- 陰陽師とは何者?
- 占いなどをする昔の公務員
- 限られた人だけが入れた「陰陽寮」
- 陰陽師が使う理論①「陰陽五行説」
- 陰陽師が使う理論②「陰陽道」
- 天才陰陽師【安倍晴明】はどんな人物だった?
- 50代で活躍した遅咲きの陰陽師
- 安倍晴明の伝説①:御堂関白の御犬晴明等奇特の事
- 安倍晴明の伝説②:母が妖狐だった?
- 安倍晴明の伝説③:大江山の酒呑童子討伐
- 安倍晴明の師匠・賀茂家の重要人物【賀茂忠行】
- 安倍晴明の最期
- 安倍晴明のライバル【蘆屋道満】との珍エピソード
- エピソード①:弟子になったのは……
- エピソード②:式神が捕まえたのは……
- エピソード③:安倍晴明に勝利!?
- 陰陽師が使役する【式神】とは
- 式神の基本的な種類
- 思業式神(しぎょうしきがみ)
- 擬人式神(ぎじんしきがみ)
- 悪行罰示神(あくぎょうばっししきがみ)
- 陰陽師が使役していた有名な式神一覧
- 十二神将(じゅうにじんしょう)
- 前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)
- 犬神(いぬがみ)
- 陰陽師が使う【印・術式・呪物】とは
- 九字護身法(くじごしんぼう)
- 五芒星(ごぼうせい)
- 蠱術(こじゅつ)
- 式神を憑依させる
- 式神を守護神にする
- 式神に家事を手伝わせる
- 陰陽師の歴史
- おわりに
映画などでも話題の「陰陽師(おんみょうじ)」。一度はこの名を耳にしたことがあるのではないでしょうか。
悪霊を鎮めるなどして都の平穏を守る、的なイメージが強い陰陽師ですが、実際にはもっと実務的な仕事もしていたようです。
ここでは、平安時代の公務員「陰陽師」たちがどんなことをしていたのか、有名な陰陽師「安倍晴明」がどんな人物だったのか、詳しく紹介したいと思います。
※この記事は2021年4月に作成されました
※2024年8月、一部情報を更新しました
陰陽師とは何者?
占いなどをする昔の公務員
陰陽師とは、「律令制(りつりょうせい)」という古代日本の国会制度の中で「陰陽寮(おんみょうりょう)」という組織に所属していた人々を指します。現代で言えば、公務員的な立場の人々ですね。
主な仕事は、学術と占いを駆使して、さまざまな困りごとを検証したり、解決することです。また、そのほかに、天文・気象の観測、暦の作成、時刻の測定なども陰陽寮の仕事だったようです。
ちなみに、映画などで描かれる「陰陽師」を思い浮かべると、怨霊を沈めたり厄祓いなどをする人というイメージがありますが、実はそれらは本来「呪禁師(じゅごんし)」と呼ばれる立場の人々の仕事でした。
陰陽師の仕事は多く多忙
限られた人だけが入れた「陰陽寮」
占い、天文観測、気象観測、暦の作成、時刻の測定などを行う陰陽寮は、かなり狭き門だったようです。陰陽寮に入れた一度に6人だけ。また、律令制が厳しい時代では認められた陰陽師以外の者が「陰陽道(おんみょうどう)」を学ぶことを厳しく禁止されていました。
陰陽師が使う理論①「陰陽五行説」
陰陽師の占いは、「陰陽道(おんみょうどう)」という一種の学問のような、体系化された思想・理論・技を基に行われました。
この「陰陽道」の基となっている思想は、中国の「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」と呼ばれるものです。陰陽五行説の基本的な考え方は次の2つです。
①全ての事象は陰(いん)と陽(よう)に分けられる(=陰陽論)
②全てのものは「木・火・土・金・水」の5つの元素から成り立つ(=五行説)
陰陽師の思想の根底、陰陽五行思想
「陰陽論」と「五行説」が融合した「陰陽五行思想」は、「木(き)・火(ひ)・土(つち)・金(か)・水(みず)」の要素にそれぞれ「陰と陽」を配し、陽であれば「え」、陰であれば「と」と語尾につけます。そのようにしてつけられた呼び名が以下の10種類です。
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甲(きのえ)・乙(きのと)
丙(ひのえ)・丁(ひのと)
戊(つちのえ)・己(つちのと)
庚(かのえ)・辛(かのと)
壬(みずのえ)・癸(みずのと)
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これらは「十干(じっかん)」とも呼ばれ、日を数えるときに用います。最近では漫画『鬼滅の刃』に登場する隊士たちの階級の名前としても使われていましたね。
陰陽師が使う理論②「陰陽道」
先に「陰陽道」は「陰陽五行説」を基にした思想・理論・技だと述べました。
日本で独自に形成された「陰陽道」は「陰陽五行説」に、当時日本で最先端の学問とされた仏教や道教、神道、修験道の要素を織り交ぜ生まれました。また天文学や暦学、易学(えきがく)、時刻などと密接な関係を持ちます。
平安時代を代表する天才陰陽師・安倍晴明は、この陰陽道により祈祷を行い、雨を降らせては飢餓を救い、病を癒やしていたと言われています。
天才陰陽師【安倍晴明】はどんな人物だった?
