東京を代表する観光地と聞いて真っ先に名前が挙がる「浅草」。下町情緒漂う街並みは、古き良き日本の伝統を現在に伝え、日本のみならず世界中の観光客を魅了し続けています。
そんな浅草エリアのシンボルとして親しまれているのが、浅草寺の総門である「雷門」。門の間に下げられた大きな赤い提灯はあまりにも有名で、誰しも一度は目にしたことがあるはず。
そんな雷門ですが、いつ頃どんな経緯で建てられたのでしょうか。また、大きな提灯に注目しがちな雷門ですが、両脇の仏像や提灯の底の彫刻など、普段よく見ない部分にも見どころがあるんです。
今回は、雷門の歴史や見るべきポイントなどを解説していきます。
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雷門がある浅草・浅草寺
浅草寺の歴史
参拝客で賑わう浅草寺
浅草寺は、約1400年の歴史を持つ、東京都内最古の寺院。その始まりは、推古天皇の時代に遡ります。檜前(ひのくま)浜成・竹成兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしている最中、一躰の仏像を発見しました。
何度川に戻しても網にかかることから、持ち帰って土地の長に見せたところ、その仏像が聖観世音菩薩の尊像であることが判明しました。その尊像を祀ってつくられたお堂が浅草寺の起源とされています。
その歴史の長さから、震災や火災によって幾度も損失を経験した浅草寺ですが、その度に修復がなされ、現在までその姿を残しています。現在の浅草寺は、1945年の東京大空襲により被害を受けたあと、1951年の再建によって復活したものとなります。
浅草の歴史
下町風情漂う浅草の街並み
江戸時代以降、浅草は徳川幕府により庶民文化と商業の中心として発展を遂げ、当時の東京を支えていた下町の中心的存在でした。
物資とお金が集まる浅草には、それを求める人々も増え、経済は発展。それにともない、水茶屋や見世物小屋に代表される娯楽施設が誕生し、浅草は宗教的な聖地としてだけでなく、江戸有数の盛り場として発展していきました。
時を経て現在の仲見世や飲食店が並ぶ観光地となった浅草は、行楽地として栄えた江戸時代の面影を残す下町として、国内外から多くの観光客が訪れます。
雷門の歴史
浅草のシンボル雷門
雷門は浅草寺の総門で、「雷門」という名前は実は通称。正式名称を「風雷神門」というんです。雷門ができたのは、平安時代の942年。平公雅(たいらのきんまさ)という武将によって駒形付近に建立されました。
現在の地に門が移転してきたのは鎌倉時代のこと。門が移築された際、風神像と雷神像が奉安されました。ここから「風雷神門」の名がつけられたというわけです。
夜の雷門
江戸時代末期の1865年、雷門は田原町大火と呼ばれる火災で焼失してしまいます。その後長らく再建されませんでしたが、1960年(昭和35年)に松下電器の創業者である松下幸之助の寄進によって再建が実現。松下幸之助が浅草寺で病気平癒の祈願をしたところ、体調が回復したことから感謝の気持ちを込めて建てられたと言われています。
この時、同時に雷門の大提灯が設置されます。現在の雷門の姿はこの時完成し、以来浅草のシンボルとして親しまれるようになったのです。
雷門の見どころ
浅草のシンボルとして有名な雷門。インパクト抜群の大きな赤い提灯は、写真スポットとしても人気です。そのため、提灯に注目が集まりがちで、両脇の像などはあまり記憶にないという人も多いのではないでしょうか?ここでは普段あまり見ない雷門の細部に注目して、その見どころを紹介していきます。
風神・雷神像
雷門の風神・雷神像
大提灯の両脇に安置された風神・雷神像。浅草寺の護法善神で、水害や火災から浅草寺を守るといわれています。幕末の大火で頭部を残して焼失してしまいましたが、1874年(明治7年)に塩川運玉氏が身体の部分を修復しました。また、昭和35年(1960)の再建の際、森大造・萩原雅春氏により修補彩色がなされ、現在の姿となりました。
龍神像
雷門の龍神像
雷門をくぐると、ちょうど風神・雷神像の後ろにあるのが2体の龍神像。これも松下グループの有志によって寄進されたものです。門に向かって右側が女性の姿の金龍像、左側が男性の姿の天龍像で、どちらも水を司る神といわれています。海の災難から人々を守り、また穀物が豊かに実り育つことを守ると信じられています。
大提灯
雷門で写真を撮る観光客
雷門を象徴する大提灯。高さは約3.3m・重さは700kg・円周は10m以上になります。写真スポットとして人気の大提灯ですが、一緒に撮るなら下から、雷門全体を撮るなら道路を挟んだ反対側からがおすすめ。
雷門の大提灯に彫られた龍の彫刻
また、意外と知られていないのが、大提灯の下に彫られた見事な龍の彫刻。この彫刻は渡邉崇雲氏の手によるもので、浅草寺秘仏の観音像が発見された時、金の龍が現れたという逸話にちなんで彫られました。
また、かつて浅草は木造建築が密集して非常に火災に弱い町であったため、雨を降らせて火事から人々を救ってくれる龍は、神として崇められてきました。
折りたたまれた雷門の大提灯
そして、これも知られていないのが、雷門の提灯が畳まれるとき。台風による暴風雨でやむを得ない場合をのぞいて畳まれることのない雷門の大提灯ですが、唯一「三社祭」が行われる時だけ畳まれた姿を見られるんです。
三社祭は毎年5月、浅草寺の建立に貢献した三人を祀った浅草神社で行われる大規模な祭で、大きな神輿が担がれるのが特徴です。提灯を畳むのは、この神輿が雷門を通る際、提灯があると通れないため。なんとも浅草らしい理由ですね。祭だけでなく畳まれた雷門の提灯のレアな姿を見るためにも、多くの客が浅草寺を訪れます。
雷門ライトアップ
雷門のライトアップ
夜に浅草を訪れたなら見ておきたいのが、雷門のライトアップ。雷門は毎日日没後から23時頃までライトアップされています。仲見世がしまった後の浅草寺は人通りも少なくなるため、ゆっくりと写真を撮ったり像を見たりすることができます。昼間とはまた違った浅草のシンボルの姿を楽しみましょう。
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大提灯は雷門だけじゃない?
