王国、つまり沖縄県のやちむんの基礎が築かれました。

やちむんの窯場が「壺屋」に集結


王府主導の下、窯場が壺屋へ統合

1682年に、王府は県内に分散していた知花、宝口、湧田といった複数の窯場を那覇市壺屋(現在の「壺屋やちむん通り」周辺)に統合。当時は瓦の需要が増大した時期と考えられ、薪や粘土など焼物に必要な資源を効率よく使用し、瓦を増産していくため窯場の統合が行われたとされています。

こうして、壺屋焼が誕生しました。

その後、琉球王国は1879年、廃藩置県で沖縄県が設置されるまで続きます。中国や日本と貿易を盛んに行いながら、王府のもとで壺屋焼の製陶技術・技法や独自性は向上。沖縄のやちむん文化はさらに発展をしていきました。

戦後、那覇市で最初に米軍占領から解放された壺屋

1940年代、沖縄県は太平洋戦争の戦火に巻き込まれ、激しい地上戦が行われることに。しかし、壺屋地域周辺は奇跡的に戦火を逃れていたのです。

終戦後、アメリカ軍の占領下となった沖縄では生活必需品の碗や皿が不足する事態に。壺屋に使用できる窯が残っていたことから、陶工たちはアメリカ軍に壺屋に帰れば陶器を作れると訴え、各収容所の陶工たちが解放され壺屋へ集められます。

こうして、壺屋でやちむん作りが再開。壺屋陶工たちの解放は、「那覇市の戦後復興は壺屋からはじまった」といわれるエピソードとして語り継がれています。

戦後初めて壺屋で焼かれた碗「イッチン菊花文碗」は博物館内で見学できます。


戦後初めて焼かれた碗「イッチン菊花文碗」

陶工たちが戻ったことをきっかけに、壺屋には多くの人々が集住するように。すると、戦後壺屋のすぐ近くに闇市場ができていきました。現在壺屋やちむん通りからすぐの場所には「沖縄の台所」として有名な牧志公設市場がありますが、ここは違法な闇市場を取り締まるために那覇市が設置した市場。現在は地元客はもちろん、多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。


沖縄の台所と呼ばれる「第一牧志公設市場」(2019年移設前)

【壺屋やちむん通り】でお気に入りのやちむんを探す


壺屋焼の店やカフェが並ぶ「壺屋やちむん通り」

今では沖縄県民だけでなく観光客にも愛される沖縄の伝統工芸品として名を広めているやちむん。ここからは、那覇市観光の際に訪れたい「壺屋やちむん通り」の見どころと、立ち寄りたいおすすめのショップを紹介していきます。

壺屋やちむん通りには、やちむんの工房やショップが通りにずらりと並んでいます。博物館でやちむんの歴史に触れたあとには、通りに立つお店に足を運んでお気に入りのやちむんを探してみてはいかがでしょうか。

やちむんのふるさと「壺屋」


南ヌ窯(フェーヌカマ)

壺屋やちむん通りにある「南ヌ窯(フェーヌカマ)」は壺屋に残された唯一の荒焼の登り窯。登り窯とは、斜めに上に向かって伸びる窯で、燃焼ガスの対流を利用して一度に大量の焼物を焼き上げる窯のこと。南ヌ窯は、丘の斜面を利用して築かれています。

1970年代に壺屋周辺では煙害問題などにより登り窯は使用不可能になり、現在は南ヌ窯も使用はされていません(見学は可能)。


南ヌ窯横のガジュマルが抱え込む荒焼の破片が、歴史を感じさせる

壺屋地域では登り窯の代わりにガス窯が導入されることになりましたが、陶工のなかにはこだわりを持ち、壺屋を離れて登り窯使用が可能な場所へ移っていく方も多くいました。そのため、現代では沖縄県各地に壺屋焼をルーツとする工房が広がっています。

壺屋やちむん通りで「シーサー」に出会う


通りの入り口近くに立つ、巨大な「壺屋うふシーサー」

壺屋のあちこちで出会うシーサーですが、忘れてはならないのが「壺屋うふシーサー」。「うふ」とは沖縄の言葉で「大きい」という意味があります。壺屋の陶工たちにより魂を吹き込まれ、町のシンボルとして2013年に壺屋やちむん通りの入り口近くに設置されました。

ちなみに、「さいおんスクエア」にある「さいおんうふシーサー」とは同時期につくられた兄弟シーサー。ゆいレール牧志駅からすぐ、国際通り沿いに立つこちらも必見です。


「壺屋陶芸センター」前の大きなシーサー

昔から壺屋焼を知る人の間では「シーサーにはつくる人の魂が宿る」「つくる人の表情が出る」といわれてきました。シーサーを見つけたら、その表情にも注目してみてください。威嚇しているような怖いものから、笑顔で愛らしいもの、ユニークで滑稽なものまでさまざま。どれもひとつだけの作品です。自分のお気に入りの表情を見つけてみては。


琉球石灰岩を敷き詰めた約400mの石畳の壺屋やちむん通り

ここからは、「壺屋やちむん通り」に訪れたらぜひ立ち寄ってもらいたいおすすめの場所やお店を詳しくご紹介していきます。

シーサーづくりを中心とする有名な窯元「やちむん家」


愛らしい表情が印象的な夫婦獅子

壺屋やちむん通りに立つ「やちむん家(やー)」。店名の由来は、家族で焼物をつくっていることから。シーサーや龍、器の窯元で、初代新垣栄得・新垣栄一から起こした窯は現在3世代目へ。近年は登り窯への想いから窯を読谷村へ移しています。


今にも動き出しそうな獅子(作:新垣優人)