晴明神社にある安倍晴明像
古代の役職である「陰陽師」が現代でも有名なのは、歴代陰陽師の中で群を抜いて天才といわれた「安倍晴明(あべのせいめい)」という人物がいたからです。
安倍晴明は何がそんなに天才であったのか、安倍晴明の生涯はどんなものだったのか、安倍晴明の秘密を解き明かします。
50代で活躍した遅咲きの陰陽師
飛鳥・奈良時代から活躍していた陰陽師は、徐々にその存在感を高め、平安時代に最盛期を迎えます。その時代を率いたのが、安倍晴明でした。
ちょっと意外かもしれませんが、安倍晴明が陰陽師として頭角を表したのは57歳になってからでした。
陰陽師とは本来、占いやを天文観測などがメインの仕事ですが、安倍晴明は陰陽師の仕事を超え、呪禁師の領域でも活躍しました。式神を使用し、厄祓いなど多くを成し遂げた安倍晴明は、不思議な逸話を残しています。
安倍晴明の伝説①:御堂関白の御犬晴明等奇特の事
平安時代の貴族・藤原道長(ふじわらの みちなが)が飼っていた犬が、ある時主人である藤原道長の外出を必死に止めようとしました。その様子を不思議に思った藤原道長が安倍晴明に相談。
安倍晴明が占うと、第三者の陰陽師が使役する鬼神力=呪いの「式神」によって呪われそうになったところを犬が察知して騒いでいたと告げます。
その後、安倍晴明は自らの式神によって呪いをかけようとしていた陰陽師を捕縛。他者の呪術を跳ね除け、自ら逆に捕縛するという安倍晴明の強さがうかがえます。
安倍晴明の伝説②:母が妖狐だった?
これは諸説ありますが、そもそも安倍晴明に大きな才能があったと言われるのは、安倍晴明の母が「信太の森(現在の大阪府和泉市)」に住む「葛の葉(くずのは)」と呼ばれる妖狐であっため。
妖狐は人間に化けたりする霊力があると言われています。ある時人間に追われて逃げていたところ、安倍晴明の父に保護されることに。そのまま結婚し、生まれた子どもが安倍晴明だという伝説です。
半分妖狐の血が流れている安倍晴明は、他の者より霊力が強く幼い頃から鬼を見ることもできたといわれています。
安倍晴明の母は妖狐?
