浅草を代表する祭りといえば浅草神社の例大祭、「三社祭(さんじゃまつり)」。例年5月の3日間で開催され、3日間で180万人を超える人出があります。浅草が一年のうちでもっとも盛り上がる期間のひとつです。
2024年は5月17日(金)〜19日(日)に開催される三社祭。ここでは、三社祭の名前の由来や、見どころ、歴史などを紹介します。
※本記事に掲載の情報は2021年4月時点の情報です。諸事情により変更となる場合があるので、お出かけの際はご自身で最新の情報をご確認ください
※2024年5月、一部情報を更新しました
浅草の三社祭はどんな祭り?
三社祭の3日間は、浅草が一年で最も活気に満ちる期間
例年、5月の第3金・土・日曜に行われる「三社祭(さんじゃまつり)」。東京・浅草の浅草寺のすぐ横にある「浅草神社」の例大祭です。例大祭とは神社で1年に1度行われる最も重要な祭りのことで、多くの場合は神社にゆかりのある日が祭りの日に定められます。
2024年の日程
例年であれば5月の第3金・土・日の3日間で開催される三社祭。
2024年の三社祭は、5月17日(金)〜19日(日)の3日間で開催されることが決定しました。700年以上の歴史を持ち、コロナ禍の2020年には延期となったり、翌2021年には本社神輿1台のみを台車に載せて氏子町を巡回する形での開催となったりしましたが、2023年には概ね例年通りの開催となりました。
神輿の数・例年の人出
三社祭では、浅草神社のご祭神が乗る「本社神輿」3基のほかに、浅草近辺の各町が持つ「町内神輿」があります。すべてを合わせて、100基以上の神輿が町を練り歩きます。
浅草の街中のどこを歩いても神輿が見られ、屋台もたくさん出るため、三社祭の3日間は多くの人で賑わいます。例年の人出は、3日間で約180万人。2024(令和6)年の人出は3日間で190万人を超えました(※)。
「三社祭」の名前の由来
三社祭の「三社(さんじゃ)」とは、浅草神社で祀られている神様のこと。【土師真中知命(はじのまなかちのみこと)】【檜前浜成(ひのくまのはまなりのみこと)】【檜前武成命(ひのくまたけなりのみこと)】の三神です。
「社」という文字には「土地の神」という意味があります。ご祭神である檜前浜成命・武成命兄弟は、もともとは浅草のあたりで魚を獲っていた漁師。そして土師真中知命は、地域の名士的な存在だったそうです。三神は、浅草の土地に根差した神様なので「三社」と呼ばれました。
「三社祭」は、その三神(=三社)が乗った神輿が町を巡行する祭りのことです。
浅草神社を「三社様」と呼ぶ理由
ちなみに、浅草神社は地元の人には「三社様(さんじゃさま)」という愛称で親しまれています。これはもともと、浅草神社の名前が「三社権現社」「三社明神社」という名前だったから。
「浅草神社」という名前に変わったのは、1873(明治6)年のことでした。
三社祭の見どころ
三社祭は3日間にわたり行われ、毎日異なる祭事を見ることができます。それぞれの日にどんなことが行われるのか、順番に紹介していきます。
初日:「大行列」と「神事びんざさら舞」
三社祭のお囃子屋台
三社祭の初日に行われるのは、「お囃子屋台(おはやしやたい)」をはじめとした「鳶頭木遣り(かしらきやり)」や浅草の各舞などで編成された「大行列」。浅草の町に祭礼の始まりを告げます。
また、三社祭で浅草神社の神事として踊られるのが「神事びんざさら舞」。田植え行事が芸能化されたもので、五穀豊穣や悪霊退散、子孫長久、悪病祓いが祈願されます。紅白の紙を散らして籾撒き(もみまき)に見立て、編木(さらさ)という楽器で音を奏で、さらに獅子舞も合わせて舞います。「神事びんざさら舞」は、東京都の無形民俗文化財に指定されています。
2日目:町内神輿連合渡御
三社祭で神輿が担がれる
三社祭の2日目に行われるのは「町内神輿連合渡御」。全部で44ヶ町ある氏子(うじこ)町の約100基の神輿が浅草神社の境内に集合し、1基ずつお祓い(おはらい)を受けて町内へと繰り出します。氏子とは、同じ地域に住んでその地の氏神様を信仰する人々のこと。その氏子が住んでいる地域が氏子町です。
最終日:本社神輿の渡御
三社祭の一之宮
三社祭最終日の3日目には、浅草神社の本社神輿の「一之宮」「二之宮」「三之宮」の3基が町内に繰り出します。
この3基の神輿には、浅草神社のご祭神が乗っています。一之宮には「土師真中知命」、二之宮には「檜前浜成」、三之宮には「檜前武成命」の御霊(みたま=魂のこと)が乗ります。
3基の本社神輿は、早朝に行われる「宮出し」によって浅草神社から担ぎ出され、三方面に分かれて町を練り歩きます。こうすることで、神様に町のあちこちを見てもらっているのです。日没後、浅草神社の境内に戻る「宮入り」を迎えて三社祭が終わります。
三社祭の中でも、最終日に行われる本社神輿の渡御はメインイベント。一度につき約100人ずつが交代で神輿を担ぎ、担ぎ手と観衆の熱気により浅草一帯が最高の盛り上がりを見せます。
神輿のルートはここで確認
「一之宮」「二之宮」「三ノ宮」の本社神輿3基は、それぞれ別の順路をたどります。2024年の順路図は、浅草神社奉賛会のサイト内、本社神輿 渡御順路図で公開されています。
また祭り当日は本社神輿の予想位置がリアルタイムでマップに表示されます。
3基の本社神輿の特徴は?
