「浦島太郎」や「一寸法師」、『泣いた赤鬼』(浜田廣介作)、「百鬼夜行絵巻」、近年では『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴作)など、昔話や児童文学、絵巻物、漫画、ゲームなどに登場する「鬼」は、日本人にはとても馴染みのある存在。
「鬼才」「心を鬼にする」などの日本語や、「鬼ごっこ」などの遊び、「節分」などの行事もあるように、「鬼」の存在は日本の暮らしにすっかり浸透しています。
この記事では、そんな身近な存在「鬼」とは一体なんなのか、古来からの考え方や仏教思想を元に考えてみたいと思います。また鬼にまつわる雑学もまとめました。節分の日に周囲の人に披露すれば一目置かれるかもしれません。
鬼は正体によっていくつかの種類に分けられる
「百鬼夜行」などで描かれる鬼
「鬼」の正体を大きく分けると、次のように分類することができます。それぞれ詳しくご紹介しましょう。
●非科学的な存在全般
=【妖怪】【神】
●人間/元人間
=【変化した人間】【死者/死者の魂】【実在した人間】
●仏教の世界の存在
=【地獄の生き物】
妖怪
昔話や民間伝承に登場する鬼の多くは、人を食べるなど、人に害をなす恐ろしい存在として描かれていて、「妖怪の一種」と扱えます。
例えば、西日本に伝わる「牛鬼(ぎゅうき)」は、毒を吐き人を食い殺すことを好む妖怪と伝えられています。
妖怪というのは、人間の理解を超える奇怪で異常な現象を起こす非科学的な存在全般のこと。昔では、未知の自然現象や未確認生物などは、妖怪と考えられていました。「何かわからない」という漠然とした恐怖心が妖怪を生んだのです。
妖怪として描かれる鬼
神
昔の人々はまた、目に見えないものや人の理解を超えた存在を「神」とすることもありました。そのため鬼は、山や土地を守る神々を指し示すことがあります。この種類の鬼は、目が1つしかないものもいて、人を助けるために超人的な能力を使ったという伝説も。「山神」に属しているとされています。
前述の「牛鬼」も、獰猛な性格の妖怪だとする一方で、神の化身とする説もあります。
また、四天王像(※)に踏まれている小鬼は「邪鬼(じゃき)」と呼ばれますが、彼らは仏法を犯す「邪神」とされています。
※四天王とは仏教の世界の守り役。四天王像はそれを表現した仏像です。四天王の面々は、もともとインドの神様でした
多聞天と踏み潰される邪鬼
変化した人間
鬼は霊的な存在として現れる場合もあります。この場合の鬼の正体は、人間。人間が怨念や嫉妬などによって悪霊となり、鬼の姿へと変わったものと言われています。
特に人間の女性が怨念によって鬼となると「鬼女(きじょ)」と呼ばれます。能面で使われる「般若(はんにゃ)」が有名です。
人間が怨念によって鬼化した存在は、妖怪の鬼と同様、人に災いをもたらす恐怖の対象として扱われています。
般若のお面
死者/死者の魂
「鬼」という言葉はもともと中国から入ってきたといわれています。漢字の「鬼」は死体を表す象形文字で、現在でも人が亡くなることを「鬼籍に入る」と表現するように、人は死んだら鬼になると考えられていたのです。中国では、鬼とは死者の魂そのものであり、姿形のないものとされました。
実在した人間
一方、鬼という存在は実在する人間を指すこともあるようです。
720年(奈良時代)に完成した歴史書『日本書紀』の卷第十九には、遠い国からきた外国人や海賊、山賊などの反社会的集団を「野蛮で醜いもの」という意味で「鬼魅」と記述され、ここに「おに」という読み仮名が振られていたとされています。ここから、肉体を持つ人間が「鬼」と呼ばれることもあったと考えられます。
さらに、「金工師」と呼ばれる職業の人たちも「鬼」と呼ばれていたという説も。金工師は鉱山採掘や金属製品生産など、金属に関する仕事をしていた人たちのこと。鬼伝説のある土地が鉱山地である場合が多いことや、鬼が伝説の中で金工に結び付いている例があること、実際に伝説の中で金工師とされる例もあることから、この説が唱えられました。
地獄の生き物
鬼の一般的なイメージである、角や牙を生やした恐ろしい姿は、実は仏教の鬼の姿から来ています。仏教には六道と呼ばれる6つの世界が存在し、前世の行いによって来世で生きる世界が決まるとされています。
