【PROFILE】この人たちに話を聞きました
【INTRODUCTION】伊豆大島について
【INTERVIEW】「えびすや」津崎ほたるさん・津崎流野さん
酪農が盛んだった伊豆大島の名物お土産
ミルク感たっぷり、手焼きの牛乳煎餅を父から受け継ぐ
「ミス大島」の活動をきっかけに始めたキッチンカー
大島の魅力をもっと伝えていきたい
【INTERVIEW】「御神火茶屋」前谷壮紀さん
北海道から移住し創業140年の茶屋を引き継ぐ
ひとつの縁に手繰り寄せられ
メニューは山に合うものを
地元の人に聞いたマイフェイバリットスポット/伊豆大島編
Information
【COLUMN】2013年の台風と土砂災害-失われた命と未来への祈り

代々受け継がれるお店・味・技……etc。
新しいものが次々生まれては消えていく現代で、歴史あるものを守っていくために、時には変化が必要になることも。

この記事では東京・伊豆大島で、老舗土産物店「えびすや」と伝統のお土産「牛乳煎餅」を受け継いだ津崎さん夫婦、140年の歴史ある茶屋を受け継いだ前谷壮紀(まえや あきのり)さんを訪ね、受け継ぐに至った経緯や、変えたこと・変えないこと、これからのことを伺いました。
2組とも移住者という共通点もあり、それぞれの立場から見える島のことも伺っていきます。


Photo:Maika Mitani/Erika Nagumo
Text:Erika Nagumo
Special Thanks:Koji Yoshimoto(青とサイダー ao to cider)/東海汽船

【PROFILE】この人たちに話を聞きました

左から、津崎流野さん・津崎ほたるさん・前谷さん

左から、津崎流野さん・津崎ほたるさん・前谷さん

津崎(つさき)ほたるさん・津崎流野(るの)さん

ほたるさんは伊豆大島生まれ、伊豆大島育ち。創業67年の土産物店「えびすや」に立ちながら名物の「牛乳煎餅」を焼く職人。大島の高校を卒業後は7年ほどを内地で過ごし、2016年4月に伊豆大島へUターン。1年間、第60代「ミス大島」を務めました。
流野さんは東京都町田市出身。東京都職員。2015年から2年間、大島町役場の土砂災害復興推進室へ派遣され、2013年の「平成25年伊豆大島土砂災害」で甚大な被害を受けた伊豆大島の復興支援に尽力。2017年から2年間の内地勤務を経て、2019年から再び伊豆大島に赴任。現在は東京都大島支庁に勤務。

前谷壮紀(まえや あきのり)さん

北海道出身。伊豆大島の中央にそびえる三原山山頂付近で「御神火茶屋」を営んでいます。北海道では飲食関連の経験を10年積み、新規店舗立ち上げなどを担当。飲食店経営ノウハウを買われ、創業140年の老舗食事処・茶屋「御神火茶屋」を受け継ぐことに。2022年に伊豆大島にIターンで移住。

【INTRODUCTION】伊豆大島について

お話を伺った3人が暮らすのは、東京から南へ120kmの海上にある島・伊豆大島。伊豆諸島の中では一番大きな島で、島内にはツバキが多く自生しています。毎年冬になると、島内のあちこちをツバキの花が彩ります。

伊豆大島では古くから製塩や「くさや」作り、椿油の製油などがさかんに行われてきました。また、東京から手軽に行ける離島ということで、観光の島でもあります。
島の中央にそびえる「三原山」のハイキングや、島内一周サイクリング、ダイビングやシュノーケリングなどのアクティビティ、島グルメ巡りが、伊豆大島観光の鉄板。

島全体の雰囲気としては、静かでゆったり。古くからの景色や手付かずの自然が残る島で、のんびり過ごすのにぴったりな島です。

伊豆大島の高台からの風景。写真は「踊り子坂」

伊豆大島の高台からの風景。写真は「踊り子坂」(写真:ピクスタ)

