わびさびの意味
わびさびの歴史
わびさびを感じられる場所
海外から見たわびさび
わびさびを正しく使おう!

日本文化特有の「わびさび」。一度は耳にしたことがある人が多いのではないでしょうか。

しかし実際に何度も聞いたことがあるし、なんとなく分かっているけど意味を聞かれたら言葉で説明はできない。そういう人もいるはず。

今回は日本にいながらあまりわびさびについて触れてこなかった人でも、わびさびを人に説明できるように改めてわびさびについて解説していきます。

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神社・寺

わびさびの意味

苔むした石などにわびさびを感じる

苔むした石などにわびさびを感じる
わびさびの意味は、大まかに言ってしまうと「日本文化特有の美意識や感覚のこと」です。

その日本人ならではの美意識というのは、静かさや質素さ。そして何よりもそのものの不完全さです。日本人は完成された豪華なものよりも、少し何かが欠落している物や静寂などを好む傾向があるのです。

しかし、実はわびさびはその質素さだけのことを指しているわけではありません。

わびさびは、閑静さといった事象や風景を示していると思われがちですが、そうではなく日本文化特有の美的理論のことを示しているのです。

豪華で完全な金閣寺はわびさびとは少し違う

豪華で完全な金閣寺はわびさびとは少し違う
例えば金閣寺より銀閣寺の方がわびさびを感じると言われています。それは見た目的な部分ではなく、日本人特有の美意識によるもの。

しかしわびさびは、美意識が全てというわけではありません。わびさびとは、未だ完全に翻訳できない言葉。そして日本人でもわびさびを感じることができても言語化することが難しい概念であり、感覚的に捉えられやすいものです。

それゆえ、わびさびの感覚は人それぞれ。明確な定義はなく、人によってわびさびの捉え方が変わります。

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神社・寺

わびさびは一つの言葉ではない!

茶道と共に定着したわびさび

茶道と共に定着したわびさび
わびさびは風景や建築など主に目で見えるものに対し、言われる機会が多くあるもの。なんとなく言葉にして発してしまうわびさびですが、実は一つの言葉ではありません。「わび」と「さび」の言葉が合わせられているのです。

しかし実際に使われる言葉は「わび」と「さび」ではなくわびさび。いったいわびさびには、どのような意味が込められているのでしょうか。

わびの意味

静かな環境下での暮らし 侘ぶ

静かな環境下での暮らし 侘ぶ
わびさびは合体させられた言葉ですが、本来の「わび」はどのような言葉の意味を持つのでしょうか。

「わび」とは本来「侘び」のこと。動詞系の「侘ぶ」が名詞系になったものです。そして侘ぶというのは「気落ち・悲観する。困惑、辛く思うこと」といった意味で使われていた言葉。主に心の面、感情や状態のことを指しています。

それと同時に「静かな環境を楽しむ・閑静な暮らしを情趣する」という意味も。これは中世に近づくにつれ確立されていったものであり、現在の侘びに最も近い意味でもあります。

その時代に困窮していた者たちは、当時の暮らしを最初は嘆いていましたが、「どうしようもないのでその生活を受け入れよう。そして、その状況の中で安住して楽しく生きよう」と思います。それこそが今の状況を受け入れ静かな環境を楽しむことに繋がるのです。

侘びというのは何事も楽観的に捉え、どんな状況でもそれを楽しむ精神的な豊かさを感じる言葉に。不足されている部分に美を感じるということにも通ずるものになりました。

さびの意味

朽ちていくものにある美しさ 寂ぶ

朽ちていくものにある美しさ 寂ぶ
侘びは心の豊かさを象徴するかのような言葉でしたが、「さび」にはどのような意味があるか知っている人もいるのではないでしょうか。

「さび」というのは「寂」。そして寂は「寂ぶ」という動詞の名詞系です。そしてここで使われている意味として「閑寂の中や枯れたものにおのずと奥深さや趣が感じられる」というもの。つまり、見た目が欠けたものなどが特有の美しさを持つ。という意味で使われています。

また同時に「寂しい・弱る」と本来はあまり良い概念ではありませんでしたが、奈良時代には成立していたと考えられる万葉集では使われていました。しかし歌人の藤原俊成や松尾芭蕉が寂に美を見出し、歌の姿を寂にたとえ歌ったことで、寂に対する認識が大きく変わったとも。