雷門のシンボルとしてあまりにも有名な大提灯ですが、実は浅草寺の中の雷門以外にも複数存在するんです。浅草寺にあるのは本堂の「志ん橋大提灯」、宝蔵門の「小舟町大提灯」、鳥居の東側にある「二天門大提灯」の3つ。志ん橋大提灯は歌川広重の浮世絵「名所江戸百景 浅草金竜山」にも登場します。
また、二天門大提灯は周辺の数回にわたる戦災をまぬがれ、重要文化財に指定されています。
歌川広重「名所江戸百景 浅草金竜山」に登場する大提灯
地名が書いてあるのは、当時提灯を奉納した人が、そこに好きな文字を書くことができたため。江戸時代に遊興地として栄えていた浅草には、各地から多くの人が訪れました。そこに町の名前を書いた提灯を掲げれば、宣伝効果は絶大。つまり提灯が広告として使われていたんです。
雷門(浅草寺)のアクセス
東京メトロ銀座線「浅草駅」(徒歩1分)
都営地下鉄浅草線「浅草駅」(徒歩2分)
東武スカイツリーライン「浅草駅」(徒歩3分)
つくばエクスプレス「浅草駅」(徒歩8分)
雷門の周辺情報
雷門と合わせて訪れたい浅草の定番観光スポットを紹介します。
浅草仲見世商店街
雷門を抜けて浅草寺まで続くのが浅草仲見世通り。仲見世には、日本の伝統工芸品、お土産、和菓子などたくさんの個性的なお店が軒を連ねています。活気溢れる商店街で食べ歩きを楽しみましょう。
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伝法院通り
浅草仲見世通りと交差する、江戸の暮らしを再現した約200mほどの短い通り。職人技が光る商品を取り扱うお店などが軒を連ねます。
伝法院通りには、江戸の町を騒がせた大泥棒「鼠小僧」や当時の人気歌舞伎作品「白浪五人男」の人形がところどころに隠れています。探しながら歩いてみるのも楽しいかも。
待乳山聖天
強力なご利益で古くから知られており、徳川家康や豊臣秀吉なども熱心に信仰した待乳山聖天。その強さは参拝方法を間違えば呪いとなってしまうとも言われることも。迷いや毒を清めてくれるという言い伝えから、大根を供えるというユニークな参拝方法があり、本堂には大量の大根が供えられています。
花やしき
浅草花やしきは、1853年に開園した日本で最も古い遊園地のひとつ。浅草を代表する観光地として長年親しまれています。大型のテーマパークと比較すると、敷地も狭く乗り物も古い花やしきですが、レトロな雰囲気を感じられる場所として若者にも人気のスポットなんです。
浅草演芸ホール
大衆娯楽の中心地であった浅草。中でも浅草演芸ホールは、萩本欽一やビートたけしなどのお笑い界の大御所もかつて舞台に立っていた、浅草芸能の聖地です。現在でも年中無休で、落語をメインに、漫才、コント、ものまねから、マジック、紙切り、曲芸まで、さまざまな演芸を公演しています。
浅草のシンボル雷門をじっくり見てみよう
今回は雷門の歴史や意外と知られていない細かい見どころを解説しました。浅草のシンボルとして有名な雷門。一度は訪れたことのある人が多いかもしれません。
しかし、その歴史や背景を知ってから訪れてみると、雷門がいつもより新鮮に見えるかもしれません。浅草観光の際は立ち寄って、ぜひじっくり見てみてくださいね。