【INTERVIEW】「えびすや」津崎ほたるさん・津崎流野さん

左から、流野さん、ほたるさん

左から、流野さん、ほたるさん

酪農が盛んだった伊豆大島の名物お土産

伊豆大島は塩、くさや、椿油以外にも、特産品が数多くあります。そのひとつが「大島牛乳」。そして大島牛乳を使って作られる人気No.1のお土産が「牛乳煎餅」です。

伊豆大島は、最盛期では1200頭の牛が飼育され、「ホルスタイン島」と呼ばれるほど、かつては酪農がさかんな島でした。しかし2007年、時代の波に呑まれ、牛乳やバターを製造販売する工場は閉鎖。牛も売り払われ、大島牛乳は途絶えかけました。

しかし地元の有志が集まり新たに会社を設立。乳牛を買い戻し、牛乳の生産を再開しました。現在は牛乳のほか、バターの生産も行なっており、伊豆大島の店頭にも商品が並んでいます。

大島空港の近くにある牧場

大島空港の近くに牧場と工場があります(写真:伊豆大島写真館

大島牛乳を使った大島の名物「牛乳煎餅」は100年以上前に誕生しました。水が貴重だった頃に、水を使わずに作れるお菓子として開発されたもので、大島牛乳と卵、バター、小麦粉、砂糖が材料です。カリッと一口かじれば素朴な甘みとともにミルクの風味が広がります。

現在、島内にはこの「牛乳煎餅」の製造元がいくつかありますが、「えびすや」もそのひとつ。親子3代にわたり牛乳煎餅を焼き続けています。

「えびすや」3代目店主の津崎ほたるさんは、高校卒業後しばらくは伊豆大島を離れていましたが、お母さんの病気を機にUターンし、家業を継ぎました。先代であるお父さんから牛乳煎餅の伝統を受け継ぎつつ、新しい魅力づくりにも精力的に取り組み、夫の流野さんとともに伊豆大島の魅力を発信しています。

「えびすや」で製造・販売する「牛乳煎餅」

「えびすや」で製造・販売する「牛乳煎餅」

ミルク感たっぷり、手焼きの牛乳煎餅を父から受け継ぐ

噴火により誕生した伊豆大島は、水はけがよく川がありません。水が貴重だった伊豆大島で、水を使わずに作られた名物「牛乳煎餅」。島内には何軒か牛乳煎餅の製造元がありますが、どれもが味が違うのだそう。えびすやの牛乳煎餅の特徴を伺いました。

伊豆大島・元町にある「えびすや」の店舗

伊豆大島・元町にある「えびすや」の店舗。「牛乳煎餅」のほかに「椿油」や「べっこう醤油」、「あした葉パウダー」など、島のお土産を幅広く扱っています

ほたるさん:
「えびすやの牛乳煎餅の特徴は、食べたときのミルクの風味が強いことです。2代目である父は、ミルク感にすごくこだわっていて、島内のほかの牛乳煎餅よりもミルク感を強くするために、ミルクの配合を試行錯誤しました。
私もそのこだわりを守るために、父から牛乳煎餅の作り方を習いました。2022年の夏に父は引退したので、今は私が3代目です。

えびすやでは〝手焼き〟を続けていることも特徴です。今は大体の製造元が機械で焼いていて、手焼きをしているところは、えびすや含めて2軒しかありません。手焼きだと、1枚1枚生地を型に入れて、火加減や焼き加減も自分で調節しなくちゃいけないんですが、今では手焼きは貴重になってしまったので、半分意地みたいな気持ちもありつつ、手焼きを続けています。」

※ほたるさんが牛乳煎餅を焼いている様子はこちらから見ることができます → 「あんこRiderと牛乳煎餅

流野さん:
「えびすやの牛乳煎餅は焼印も試行錯誤しているんですよ。焦げで焼印しているので、細かいデザインだと焦げ面積が大きくなってより苦味が強くなるし、逆にざっくりしたデザインだと焦げ面積が小さいからより甘くなる。いろいろなデザインで試しました。」