簡単に侘びを内面的な豊かさの象徴とするなら、寂は外面的な美しさ。さらに言うと、侘びは汚さなど受け入れ今を楽しむ精神性を表現したものです。ただ寂びは外面が寂れているのが良いのではなく、内面の本質が表面に現れていると考えられ、美の概念となりました。

内面と表面に焦点を当てた表裏一体のような言葉であるからこそ、侘び寂びはともに使われ「わびさび」と言われることが多いのです。

わびさびの歴史

侘び寂びについて意味を解説してきましたが、実際わびさびという概念はどこから生まれたのでしょうか?いつからわびさびの概念は確立したか、さらに解説していきます。

わびさびの生まれは日本ではない

わびさびの文化は日本が最初ではなかった

わびさびの文化は日本が最初ではなかった
日本特有の文化であり、世界を独特な視点で見る感覚を指すわびさび。実は、わびさびという概念が生まれたのは日本ではありません。

初めてわびさびの概念が生まれたのは、中国の宋王朝(960〜1279年)時代の道教からでした。「日本の文化ならわびさびも日本で生まれただろう」と感じていた人も多いはず。わびさびのみならず、日本の文化であるものが実際は中国やインドからやってきたという話は少なくありません。

それならわびさびは日本の文化ではないのでは?と思ってしまう人もいるかもしれませんが、そこから日本は独自のわびさびを確立し、日本らしさに変えていくことで日本の文化になったのです。

道教から生まれたわびさび。その後禅仏教にも取り込まれることになりました。当時のわびさびは、禁欲的そして控えめに美を愛でるための考えだったそう。

わびさびはいつから?

千利休が作庭したと言われる黄梅院

千利休が作庭したと言われる黄梅院
中国からわびさびの概念が伝来し、日本に定着したのは16世紀中盤頃。それは茶道が広まりはじめたと同時にやってきます。その頃は、茶道と政治が強く結びついている時期でもありました。

茶道で有名な人といえば「千利休」。彼は侘びの精神を大事にした「侘茶(わびちゃ)」の完成させた者としても知られています。当時千利休と茶道の界隈で有名な「村田珠光(じゅこう)」が侘茶を定着させるまでは、中国から輸入された湯飲みや陶器など色鮮やかで豪華なものが好まれていた時代。
日本の繊細な陶器が大人気に

日本の繊細な陶器が大人気に
しかし中国陶器が大人気の中、千利休や村田珠光が「派手で美しい見た目だけではなく、繊細な色調や手触りに目を向けなさい」と多くの弟子や人々に説きました。そこから色鮮やかな陶器を前にしていた頃には見なかった繊細な部分に注目がいき、これが侘びなのだと人気に火がつくことに。

当時の市民の暮らしの価値観とも非常に合っていた茶道は、あっという間に広まっていきました。しかし天下の豊臣秀吉の側近、そして大名としての力があった千利休。政治的な関わりがあったことで、広まっていく力を恐れた豊臣秀吉は千利休に切腹を命じました。

千利休が亡くなったことで茶道やわびさびが消えるかと思われましたが、逆に彼の存在がかけたことで茶道の完全性が欠如し、わびさびが完成したと民間に広まることに。こうして千利休の茶の湯は「わび」と今でも言われます。

わびさびの大事なもの

不完全さがより美しさを際立てる

不完全さがより美しさを際立てる
わびさびの概念が難解なことはもちろんですが、わびさびの絶対に理解しておきたい大事な部分とは?それは「不完全さ」と言われています。

全てがきちんとした完成されたものではなく、不十分であること。その不完全なものこそが想像力を掻き立てると言われています。また完成されたものであると、道教においては死を意味するものとも。完成されたものであると、そこからの成長や発展は無いものです。

しかし不完全であれば、完璧になろうと努力し、発展し続ける。そういった意味でわびさびは不完全さが求められているのです。

わびさびを感じられる場所

ここまでわびさびの概念など説明してきましたが、実際に日本にはどんなものがわびさびと言われているのでしょうか。わびさびを感じられる場所や事象などここで紹介していきます。