安倍晴明の伝説③:大江山の酒呑童子討伐
大江山(京都府福知山市と与謝野町の境にある山)に住んでいたと言われる鬼「酒呑童子(しゅてんどうじ)」。悪名高く知名度がある鬼です。京の都で娘を誘拐した酒呑童子は、夜な夜な街に降りては財宝略奪や殺害などの悪虐を繰り返していました。しかし当時の朝廷は、それらの事件が酒呑童子によるものだと分からず、頭を痛めていました。
そこで登場したのが安倍晴明。「犯人は大江山に住む酒呑童子だ。」と一番初めに見破ります。安倍晴明のおかげで酒呑童子は討伐されることになりました。
酒呑童子が潜んでいたと言われる大江山
安倍晴明の師匠・賀茂家の重要人物【賀茂忠行】
安倍晴明が陰陽師として頭角を表したのは57歳頃だったと述べました。
しかしあくまで才能は幼少期からあり、それを見抜いて安倍晴明を育てた人物がいます。それが陰陽道の達人であった「賀茂忠行(かものただゆき)」という人物です。
元々陰陽寮は天文道・暦道・陰陽道の三部門に分類されており、それぞれに専門家がいました。しかし賀茂忠行はその分類を越え、天文道・暦道・陰陽道の三つを習得。陰陽家・賀茂氏を確立しました。賀茂忠行の子である「賀茂 保憲(かものやすのり)」も陰陽道の達人となりました。
賀茂忠行は、幼い安倍晴明を弟子としてお供に連れていました。ある日、賀茂忠行の夜行中、安倍晴明が夜道に鬼がいることに気付き、師に知らせに行きます。
鬼を見ることは、経験を積んだからといってできることではありません。それにも関わらず、幼少期から鬼の姿が見えたという点に、賀茂忠行は安倍晴明の才能を感じました。
こうして、安倍晴明は、達人・賀茂忠行から陰陽道の全てを教え込まれました。もともとの才能に加え、英才教育を受けたことが、安倍晴明が天才と呼ばれる理由です。
安倍晴明の最期
安倍晴明は生誕が西暦921年、死没が西暦1005年。40歳まで生きれば長寿とされた平安時代で、84歳まで生きたのです。当時としてはあまりに長生きだったので、安倍晴明の母が1000年生きると言われる妖狐だったから、安倍晴明も長寿だったという言い伝えがあります。
現代において、実は安倍晴明がどこで亡くなったかの情報は定かではありません。そのため安倍晴明の墓だと言われてる場所が、京都の嵐山や愛知県の岡崎市など複数存在します。
安倍晴明のライバル【蘆屋道満】との珍エピソード
安倍晴明は陰陽師の中でも天才で、多くの逸話を持っています。そんな安倍晴明にもライバルと呼ばれる存在がいました。それが「蘆屋道満(あしやどうまん)」。「道摩法師(どうまほうし)」と同一視されることもある人物です。
蘆屋道満と安倍晴明は実力差が大きく書かれている文献が多く、ライバルというより腐れ縁のような関係の方が近いかもしれません。
エピソード①:弟子になったのは……
安倍晴明と蘆屋道満は師弟関係でもある
「正義の晴明」と呼ばれていた安倍晴明に対し、蘆屋道満は「悪の道満」と呼ばれていました。ある時、蘆屋道満は安倍晴明と呪術勝負を持ちかけ、負けた方が弟子になるという約束を帝の御前ですることに。
その賭け事は帝が両者には知らせず、袋にみかんを15個入れて中身を当てるというもの。蘆屋道満は「みかんが15個」と言い当てましたが、安倍晴明は「鼠が15匹」と答えます。
帝は安倍晴明が答えを外したことに落胆しながら袋を開けると、なんと中から鼠が出てきて安倍晴明の勝利。そして蘆屋道満が安倍晴明の弟子になるという不思議な関係になりました。
エピソード②:式神が捕まえたのは……
「安倍晴明が藤原道長を呪いから救った」エピソードは先に述べた通り。このとき悪事を働こうとして、安倍晴明の式神に捕えられたのは、なんと蘆屋道満でした。さすが、「悪の道満」と呼ばれるだけあります。
この悪事がばれ、捕まった蘆屋道満は生国播磨に流罪となってしまいました。
エピソード③:安倍晴明に勝利!?