ほたるさん:
「今、焼印は4種類あって、うちの母やイラストレーターさんなどがデザインを担当しています。ちなみに、牛の焼印は体の黒い部分が大島の形になっています。」

牛乳煎餅

牛乳煎餅のロゴ、走るあんこさん(伊豆大島では目上の女性のことを〝あんこさん〟と呼びます)、牛、自転車の4種の絵柄

ほたるさんが焼く牛乳煎餅は、えびすやのほか、島のお土産屋さんで購入が可能。ちなみにえびすやでは、雑貨やアクセサリーも販売していますが、それらの中には家族の手作りの品も数多くあるそうです。

えびすやの商品

椿の実を使ったピアスはほたるさんのお母さんの作。牛柄ピアスは妹さんの作です。絵柄がかわいい「御神火(ごじんか)マッチ」は、京都在住のイラストレーター・滝町昌寛さんが制作

「ミス大島」の活動をきっかけに始めたキッチンカー

一度は島を離れたものの、今では「えびすや」の3代目として、日々島のため、家族のため奔走するほたるさん。2020年からは、金・土曜を中心にキッチンカーでの出店もはじめました。「島のために何かしたい」「家族を笑顔にして元気づけたい」という思いでキッチンカーをはじめたのは、伊豆大島にUターンしてからの出来事がきっかけでした。

ほたるさん:
「高校卒業後に島を出て内地で仕事をしていましたが、Uターンのきっかけになったのは母が病気になってしまったこと。『お店を手伝って』と言われ、それで帰ってきました。島に帰ってきてからは知人に『ミス大島(※)』の60代目をやってみないかと声をかけてもらい、お店とミス大島、両方に挑戦することになりました。ちなみに夫の流野さんとはミス大島の仕事の一環で、地元フリーペーパー『12class(じゆうにくらす)』の撮影をしたときに知り合ったんですよ。」

流野さん:
「自分は東京都の職員なので、もともとは内地にいたのですが、土砂災害からの復興支援のために、2015年4月に、大島町役場の土砂災害復興推進室へ派遣され、大島にやってきました。
フリーペーパーの撮影は、ボランティアとして参加していました。」

※ミス大島:伊豆大島の魅力を伝える宣伝大使のような存在。伊豆大島在住の女性から毎年ひとりが就任します。「伊豆大島椿まつり」が開催され、伊豆大島がもっとも盛り上がる1~3月には宣伝隊の一員として、町長さんらと共に内地へ。2週間ほどかけて、ラジオやテレビに出演したり、都知事を表敬訪問したりなど、伊豆大島の宣伝活動を行います。

伊豆大島椿まつりキャラバン隊が東京都知事を表敬訪問

「ミス大島」も参加する伊豆大島椿まつりキャラバン隊が東京都知事を表敬訪問(2017年/写真:東京都)

ほたるさん:
「この『ミス大島』の活動をしていたことは、私にとって大きかったと思います。
というのも、Uターンした当初は、地元なのに知らない人ばかりでなんだか落ち着かず、不安に感じていました。でも次第に島の人たちが話しかけてくれるようになってきて。
ミス大島をやっていたから、いろんな人に知ってもらえていたんです。知らない人からも『頑張ってね』と声をかけてもらうこともあって、そのうちに心も落ち着いていったし、元気ももらえました。

ミス大島の活動を通じて人の温かさや自然の豊かさに触れることが多くありました。それで改めて『大島のために何かできないか』と思い、キッチンカーを始めました。

大島は飲食店の数が十分ではないし、さらに船の出発時間帯に営業しているお店も少ない。だからキッチンカーで飲食店不足を補えれば、と思いました。メニューは季節ごとに変えていて、冬ならおでん、夏ならかき氷、というふうに営業しています。」

えびすやの店頭に出店するキッチンカー

えびすやの店頭に出店するキッチンカー(写真提供:えびすや)