六道のうちの一つ、「餓鬼道(がきどう)」と呼ばれる世界に生きる者たちが、鬼の一種である「餓鬼(がき)」。餓鬼は食べ物と水を手にしても、火になってしまうため、常に飢えに苦しみ決して満たされることがない鬼。前世で金や食べ物を独り占めした欲深い人間は、この餓鬼に生まれ変わってしまうとされています。
六道のうちのまた別の世界「地獄道」にも鬼がいるとされていて、彼らは仕事をしています。地獄道は六道の中で最も辛く苦しい世界で、前世で人殺しのような悪事を働いた者が落ちる場所。鬼の仕事は、それら地獄道に落ちた悪い人間に拷問を行い、苦しみを味あわせて罪を償わせること。一般的な恐ろしい鬼のイメージは、この地獄の鬼に由来しています。
地獄の鬼
日本で有名な鬼たち
酒呑童子
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、平安時代に京都で大暴れしたと伝えられる鬼。6mもある巨体に、角は5本あり、さらに目が15個もあるという恐ろしい見た目をしており「史上最強の鬼」ともいわれています。酒を好み、人をさらって喰う悪鬼でしたが、毒を盛られた酒を飲まされて倒されたという伝説が残っています。
目一鬼
目一鬼(まひとつおに)は、733年に完成した『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に登場する人喰い鬼です。実際のところ、この鬼に名前はありませんが、目が一つであったことからこう呼ばれています。日本に現存する文献で確認できる、怪物として記述される鬼の中で、最古の鬼と言われています。
牛頭・馬頭
牛頭(ごず)と馬頭(めず)は、どちらも地獄の鬼です。地獄の鬼の中には、動物の顔をした鬼も存在していて、牛頭と馬頭はそれぞれ、牛の頭・馬の頭に人間の体という奇妙な姿をしています。牛頭と馬頭はセットで登場することが多く、地獄の番人とも考えられています。
牛頭・馬頭
鈴鹿御前
鈴鹿御前(すずかごぜん)は、怨念によって鬼と化した鬼女(きじょ)と言われています。しかし、鈴鹿御前は坂上田村麻呂と出会い改心し、悪事を働く鬼を逆に退治する側になるという珍しい展開に。それため鬼ではなく山の神や天女ではないかとも言われています。
三吉鬼
三吉鬼(さんきちおに)は、秋田県に伝わる伝承の中で語られる鬼。大酒飲みで、人里に降りてきては呑み屋で酒を飲み、お金も払わず出ていきます。しかし、夜になると呑み代の10倍ほどの値打ちがある薪を置いていくという話が有名です。
また、1人では動かせない重い荷物を動かす時や大きな仕事がある時は、酒樽を供えて三吉鬼に願をかけると、一夜のうちにその仕事が終わっているという話も残っています。
人を喰うような恐ろしい鬼だけでなく、心優しい鬼や福をもたらす鬼も存在していることがわかります。
鬼の色ごとに異なる象徴的な意味
鬼の色のイメージといえば、赤や青ではないでしょうか。たまに緑や黄色が登場することもあるかもしれません。
仏教の世界における鬼には、5種類の色があるそうです。この5色には、仏教における5つの煩悩が当てはめられていて、それぞれに象徴される意味があります。
仏教の世界では5色の鬼がいる
「赤鬼」は貪欲
赤色の鬼が表す煩悩は「貪欲(どんよく)」。すなわち人間の欲望を表しています。赤鬼が一番有名なのは、この欲望があらゆる邪気の象徴であると考えられているからです。
「青鬼」は怒り・恨み
青鬼が表す煩悩は「瞋恚(しんに)」。瞋恚とは怒りや恨み、憎しみといった人間の憎悪の感情の事を指します。
「黄鬼」は甘え・執着
黄色の鬼が表す煩悩は「掉挙・悪作(じょうこ・おさ)」。浮ついた心や甘え、執着など、自身の心の弱さを映し出しています。黄色の鬼は白色とも言われており、同じ意味を表しています。
「緑鬼」は怠惰
緑色の鬼が表す煩悩は「惛沈・睡眠(こんじん・すいめん)」。やるべきことをやらない、だらだらと眠ってばかりいる、という怠けた心からくる不健康や不摂生を意味します。
「黒鬼」は疑う心
黒色の鬼が表す煩悩は「疑惑(ぎわく)」。自分や他人を疑う心や、愚痴などを指します。自身の中にある不平不満の心、卑しい気持ちを映し出していると言えます。
鬼の特徴といえば?