ある時、遣唐使として派遣され、唐の「伯道上人(はくどうしょうにん)」のもとで修行をすることになった安倍晴明。安倍晴明が不在なのを利用し、蘆屋道満はあろうことか安倍晴明の妻と不倫関係になります(!)。
伯道上人の書を盗み見て術を身につけた蘆屋道満は、またしても安倍晴明に勝負を挑むことに。呪術で安倍晴明との命を賭けた対決に勝利し、安倍晴明をついに殺害します。
しかし第6感で安倍晴明の死を悟った伯道上人は急遽来日。「生活続命(しょうかつぞくみょう)の法」という呪術で安倍晴明を蘇生させます。伯道上人はその後、蘆屋道満と安倍晴明の妻を斬首。
そして安倍晴明は復帰後、伯道上人から授かった書をさらに発展させました。
なかなかアウトローなことばかりをする蘆屋道満。結局は毎回負けてしまいますが、安倍晴明を唯一殺した男です。安倍晴明のライバルとして伝えられるのも理解できます。
陰陽師が使役する【式神】とは
陰陽師が使っていたと言われる式札
陰陽師の従える鬼神
式神とは、陰陽師の命令で動く鬼神(きじん)または霊的な存在のことです。「式鬼(しき)」や「識神(しきじん)」と呼ばれることもあります。陰陽師は必要な時に式神を呼び出して命令を下します。呼び出せる式神は陰陽師の力が大きく関係しており、力の強い陰陽師ほど、強力な式神を呼び出せます。
しかし式神や術は注意しなくてはならない部分もあります。「人を呪わば穴二つ」。人に害を与えれば、自分にもいずれ返ってくるという言葉があるように、式神や術で人を陥れる・呪うことがバレれば自分に返ってきてしまうのです。
安倍晴明はかなりの実力を持つ陰陽師であったため、多くの貴族から相談や依頼を受け、依頼主を襲う式神や呪いを返り討ちにします。返り討ちに遭った敵側の陰陽師が倒れることも少なくなかったようです。
基本的に式神の存在は、一般人には認知できませんが、一般人にも見えるように擬態している存在もいます。
式神の基本的な種類
陰陽師の擬人式神には藁人形など使用される
思業式神(しぎょうしきがみ)
陰陽師の思念が込められたことにより創られる式神。思業式神は姿形が自由に変えられます。しかし変えられると言っても陰陽師の力が弱ければ強い式神にすることは困難。陰陽師の実力が顕著に現れる式神です。
擬人式神(ぎじんしきがみ)
人形型をした「式札(しきふだ)」と呼ばれる和紙札、草や藁で作られた人形、通称「藁人形」に霊力が込められ創られた式神。ドラマや映画に出演しやすい式神です。人形に意思が込められていると上位式神、意思がないものは下位式神といわれています。
式札が陰陽師の術法によって使用されると、使役意図に合わせた能力を携える鳥獣や異形など姿を自由自在に変えられると伝わっている模様。陰陽師の界隈で最も使われる頻度が高い式神です。
悪行罰示神(あくぎょうばっししきがみ)
過去に悪事を行った霊などを倒し、服従させることで使えるようになる式神。強い霊を倒し服従させても、使役する陰陽師の能力が低ければ逆に式神に呑み込まれるという危ない式神でもあります。
安倍晴明はこの悪行罰示神を使役するのが得意だったと言われ、たくさんの強い悪行罰示神を従えて家事をやらせていたと伝説が残るほど。
陰陽師が使役していた有名な式神一覧
安倍晴明が使役する十二神将
最強の陰陽師であった安倍晴明。多くの有名な式神を従えていたと言われています。
十二神将(じゅうにじんしょう)
最強の陰陽師・安倍晴明が従えていた多くの式神のうち、最も強かったのが「十二神将」と呼ばれる12の霊。「十二天将(じゅうにてんしょう)」と呼ばれることもあります。式神の種類としては「悪行罰示神」に分類されます。
十二神将とは、一般的には薬師如来の下に属する12の守護神が有名ですが、陰陽道の十二神将はそれとは異なります。陰陽道でいう十二神将とは、「六壬神課(りくじんしんか)」という中国の占いで使用する神獣・霊獣たちのこと。それぞれ陰陽五行説に当てはめられていて、司る「五行(木・火・土・金・水)」「十二支」「十干」「方角」「季節」「吉凶」などが決められています。
それぞれの名前と司る十二支・方角は次の通り。
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騰蛇(とうだ)……巳(み)/南東
朱雀(すざく)……午(うま)/南
六合(りくごう)……卯(う)/東