大島の魅力をもっと伝えていきたい

1週間のうち、牛乳煎餅を焼かない日は、お店の売り子かキッチンカーの営業、という生活を送っているほたるさん。今後もやりたいことはたくさんあると語ります。

ほたるさん:
「キッチンカーのほかにもまだまだやりたいことはたくさんあって、たとえばえびすやの2階でカフェをやりたい。キッチンカーの営業は誰か別の人にお願いして、自分はカフェ営業をやりたいなと思っています。

それから、時間はかかってしまうと思うんですが、お土産の商品も充実させていきたいんです。今えびすやで販売しているものって、全部が全部大島のもの、というわけではないんです。ほかの島でも売っているものもあったりします。せっかく来てくれたお客さんには、大島の材料を使っているものとか、大島で作ったものを提供したいなと思っていて。
もっと多くの人に大島の魅力を知ってもらえるように、商品開発をしたり、動いていければいいなと思っています。」

左から流野さん、ほたるさん

■■

【INTERVIEW】「御神火茶屋」前谷壮紀さん

「御神火茶屋」の前谷壮紀さん

「御神火茶屋」の前谷壮紀さん

北海道から移住し創業140年の茶屋を引き継ぐ

大島の中央にそびえる「三原山」はいまも活発に火山活動を続ける活火山。1986年には山の中腹から噴火し、流れ出た溶岩が元町に迫りました。この噴火により、大島の全島民は約1カ月、島外への避難生活を余儀されたといいます。

噴火のときは厳重注意が必要な三原山ですが、普段はハイキングで人気の山です。頂上をぐるりとひと回りする「お鉢めぐり」コースのほか、山の東側に広がる「裏砂漠」のコース、固まった溶岩が不思議な光景を作り出す「ジオロックガーデン」など、ダイナミックな火山の姿を楽しめるコースが整備されています。

そのため昔からハイキングコースの入口には、お茶や軽食で訪れる人々をもてなすお店がいくつかあります。2022年7月にリニューアルオープンした御神火茶屋もそのひとつ。

御神火茶屋は、路線バスも停まるハイキングコースの入り口「三原山山頂口」で、140年ほど前に創業。長らくハイカーに愛されていましたが、2020年に一時休業。それからしばらくは建物だけがある状態でした。
そこへやってきたのが、北海道から移住した前谷さん。建物や屋号はそのままに、カレーやタコス、ブリトーなどを提供するお店として再スタートしました。

三原山山頂口から望む三原山。御神火茶屋のカウンターからも同じ景色を見ることができます

三原山山頂口から望む三原山。御神火茶屋のカウンターからも同じ景色を見ることができます(写真:ピクスタ)

ひとつの縁に手繰り寄せられ

北海道から移住した前谷さんは、「御神火茶屋」のオーナーの血縁でも、両親が伊豆大島出身というわけでもありません。なぜ遠く離れた地に移住し、「御神火茶屋」を引き継いだのか。前谷さんに伺いました。

前谷さん:
「『御神火茶屋』はもともと、高木さんという一家が140年くらい営んでいたお店でした。登山客にお蕎麦を出したりする昔ながらのお店ですね。ところが後を継ぐ人が誰もいなくなってしまって、しばらくお店を閉めていたそうです。

自分は北海道出身で、大島に来るまでは北海道以外で暮らしたことはありませんでした。北海道では飲食業をやっていたのですが、たまたま御神火茶屋のオーナーの息子さんと知り合う機会があって。」

ちなみに「御神火」というのは、噴き上がるマグマや、赤く染まった空のこと。大島では古くから、三原山に畏敬の念を抱き、火口から噴き上がる炎を神の火として崇めていました。

マグマを吹き上げる三原山

マグマを吹き上げる三原山(写真:東京都)

前谷さん:
「たまたま知り合った高木さんとは、意気投合して仲良くなって、彼が北海道にいる間、僕がアテンドしたりしていたんです。そうこうしているうちに、『御神火茶屋』をやってくれないかと誘ってもらったんです。僕は飲食店業を10年くらいやっていて、立ち上げのノウハウもあったから、そこを買ってもらって。でも最初は断っていました。」

