「泣く子はいねがぁ〜!悪い子はいねがぁ〜!」
大晦日の夜にとどろく声の正体は、秋田県・男鹿(おが)市の伝統行事「なまはげ」。鬼のような恐ろしい形相をしたなまはげが家々を回り、子どもたちはあまりの恐怖に泣き叫びます。
秋田県の名物といえば真っ先に名前が上がるほど、日本全国で有名な「なまはげ」ですが、一体どんな行事なのか、なぜこんなにも恐ろしい見た目をしているのか、そもそもなまはげとは何者なのか、詳しく知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。
今回は、そんな「なまはげ」の正体や歴史を徹底解説。さらに、秋田でなまはげ役を長年勤めるベテランに話を伺い、知られざるなまはげの裏側や、なまはげを演じる側の本音を取材してきました。なまはげの魅力をどこよりも深く探っていきます!
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なまはげとは
秋田県に伝わる伝統行事「なまはげ」ですが、一体どのような行事なのでしょうか。そして、なまはげとは一体何者なのでしょうか。ここでは、なまはげの歴史や具体的な特徴など、なまはげの全容を明らかにしていきます。
秋田県・男鹿市に伝わる伝統行事
伝統的ななまはげ
なまはげは、秋田県・男鹿市に伝わる伝統行事。大晦日の夜になると、村の若者が鬼のような巨大で恐ろしい面と、藁(わら)でできたミノを身にまとい、木でできた包丁を手に持って家々を巡ります。男鹿のなまはげは、日本を代表する伝統行事として2018年にユネスコの無形文化遺産にも登録されました。
まずは先立(さきだち)と呼ばれる役目の者が家に来て、なまはげが訪問して良いかを確認します。これは、なまはげがその年に不幸があったり、病人がいる家には入らないため。
家に入ってくるなまはげ
確認が終わると「泣く子はいねがぁ〜」「怠け者はいねがぁ〜」と大声で叫びながら、なまはげが次々と登場。家に入ったなまはげたちは、戸をドンドンと叩いたり、手に持った包丁を振り回したりしながら、家中を動き回ります。すさまじい迫力は、大人でも怯えてしまうほど。
家の主人は、なまはげをなだめて料理や酒でおもてなし。その後、なまはげは家族の様子や作物の出来などについて主人に聞いていきます。問答が終わると、翌年の家族の無病息災や豊作を祈願して席を立ち、次の家へと移ります。
なまはげに酒や食べ物を振舞う
子どもたちには、「来年もまた来るぞ、良い子にしていないと連れて行くからな」と念押しの一言。これを体験してしまった子どものほとんどが「なまはげ」というキーワードを口にするだけで、親の言うことを聞くようになるんだとか。
なまはげの正体とは
それでは、これほど恐ろしいなまはげとは一体何者なのでしょうか。恐ろしい形相や、子どもたちが泣き叫ぶ様子などを見ると、つい「人間に悪さをする鬼ではないか?」と思ってしまいそうですが、実はその真逆なんです。
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鬼の正体とは?知られざる起源や特徴に迫る
なまはげの正体は、真山や本山といった男鹿の山々に住む神の使い。人の怠け心を戒めるだけでなく、厄災を払い、豊作や豊漁をもたらしてくれる、むしろありがたい存在なんです。年の変わる節目に訪れる「来訪神」として、現在も崇められています。大きな音で戸を叩いたり、足を踏み鳴らしたりするのも、家の中の邪気を払うためなんだとか。
なまはげは神の使い
また、なまはげの体から落ちた藁には無病息災のご利益があり、体の具合が悪いところに巻きつけると治ると言われています。そのため、家の中に落ちた藁は翌日までそのままにしておき、朝が来ると拾って大切にとっておきます。
なまはげの起源と歴史
なまはげの像
ナマハゲの語源は「火斑(もなみ)を剥ぐ」という言葉がなまったものと言われています。火斑とは炉端にかじりついていると手足にできる火型のこと。いつも囲炉裏に当たっている怠け者にできる火斑を剥ぎ取って戒めるのが、なまはげなんです。
山の神の使いとして信じられているなまはげですが、実はその由来には様々な説があるんです。特に興味深いのが、中国の皇帝が連れてきた鬼という説。