3基の本社神輿
現在、三社祭で使用される本社神輿は3基。もともと、本社神輿は三代将軍・徳川家光が寄進した3基、氏子町会が寄贈した1基を含めた7基がありましたが、残念ながら全て戦火により焼失してしまいました。
現在の本社神輿は、いずれも戦後に氏子が奉納したものです。胴が細く、屋根の四隅にある蕨手(わらびで)というツル植物のような装飾部が大きいのが特徴。一之宮の頭には鳳凰(ほうおう)、二之宮と三之宮には擬宝珠(ぎぼし)が飾られています。
三社祭の三之宮には擬宝珠が飾られている
神輿はなぜ揺さぶりながら担ぐ?
ところで、神輿が渡御している時に荒々しく揺さぶられているのを目にしたことはありませんか? 「神様の御霊が乗っているのに、激しく揺らしていいの?」と思うかもしれませんが、実は揺さぶる孔子は神輿に宿った神様の「魂振り(たまふり)」を行うため。
魂振りとは神様の霊威を高めるために行うもので、魂振りによって豊作や豊漁、疫病退散がなされると信仰されています。
三社祭の歴史
舟祭が行われていた隅田川
鎌倉時代末期:「船祭」のはじまり
三社祭は700年以上の歴史があります。起源は、1312(正和元)年に始められた「船祭」であるといわれています。現在、三社祭は5月に行われていますが、船祭りが行われていたのは、3月17日・18日の2日間だったそうです。
3月18日は浅草神社のご祭神である檜前浜成・武成兄弟が、隅田川での漁の最中に観音像を見つけた日です。この観音像は、浅草寺のご本尊となっています。
江戸時代末期まで:山車が巡行していた
日本では明治時代まで、神と仏を同一視する「神仏習合」という思想がありました。「神とは、仏が姿を変えてこの世に現れたものだ」とする考え方です。このために、浅草寺と浅草神社は長らく、区別がありませんでした。
祭礼も浅草寺と三社権現社(現・浅草神社)合同で行われており、「船祭」を含む一連の行事は、「観音祭」や「浅草祭」と呼ばれていたそうです。
江戸時代には、神輿よりも山車(だし)が注目の的だったようです。山車は各町によって巡行が行われ、町同士で絢爛さや行列の勢いを競っていたのだとか。
明治以降:「船祭」が廃絶と復活
江戸時代末期までは祭りの最後に、神輿を船に乗せて、隅田川を漕ぐ行事がありました。隅田川から再び陸に上がった神輿は、 また人の手で担がれ浅草神社まで戻ったといいます。
この「船祭」の行事は、檜前浜成・武成兄弟が隅田川で観音像を見つけたことにちなんだものですが、明治に入ってからは廃絶となりました。(昭和に入ってから一度だけ実施)
しかし2012(平成24)年3月、三社祭700周年の節目に「船渡御(ふねとぎょ)」という形で船祭が復活。浅草寺建立の縁起に基づく仏事・神事として盛大に斎行されました。
昔は2年に1回の開催だった
ちなみに、現在は毎年行われる三社祭ですが、昔は1年おきに行われていたそうです。
行われていたのは、その年の干支(えと)が、「丑(うし)」「卯(う=うさぎ)」「巳(み=へび)」「未(ひつじ)」「酉(とり)」「亥(い)」の年でした。
開催概要・アクセス
開催概要
●名称:三社祭
●期間:2024年5月17日(金)〜19日(日)
●行事日程:
5月17日(金) 13:00〜
5月18日(土) 10:00〜
5月19日(日) 6:30〜
●場所:浅草神社周辺(東京都台東区浅草)
●公式サイト:三社祭|浅草神社
アクセス(浅草神社)
①都営浅草線・東京メトロ銀座線[浅草]駅から徒歩約7分
②東武伊勢崎線[浅草]駅から徒歩約7分
③つくばエクスプレス[浅草]駅から徒歩約約8分
おわりに
今回は、浅草神社を中心として行われる三社祭を紹介しました。日本を代表する祭礼の1つである三社祭。3日間にわたって開催され、それぞれ違った楽しみ方ができます。700年以上の歴史を持つ三社祭は、江戸の風情が残る下町・浅草が一体となるイベント。盛り上がる町の熱気を感じに、ぜひ浅草を訪れてみてはいかがでしょうか。
Text:編集部 Photo(特記ないもの):PIXTA参考:
浅草神社 三社様
浅草神社奉賛会|三社祭 公式情報
三社祭|ジャパンナレッジ
コトバンク
Wikipedia
ほか