しばらくの、間のらりくらりとオファーをかわしていた前谷さん。その間も高木さんとの交流は続いていて、ときどき伊豆大島にも遊びに行くことがあったそう。

前谷さん:
「何度か大島に来てるうちにだんだん、移り住もうかなと思うようになってきて。だって、こんなロケーションで働けるチャンスってそうそうないじゃないですか。

東京都の消防士とか警察官って、異動のときに大島赴任を希望する人が多く倍率が高いんだそうです。だからこんな場所で暮らして働けるって、貴重な機会だと思って。

それに、何度も来るうちにまったく知らない島ではなくなっていたから。知ってる人もいるし、思い切って御神火茶屋をやってみることにしました。」

ノスタルジックな雰囲気とカフェ的な雰囲気が入り混じる、居心地のいい店内

ノスタルジックな雰囲気とカフェ的な雰囲気が入り混じる、居心地のいい店内

メニューは山に合うものを

以前はお蕎麦などを提供していた御神火茶屋ですが、前谷さんが受け継いでからのメニューはカレー、タコス、ブリトーなど。カレーは昔ながらのほっとする味わい。野菜のうまみが溶け出したコクのあるルウは、白いごはんによく合います。

前谷さん:
「北海道時代は飲食店の新規立ち上げをメインで担当していたから、ひとつのジャンルだけじゃなくて、和食・イタリアン・メキシカンなど、さまざまなジャンルの料理を経験していたんです。だから御神火茶屋では逆にどんなものを提供しようか迷ってしまって。

結局、『山といったらカレーじゃない?』という知人の一言でカレーを出すことにしました。

でも実は、いろんなジャンルを経験しておきながらカレーはやったことがなくて。最初は辛さ強めのスパイスカレーを出したりしていたんですよね。でも『辛い』って言われたり、『山カレーのイメージと違う』って言われたり。」

御神火茶屋のバターチキンカレーはサラダ付き。プラス200円で大盛りもできます

御神火茶屋のバターチキンカレーはサラダ付き。プラス200円で大盛りもできます

前谷さん:
「それで辛さはマイルドにして、山を登った後に食べたくなる味をイメージして、現在のカレーに行きつきました。辛いものが好きな人には、自家製のジョロキアソースで辛さを調整してもらっています。ベースをオーソドックスなものにしたので、アレンジをいろいろ楽しめるように卓上調味料を充実させてみました。」

カレーのほかには、タコスとブリトーを提供。日替わりで3種から選べます。登山後の腹ペコのときはもちろん、登山前に軽く腹ごしらえしたいとき、天気が悪くて山に登れないときなど、シーンを選ばずに楽しめるラインナップです。
ちなみに、山というと昼間のイメージがありますが、御神火茶屋は2日前までに予約をすれば夜でも食事ができます。

「カタラーナ」と「本日のブリトー」

焼きプリンを凍らせた「カタラーナ」と「本日のブリトー」。この日の具材は豚肉を煮込んだ「カルニータス」ほか2種

前谷さん:
「街灯も何もないので、夜は星がすごく綺麗なんですよ。だから夜も楽しんでもらえたら、と思って、予約が入れば夜も営業しています。

山頂口まで来るのは少し大変かもしれないですが、逆にここまで来てしまえば圧巻の星空。こんな景色、なかなか見られないですよね。」

伊豆大島・三原山から見る星空

伊豆大島・三原山から見る星空(写真:ピクスタ)

■■

地元の人に聞いたマイフェイバリットスポット/伊豆大島編

地元の方に独断と偏見でお気に入りの場所・思い出の場所をピックアップしていただき、紹介していく本コーナー。今回は土産物店・えびすやのほたるさんと流野さんに、伊豆大島のフェイバリットなスポットをお聞きしました。

サンセットパームライン

ほたるさん:
「私はパームラインが好きで、よく走ったりしています。ふと見える景色がすごく綺麗なんです。夕方は島の人たちもよくウォーキングしたり犬の散歩してる人が多くて、島民の憩いの場になっていますよ。」

サンセットパームライン

サンセットパームラインはお散歩にもランニングにもサイクリングにもぴったり(写真:ピクスタ)