「鬼」と一口に言っても、さまざまなタイプの鬼がいることを紹介しました。とはいえ、昔話やイラストなどに登場する鬼にはステレオタイプなイメージがありますよね。
そんな一般的な「よく描かれる鬼」の特徴を以下にまとめました。
【外見】角と虎のパンツ
鬼の外見の特徴として最もよくイメージされるのが、パーマをかけたように縮れた頭に牛の角を2本生やし、腰には虎の皮でできたパンツを履き、手に金棒を持った姿。これは地獄の鬼が由来となっています。
実はこの「牛と虎」という特徴にも意味があるのです。風水上、鬼が出入りすると言われる「鬼門」は北東とされています。昔の方角では、「子(ね)」を北として十二支の名前が時計回りに当てられていたため、北東は「丑寅(うしとら)」の方角。そこから頭が牛で下が虎という鬼の姿が生まれたとされています。
サラサラヘアーの鬼もいるかも
【性格】鬼の苦手なもの
恐怖の象徴でもある鬼ですが、そんな彼らにも苦手なものが存在します。それはズバリ「ヒイラギの葉」と「イワシの頭」。ヒイラギのトゲは鬼の目を刺し、イワシを焼いた臭気と煙で鬼が近寄れなくなるといいます。
節分の時期には、焼いたイワシの頭をヒイラギに刺した「焼嗅(やいかがし)」や「柊鰯(ひいらぎいわし)」を、魔除けとして家の戸口に吊るしておくという風習もあります。
鬼が苦手なヒイラギとイワシ
鬼の起源と名前の由来
「鬼」という言葉の起源は中国
「鬼」という言葉は、中国からやってきました。とはいえ「鬼」という言葉が伝わる前から、日本にも鬼的な存在はありました。
それが「モノ」です。モノは怨念を持った霊や邪悪な怨念そのものとされ、実体のない存在とされていたようです。
仏教の影響で鬼のイメージが定着
やがて仏教思想の影響で地獄の鬼のイメージが広がると、恐ろしくて怖いものが「鬼」と捉えられるようになっていきます。また、姿形も「地獄の鬼」のイメージが広がり、鬼は実体のある怪物として認識され始めました。
「鬼(おに)」という呼び名が定着していったのは平安時代頃からです。鬼の語源は、「この世ならざるもの」という意味の「隠(おぬ)」であるという説があります。
暮らしに定着した鬼
鬼のイメージが定着してからは、鬼は日本人の日常生活の中にすっかり溶け込みました。
ここでは鬼が登場する昔話、慣用句、ことわざ、遊びなどをご紹介。人の暮らしと鬼との関係を考えてみます。
鬼がつく言葉
「鬼将軍」「鬼嫁」
部下や夫に対し厳しい人に対して使われる言葉。「鬼」という字を使うことがあります。この場合の「鬼」は恐ろしいものの象徴として使われているので、仏教の鬼がイメージされていると推察できます。
「鬼才」「仕事の鬼」
よい意味で普通の人間とかけ離れている様子を表す時にも「鬼」が使われます。こちらは「超人的」「得体が知れない」という畏怖の意が込められているので、妖怪の鬼、神様としての鬼のイメージが元かもしれません。
「鬼の目にも涙」
冷徹で無慈悲な人でも時には哀れみを示すという意味。
「鬼の居ぬ間に洗濯」
怖い人やうるさい人がいない間にくつろぐという意味。
「鬼に金棒」
強いものが何かを得てさらに強くなるという意味
鬼にまつわる行事
節分の豆まき
節分とは、本来季節の分かれ目を示す立春、立夏、立秋、立冬の前日を意味します。室町時代から現在のように立春の前日のみを指すようになったといわれています。