勾陳(こうちん)……辰(たつ)/南東
青龍(せいりゅう)……寅(とら)/北東
貴人(きじん……)丑(うし)/北東
天后(てんこう)……亥(い)/北西
大陰(たいおん)……酉(とり)/西
玄武(げんぶ)……子(ね)/北
大裳(たいじょう)……未(ひつじ)/南西
白虎(びゃっこ)……申(さる)/南西
天空(てんくう)……戌(い)/北西
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この十二神将を、安倍晴明は呪術を行うときや、人の善悪を見破るときに使役していました。特に東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武は、中国の神話で天の四方を司る霊獣「四神」としても有名。名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
十二神将は北極星を中心とした星座などが起源。陰陽師になる前から天文学で才覚を表していた安倍晴明と十二神将は相性も良く、最強のコンビだったのかもしれません。
前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)
「前鬼」と「後鬼」は夫婦の式神です。赤く斧を持つ「前鬼」が夫で、青く理水(霊力のある水)が入った水瓶を持つ「後鬼」が妻です。
もともとこの鬼たちは、人間の子どもをさらうなど災いをもたらす鬼でした。しかし、修験道の開祖と言われている僧侶の「役小角(えんのおづの)」に出会い改心。役小角が使役したと伝えられています。
役小角は前鬼・後鬼の子どもを隠し、子どもを拐われた人の心の痛みを分からせるという少々手荒な方法で改心させました。改心してから前鬼・後鬼は役小角が亡くなるまで共にいたと言われています。
犬神(いぬがみ)
犬神というのは、犬の霊が取り憑いた式神のこと。この犬の霊を生み出すにあたっては、残忍な方法が用いられます。
主な方法としてまずは犬を飢餓状態にします。飢餓状態になった犬の首を切り、その頭を辻道に埋め人々が頭上を住来することで、怨念が溜まった霊ができ、呪物として使えるようになります。
別の方法もあります。犬の頭部のみ出した状態で生き埋めにし、その前に食べ物を見えるように置きます。そして餓死する寸前に頭を切り、その頭を焼いて骨にし、器に入れて祀ります。すると永久にその人に憑き、願望を成就させると言われています。
犬神はこのような成り立ちのため攻撃性が高め。取り憑いた人の家族を噛み殺す、祟り殺すこともあるようです。また、取り憑かれた人は大食いになったり、凶暴になったりするなど犬の怨念の片鱗が見られます。
陰陽師が使う【印・術式・呪物】とは
陰陽師の印である五芒星と九字
九字護身法(くじごしんぼう)
陰陽師の護身術式の九字
「九字(くじ)」とは、呪力を持つとされた9つの漢字のこと。
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臨(りん)
兵(ぴょう・びょう)
鬥(とう)
者(しゃ・じゃ)
皆(かい)
陣(じん)
列(れつ)
前(ざい)
行(ぜん)
==
これが九字です。
九字護身法とは、この9つの漢字と、9つの印(いん)によって除災戦勝などを願う術のことです。やり方は、9つの漢字の読みを唱えながら手で印を結ぶか、指を剣になぞらえて空中に線を描くこと。また、九字は別名「ドーマン」と言われており、これは蘆屋道満(あしや どうまん)からきています。
ちなみに、また「十字」と呼ばれる、文字を1つ加えることで効果を一点特化させるという技法もあります。追加の文字は発揮させたい効果によって変わってきます。
五芒星(ごぼうせい)
安倍晴明の家紋、五芒星
「五芒星(ごぼうせい)」は、別名「セーマン」とも呼ばれ、西洋・東洋問わず古来パワーに溢れる印として知られています。5つの頂点を持つこの印は、陰陽道において五行を表しており、それぞれを線で結んで「相克(そうこく)」の意味になります。
相克とは、相対するもの同士が争うこと。五行説では、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に、それぞれ勝つとされます。