裏砂漠

流野さん:
「好きな場所はありすぎて選ぶのんに困ってしまうんですが、やっぱり裏砂漠が好きですね。大島にしかないものなので。行けるところまで車で行ったら、歩いて散策するのが楽しいです。行ってみると本当に別世界ですよ。」

月面のような雰囲気がある「裏砂漠」

「裏砂漠」。常に風が強いため植物が育たず、まるで月面のような風景が生まれています(写真:伊豆大島写真館

ちなみに、流野さんは大島含め伊豆諸島の情報を紹介する東京都大島支庁のインスタグラムアカウント@oshima_branchofficeの運営を担当。こちらもぜひチェックしてみて。

Information

■えびす屋土産店
住所:東京都大島町1-17-1
時間:9:00〜17:00
定休:無休
公式サイト:えびす屋土産店

■御神火茶屋
住所:東京都大島町元町鏡端
時間:10:00〜15:00(14:30LO)
   17:00〜21:00(20:00LO)※要予約
定休:水曜
公式Instagram:御神火茶屋
※予約は公式LINEまたはInstagramのDMでどうぞ。

【COLUMN】2013年の台風と土砂災害-失われた命と未来への祈り

伊豆大島メモリアルパーク

伊豆大島メモリアルパーク(写真:伊豆大島写真館

2013年に伊豆大島を襲った台風26号と、豪雨による土砂災害。東京都の職員として災害復興支援に携わってこられた流野さんに、災害後の状況や復興支援について伺うことができました。ここでは土砂災害の概要、復興のための取り組みについて少しご紹介したいと思います。

■ ■

2013年10月の伊豆大島土砂災害から、2022年10月で9年が経ちました。
伊豆大島に豪雨と土砂災害をもたらした台風26号は、2013年10月10日にマリアナ諸島付近で発生。16日明け方に伊豆諸島北部を通過し、同日午後、三陸沖で温帯低気圧に変わりました。

このわずかな間に、伊豆大島をはじめ日本各地で記録的な大雨が降り、伊豆大島では大規模な土砂災害が発生。伊豆大島は島全体が火山地域です。土砂災害が起こった場所は、表層土の主体が火山灰でした。短時間で大量の雨水が降り注いだことにより、表層土が崩壊。表層土の上に生えていた木々もろとも泥流となって、家々を飲み込みました。
この土砂災害により、伊豆大島では36名の命が失われ、9年が経った2022年も、3名の行方が分からないままです(2022年10月時点)。

流野さん:
「災害があったのは2013年ですが、その後も長い時間をかけて復旧・復興活動を行なっていて、自分が派遣されたのは2015年でした。大島に来るのはそのときが初めてだったのですが、すごく静かな印象でした。

業務としては大島町復興計画に事務方として携わりながら、被災された方々が過ごされている仮説住宅を訪問し、ひとりひとりに寄り添いながら、さまざまな声を聞かせていただいていました。

現在『大島町メモリアル公園』という公園がある神達(かんだち)地区は、土砂災害による被害が大きかった場所です。『大島の発展につながり未来への財産となる公園』をコンセプトとして、4つのゾーンを有する公園として整備されました。」

伊豆大島メモリアルパークに整備されたスケートボード場

伊豆大島メモリアルパークに整備されたスケートボード場(写真:伊豆大島写真館

大島町メモリアル公園は、整備を計画する中で『被災したそのままの形で残すべき』などさまざまな意見の対立があったそうです。それらさまざまな意見と向き合い、小・中学生にもアンケートを行い、何度も検討が重ねられました。
大島町メモリアル公園には慰霊碑のほか、スケートボード場や遊戯施設なども整備されています。鎮魂の祈りの場であると同時に、これからを担う世代のための場所でもあります。

土砂災害が発生した10月16日の朝は、毎年黙祷が行われます。2022年10月16日の朝も、島内放送のスピーカーからサイレンの音と「黙祷」のアナウンスが響きました。
2022年現在も大島町は10年にわたる復興計画の途上にあります。