こういった節目の時期には邪気が入りやすいと考えられていました。特に旧暦では新年が春から始まったため、立春は年の変わり目として最も重要な日。そこで邪気=鬼を払う神事が行われるようになったのです。
なお鬼を払うときに豆をぶつけるのは、古くから穀物(成熟した豆は穀物に分類されます)には霊が宿り、魔除けの力があるとされているから。また、魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて魔を滅する(魔滅=まめ)という意味にも繋がることから、豆を巻くようになったとも言われています。
ちなみに節分の豆まきでは、自分の中から煩悩を消したい時、その煩悩を表す色の鬼に豆をぶつけると良いんだとか。
逃げる青鬼と赤鬼
なまはげ
「なまはげ」は秋田県の男鹿半島で毎年行われる伝統的な民俗行事。大晦日の夜、青年たちが恐ろしい顔をした鬼のお面をかぶり、「泣く子はいねがー」と叫びながら地域の家を回って子どもたちに迫ってきます。
あまりの恐怖に子どもたちが泣き叫ぶ様子を見ると、とんでもない悪者のように思えてしまうなまはげですが、その正体は実は五穀豊穣、大漁満足、悪疫除去を司る神の使者「神鬼」の化身なんです。
なまはげが家々のドアを叩き、わざと大きな音を立てて荒々しく登場するのは悪いものを祓い落とすため。また家中を歩き回って「ケデ」と呼ばれる藁(わら)を落としていくのも、ケデが無病息災のご利益がある縁起物であるため。
地域の人たちにとってのなまはげは、一年の厄を祓い、新年を祝福するありがたい鬼なのです。
なまはげ
豊橋鬼祭り
鬼にまつわるユニークな祭りもたくさん存在します。例えば愛知県豊橋市の安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)で行われる「豊橋鬼祭り」。
このお祭りでは、赤鬼と天狗の戦いを表現したさまざまな神事が行われます。最後は赤鬼が天狗に敗れ、白い粉とタンキリ飴をばら撒きながら境内から逃走。この粉を浴びて飴を食べると厄除け効果があると伝えられています。粉は小麦粉で表現されており、参加者は小麦粉で真っ白になりながら飴を食べて健康を祈ります。
豊橋鬼祭りの天狗
昔話に見る鬼
一寸法師
小指ほどの大きさの小さな男の子が、針を刀に、お椀を船として京へ行き、侍となる物語。一寸法師は都を襲う鬼に食べられてしまいますが、腹の中を針でつつき回ると、鬼はたまらず逃げていきます。その後、鬼の落とした打ち出の小槌で、一寸法師は大きくなることができました。
しかし、実は原作の「御伽草子」では、両親が大きくならない一寸法師を気味悪がっていた、京で仕えた姫を騙して自分に好意を向けるよう仕組んだなど、ダークな一面が描かれており、ややクセのあるヒーローとなっています。
ちなみに一寸法師のモデルは、体の小さい神様・少彦名神(すくなびこなのかみ)とする説があります。少彦名神は、大国主神とともに、国作りを行なった神様です。
一寸法師
桃太郎
「桃太郎」モモから生まれた桃太郎がイヌ、サル、キジを従え、鬼ヶ島で鬼を退治するおとぎ話です。実は登場する果物や動物たちにはそれぞれ意味があります。