五芒星を書いた印を持ち歩いたり、五芒星を書く行為によって、災厄から身を守り心身を清め続けられます。五芒星は安倍晴明が祈祷呪符として作成・使用したといわれており、晴明桔梗(せいめいききょう)・晴明九字と呼ばれており、安倍晴明の家紋でもあります。
蠱術(こじゅつ)
現代では「虫」といえば昆虫のことですが、昔は人・獣・鳥・魚・貝以外の小動物全般を「虫」と呼びました。「蠱術」、別名「蠱毒(こどく)」は、昆虫やクモ、ムカデ、ヘビ、カエルなど、広義の意味での〝虫〟を使って式神を作る方法です。
方法は、容器の中にクモやムカデなどの生き物をたくさん入れ、共食いをさせます。最後に生き残った生き物の霊は神霊となるので祀ります。そしてその生き物の毒を呪物として使用します。
毒が当たると症状は様々ですが、一定期間のうちに死ぬと伝わっています。しかしあまりにも凶悪な呪いのため、平安時代では禁止令が出たという話もあります。
お隣・中国では蠱毒の毒を使い殺害した・殺害を試みたものは、死刑になるといった処置があるほど、呪物としての力は強力で恐ろしいものとされています。
式神を憑依させる
陰陽師は、式神を特定の相手に憑依させ呪い殺すことができたそう。平安時代は貴族同士の争いも多く、実際に呪い殺して欲しいという依頼が多くあったとも。
相手に式神を憑依させるためには、まずは相手を誘き出す必要があります。平安時代は、呪いをかけた呪物を地面に埋め込むことで相手を誘い込むことが可能とされてました。
式神を守護神にする
式神は人や街を守ることもできます。このとき守護神として使われるのは主に擬人式神。式札や藁人形を用途に合わせた姿に変化させ、家などにおいています。
安倍晴明は街を守るための門番として、式神置いていたそう。現代でも家に札を貼る、お祓いをしてもらうのは、この守護神と同じ要領になります。
式神に家事を手伝わせる
式神は陰陽師の家事手伝いも仕事
式神の出番は戦いや呪い、偵察などだけではありません。ときには陰陽師の家事の手伝や、お使いをすることもあったとか。安倍晴明は特に強い陰陽師であったため、使役できる式神が多くいました。
安倍晴明のような優秀な陰陽師は、常に仕事が入ったり、街の護衛があったりと大忙し。そのため式神たちに家事をやらせていたと伝えられています。なお、安倍晴明の妻は式神を怖がったため、安倍晴明は別に小屋を作り、そこでひっそり式神を住まわせていたようです。
ちなみに、式神といえど、はじめから家事ができるわけではありません。立派は家事手伝いにするためには、きちんと教育をする必要がありました。想像するとなかなか微笑ましいですね。
陰陽師の歴史
陰陽師の服が現在の宮司に引き継がれている
陰陽師の始まりは飛鳥時代といわれています。陰陽師の根底となる思想の陰陽五行思想が、中国大陸から朝鮮半島西域を経由しやってきました。
最初に辿り着いた時、陰陽五行思想の影響はそれほど大きくなかったといわれています。しかし、602年に百済(くだら)から来日した觀勒(かんろく)が天文学、暦本、陰陽五行思想を聖徳太子を含む官僚に教えたことをきっかけに、日本に大きな影響を与えることになったのです。
初めて日本において暦が官暦として採用され、仏法や陰陽五行思想・暦法などを更に吸収するため、607年に遣隋使の派遣が始められます。
他にも聖徳太子による十七条憲法や冠位十二階の制定など、多くの事柄に陰陽五行思想の影響が色濃く現れることになりました。
陰陽師という言葉が使われ始めたのは685年頃。そこから30年ほど経った718年、ついに養老律令(ようろうりつりょう)により中務省の内局である小寮として、陰陽寮が設置されました。
奈良・平安時代は貴族同士の争いも多く、たくさんの魂が怨霊となったことで、疫病や災害を引き起こすと考えられていた時代。そのため占いや祈祷に頼ることも多く、この時代こそが陰陽師を有名にした大きな要因だったのです。
おわりに:陰陽師はヒーロー
今回は「そもそも陰陽師とは?」という疑問から、安倍晴明の知られざる能力や式神、術式まで徹底的に解説しました。災害や厄災など解決できないものは怨霊や呪いのせいだと考えられ、恐れられていた平安時代。そんな時、術式や式神などが使える陰陽師は市民の希望であり、ヒーローのような存在だったのです。
ここで陰陽師について知識を蓄えれば、現代で語り継がれている舞台や映画、浄瑠璃、ゲームなどさらに楽しめること間違いなし。陰陽師の秘密に足を踏み込んでみてはいかがでしょうか。