こちらは初代・新垣栄得の孫である新垣優人が作り上げた、躍動感溢れる獅子の焼物。店内にはさまざまな表情を携えた獅子や龍が並んでいます。

ほか、壺屋陶芸センターの正面にある「前向素焼獅子」や、「イオンモール沖縄ライカム」内の巨大シーサーなど多くの有名窯元の作品を取り扱っています。生命力あふれる焼物たちに会いに、訪れてみては。

骨壷を中心に展示販売する「骨壷の店・たかえす」


荒焼窯「南ヌ窯」を背にして立つ「骨壷の店・たかえす」

初代・髙江洲オトにより戦後すぐの時期に開かれた店「骨壷の店・たかえす」。当初は荒焼の甕を販売していましたが、現在は骨壺を中心に展示販売を行なっています。戦後当時、店は周辺の人々に「カーミマチ(=甕の町という意味)」と呼ばれていたそうで、戦後復興時、壺屋エリアのシンボル的な存在であったことがうかがえます。


骨壺には入る人の名前が書かれる

現在は県内唯一の壺屋焼骨壺専門店となった同店。ネイビー、茶色、グレーなど、豊かな色味を持つ骨壺が店頭に並びます。骨壺は大人用・子供用など用途によって大きさも色々。沖縄県内のみならず、県外から訪れた人も購入するといいます。

焼物ツウが通う店「craft house Sprout」


craft house Sprout

「craft house Sprout(クラフトハウス スプラウト)」は、古典的・伝統的な焼物を作り出す作家を中心に作品をセレクトしたお店。「これこそ壺屋焼」という色彩や加飾が施されたものや、沖縄の焼物ならではのぼってりとした味わい深いデザインの作品が多数並びます。焼物ツウも足繁く通う人気店です。


沖縄の美しさを表現するやちむんの皿

店内で、沖縄の土の風合いがそのまま表現されたやさしい印象のお皿を見つけました。染め付けは廃藩置県後に導入された上焼の釉薬原料「コバルト」を使用。沖縄の鮮やかな海のイメージと重なります。


佇まいが愛らしい一輪挿し

こちらの作品は、読谷村の窯で技術を磨き上げた作家さんによる一輪挿し。壺屋以前の古い焼物に触発され陶芸を志したという作家さんの思いが、古典的な色合いや風合いから感じられます。

伝統あるやちむんの継承を行いながら、新しい感覚を注ぎ込み、凜とした美しさを醸しだす作品たちが店内に並びます。入手困難な人気作家の作品も展示販売されています。沖縄県だけでなく、県外作家の作品も取り扱っています。

女性のこころをくすぐる作品が並ぶ「Craft・Giftヤッチとムーン」


Craft・Giftヤッチとムーン

「Craft・Giftヤッチとムーン」は、やちむんを取り扱うセレクトショップ。約築50年の「沖縄のおうち」にところ狭しと並べられたやちむんたちが迎えてくれます。伝統的な作品だけでなく、かわいらしいデザインの作品も多数揃えています。


大きな絵柄が特徴的な「マカイ(5寸)」

こちらは、沖縄最大の登り窯で昔ながらの手法により作られた「マカイ」(=沖縄の言葉で「碗」の意味)。壺屋焼らしいダイナミックな絵柄が食卓を華やかに彩ります。


「日本豆皿(すもう)」ほかオリジナルデザインがそろう

気軽に食卓にやちむんを取り入れたい人には、小さな豆皿がおすすめ。キュートな力士が描かれた豆皿は、自社工房で絵付けされたものです。手頃な価格でお土産にもぴったり。

また、写真内左は「waveシリーズ(6寸)」(ほか5寸・7寸サイズや色展開あり)。やちむんらしい深みのある色彩がモダンな印象を与えます。


Craft・Giftヤッチとムーン店内

日常の暮らしがふわりと色づくようなやちむんを探しに足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

ノスタルジックな町並みを残しているのも魅力的


壺屋陶工の住宅「新垣家住宅」

壺屋やちむん通りのもうひとつの魅力は、かつての沖縄県の民家が残されていること。首里城からも近い那覇市中心地でありながら奇跡的に戦火を逃れた壺屋では、石畳の道路や石垣の塀、赤瓦の屋根を携えた家々を見ることができます。

壺屋陶工の伝統的住宅「新垣家」もそのひとつ。国の重要文化財に指定されており、赤瓦屋根の上には口を大きく開けたチブルシーサーが「悪いものはこないか」と目を光らせています。


壁に埋め込まれたシーサーと石敢當(いしがんとう)

新垣家住宅では、家の周りを囲う塀にも注目を。壁に埋め込まれたシーサーと「石敢當(いしがんとう)」を見ることができます。石敢當とは、「石敢當」などの文字が彫られた石碑のこと。沖縄各地で、シーサーと同じく魔除けのために壁や塀に埋め込まれています。


壺屋やちむん通りからさらにすじ道へ

壺屋やちむん通りの石畳は一方通行。周辺には戦前のままの姿を残す細い裏道も多く、車の通行が難しい場所も。大通りからすじ道へ入り車の通らない裏路地を散策するのも、楽しみ方のひとつです。やちむん探しを満喫したら、迷路のようなすじ道へ入って沖縄のかつての姿を楽しんでみては。壺屋の町巡りは発見の連続です。

また、壺屋やちむん通りには、やちむんの店はもちろん、飲食店も点在しています。カフェでひと休みしながらゆっくり壺屋散歩を楽しんでください。

「壺屋やちむん通り」を巡って沖縄の歴史や暮らしを感じる旅へ

400mという短い通りながら、沖縄がたっぷりつまった「壺屋やちむん通り」。やちむんと壺屋焼を知ることで沖縄の歩いてきた歴史の横顔も見ることができました。那覇市の中心に奇跡のように存在している壺屋へ、自分だけのやちむんに出会いに出掛けてみてはいかがでしょうか。