風水上、「裏鬼門」(鬼が出入りする「鬼門」の反対側)は申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)の方角とされています。だから、桃太郎のお供はその三者。そしてモモは、中国古来より邪気を払う力があるとされる植物。また桃の実は生命を宿す女性を意味していると考えられています。
桃太郎
金太郎
足柄山で動物とともに暮らす力持ちの金太郎が、立派な侍に魅入られて出世し、悪人を倒していくという物語。これは平安時代に存在した坂田金時(金太郎)と源頼光(お侍)がモデルとなっています。
一見鬼は登場しないように見えますが、室町時代に作られた物語「御伽草子」の中では、丹波の大江山に鬼退治にいく様子が描かれています。この鬼こそ、史上最強の鬼と言われた酒呑童子(しゅてんどうじ)。毒を入れた酒を飲ませて動きを封じて斬り殺し、見事に鬼退治を成功させます。
金太郎
鬼が登場する物語の特徴
鬼が登場する昔話には、善を勧め、悪を懲らしめる「勧善懲悪」がテーマのものが多く、鬼はそこで倒すべき「敵役」を演じています。
しかし、昔話の鬼はただの恐ろしい敵だけではなく、悪政を行い人々を苦しめる権力者などを表しているとも考えられています。自分の利益のために人を犠牲にするような悪い心そのものが、退治すべき鬼であるとも言えそうです。
鬼がつく遊び
鬼ごっこ
鬼ごっこは、参加者の中から一人の「鬼」を決め、残りは逃げて鬼がそれを捕まえる。そして捕まった者が次の鬼となる、というルールの遊び。
鬼ごっこの起源は平安時代にまで遡れるとされています。節分行事として行われる「鬼の追い払い」は「追儺(ついな)」と呼ばれ、中国から日本に伝わりました。そして宮中行事として行われるようになり、役人が盾と矛を持って鬼役を追いかけ回す行事となりました。これが鬼ごっこに通じるとされています。
追儺の行事で踊る鬼
鬼ごっこの起源と考えられるもう一つの遊びがあります。「比比丘女(ひふくめ)」です。地蔵菩薩が地獄の鬼から子どもを守る様子を表しており、そのルールはまず鬼役に向き合った親役の後ろに子が縦に長くつながる。鬼は列の最後の子を狙って追いかけ、親は両手を広げて子を守る、というもの。江戸時代には「子とろ子とろ」とも呼ばれていました。
だるまさんがころんだ
鬼が見ているときに動いてはいけない、という遊び。鬼は顔を伏せ、周囲が見えないようにし「だるまさんがころんだ」と唱えたのち、顔を上げ振り返ります。鬼以外は、鬼が顔を伏せている間に鬼に駆け寄り、鬼に触ることができれば勝ち。ただし、鬼が振り返ったときに動いてはいけません。もし鬼の前で動いてしまったら、その人はゲームオーバー。鬼に捕まってしまいます。
おわりに
今回は、鬼の起源や特徴、そして鬼にまつわる様々な言葉や行事について紹介しました。出会ったら震え上がるほど恐ろしい鬼ですが、実は身近に存在していることがわかっていただけたのではないでしょうか。
恐ろしい怪物、災いあるいは福をもたらす神、はたまた人間の心の闇と、鬼の正体はさまざま。何気ない日常を過ごすあなたのすぐそばにも、実は鬼が潜んでいるのかもしれません。
Text:編集部
Photo/Illustration(特記ないもの):PIXTA
参考:
平藤喜久子『日本の神様 解剖図鑑』(エクスナレッジ)
【幽霊と妖怪】の違いとは?日本のお化けの歴史に迫る!|THE GATE
コトバンク
ウィキソース
Wikipedia
ほか