神社仏閣

時間経過がみられる神社

時間経過がみられる神社
日本のわびさびの代表例として、神社仏閣が挙げられます。特に当時の姿からあり続ける神社仏閣は、建築的に劣化や損傷が見られることがあります。本来完全な姿を求める人にとっては修復しなければ、あまり美しくないと思うかもしれません。

しかしわびさびの心で見ると、損傷や劣化した姿はその年月を表すもの。その年月の中、現在まで生き延びた時間に想いがめぐります。

日本庭園

日本庭園の枯山水

日本庭園の枯山水
わびさびを感じると言われる日本庭園。代表的なものには「枯山水」などがあげられます。その枯れた葉や木、ずっと動かなかったため苔むした岩。時間経過が分かるような、劣化しつつあるものや閑静な様子がわびさびとして愛されています。

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日本庭園の枯山水

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神社・寺

枯れ井戸や朧げな建物が愛される理由も、その不完全な様子からくる美しさ。今までなんとなく気にしなかったところもわびさびを知れば違った景色に見えてくるかもしれません。

十三夜月はわびさびとも言われる

十三夜月はわびさびとも言われる
日本人や世界的にも親しまれている月。日本ではお月見を行うこともあり、身近に感じる存在です。満月のみならず美しいとされている月があるのをご存知でしょうか。

わびさびを感じるとされている十三夜月。これは満月ではありませんが、満月に次いで美しいとされている月です。一般的にお月見といえば満月とされていますが、この十三夜もお月見も行われるほど。

その理由はやはりその不完全さ。満月になってしまうと完全な美しさということで、想像力の入る余地がないと思われます。しかしこの十三夜月は少し欠けている分、満月になるまでの時間を楽しむことができ、ここまで満ちた経緯と時間に思いを馳せることができるのです。

時々空を見上げ、十三夜月にわびさびを感じる夜も悪くないかもしれません。

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歴史

金継ぎ

金継ぎされた陶器は美しさを秘める

金継ぎされた陶器は美しさを秘める
お気に入りの陶器が割れてしまった、ヒビが入り欠けてしまった。そんな経験をした人も多いのではないでしょうか。そんな時に直すために金継ぎが行われることもありますが、これもわびさびと言われています。

金継ぎを行うと陶器によっては色が合わず、余計その傷が目立ってしまうことも。しかしその傷を修復したことで完全ではなくなり、わびさびだと感じる要因に。

金継ぎによって大切にしている様子が目に浮かび、わびさびと感じる人は多いそう。

海外からみたわびさび

昔から日本で親しまれているわびさび。翻訳できない言葉とも言われていますが、海外ではどのように受けいられているのでしょうか。

西洋の美学とは反対

モダニズム建築のパルメン・ハウス

モダニズム建築のパルメン・ハウス
日本では不完全さ、経過した時つまり移り行くものを慈しむことが美学とも捉えられますが、実は西洋の美学は、日本と全く違う価値観を持っているのです。

西洋では完全なもので未来的なものを美学と捉えていることが多い、いわゆる現在のモダニズム。合理性や完全なことを求める分日本とは価値観が真逆と言っても過言ではありません。

言語化できないわびさび

日本の繊細な陶器はわびさびと言われやすい

日本の繊細な陶器はわびさびと言われやすい
日本のわびさびというのは言語化が非常に難しいもの。特にその意味を日本人が完全に理解することも難しく、この感覚は人によって大きく左右されることもあります。

独特な世界の見方であり、解釈でもあるわびさび。海外では、言葉になかなかできないわびさびを理解しようとする人が多いです。西洋では本来全く違う観点のものが美学だと考えられていましたが、わびさびの価値観は今まで見てこなかった分野ということから興味深い文化だと思われることも。

しかしわびさびは明確な定義がはっきり決まっていないため、ニュアンスで感じ取るしかない部分もあり、翻訳が難しいと言われています。

「翻訳は難しくてできないけれど感じることはできる」そんな奥ゆかしさ、不完全さがまたわびさびと言えるのかも知れません。

わびさびを正しく使おう!

今回はわびさびについて解説してきました。わびさびを感じ取ることができたでしょうか。

日本にいたけど、わびさびの文化をあまり触れてこなかったという人も、改めて知ることで見える景色が違ってくるかもしれません。これから訪れる場所や日本の文化など、全てを存分に楽しみわびさびを感じてみてください。