皇帝が鬼を1日だけ自由にすると、鬼は好き放題に悪事を働き村人を困らせました。困った村人は、一夜のうちに1,000段の石段を築くことができれば娘を毎年1人提供し、できなかったら村から出て行け、という賭けを鬼達に持ちかけました。
鬼が積んだという伝説のある五社堂の石段
鬼達はすごい速さで石段を積み上げますが、999段まで積み上げたところで、機転を利かせた村人が一番鶏の鳴き声を真似し、鬼たちに夜が明けたと思わせて追い返すことに成功します。しかし、鬼の報復を恐れた村人は、毎年鬼の扮装をして村をまわり、ごちそうを用意してもてなす行事を始めました。これがなまはげになったという説です。
山伏の儀式
その他にも、修行をしていた山伏が時々村に降りてきて儀式を行ったことが由来とする説や、漂流してきた外国人が鬼のように見えたことが由来という説まであるんです。
いずれにしろ、その起源は謎に包まれたなまはげ。その妖しさが一層興味を引き立ててくれますね。
なまはげの特徴
鬼のような恐ろしい見た目が印象的ななまはげですが、他にはどのような特徴があるのでしょうか。ここでは、なまはげの具体的な特徴を紹介していきます。
なまはげの衣装
伝統的ななまはげの衣装。材料などは少しずつ変わっても、藁の服に身を包んで包丁を持ったスタイルは変わることなく受け継がれています。
面
なまはげの面
なまはげの象徴とも言える、巨大で恐ろしい面。元々は木の皮やザルなどを使って作っていましたが、今は木彫りやプラスチック製も使われるんだとか。
出刃包丁
なまはげが手に持っている、なんとも物騒な出刃包丁。これが火斑を剥ぎ取る道具であると考えられています。しかし、もちろん本物ではないのでご安心を。これは木製に銀紙を貼って作られています。昔はトゲのある「タラの木」を使ったそう。
ケラ
藁で作られたなまはげの衣装
ケラは、なまはげがまとっている藁でできたミノ。地域によってはケダ・ケデとも呼ばれます。ミノは神に扮するための象徴的な衣装。ケラから落ちた藁に無病息災のご利益があるとされています。
ハバキ・ワラグツ
足元を覆う衣装であるハバキとワラグツも、ケラと同様に藁を編んで作られています。雪の中でも難なく歩くことができます。
なまはげの顔は地域によって違う?
種類豊富ななまはげの顔
なまはげの顔といえば、鬼のような形相が一般的なイメージ。しかし、実は同じ男鹿市の中でも、なまはげの顔は地域によって異なるんです。鬼に近い顔もあれば、アジアの民族舞踊などで使われそうな、精霊のイメージに近い顔まで実に様々。
男鹿市では、60の集落になまはげの風習が残っており、それぞれに由来となる伝承があるんだとか。正確な起源もわからない伝説上の存在であるため、その姿も想像によるところが大きく、そのため様々な種類の顔が生まれたと考えられています。
誰でも本物のなまはげに会える?
大晦日の夜に姿を表すなまはげですが、あくまでやってくるのは男鹿市の地域の家だけ。そのため、県外の観光客などはなかなか見られる機会が少ないかもしれません。
しかし、男鹿市にはなまはげの伝統を幅広く知ってもらうため、観光客でも本物のなまはげを見られるイベントや施設があるんです!
観光客でも見られる伝統行事「なまはげ柴灯(せど)まつり」
なまはげ柴灯まつり
「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、男鹿市北浦の真山神社で1月3日に行われる神事「柴灯祭(さいとうさい)」と伝統行事「なまはげ」を組み合わせた、男鹿市を代表する観光行事。観光客でもなまはげを見られるイベントとして昭和39年に始まり、毎年2月の第2金・土・日曜日に真山神社で行われます。
なまはげ入魂
神社境内の広場に火が灯ると、男鹿半島特有の神楽「湯の舞」が行われ、なまはげ柴灯まつりが幕を開けます。まず行われるのが、「なまはげ入魂」。なまはげを演じる若者たちが、神職にお祓いを受けたなまはげの面を授かり、山へと登っていきます。
なまはげ太鼓
神社の神楽殿では、なまはげが家々を巡る伝統行事を再現したり、伝統芸能である「なまはげ太鼓」や炎をバックに踊る「なまはげ踊り」が繰り広げられたりと、見どころは盛りだくさん。勇ましい演舞に心奪われます。
なまはげの下山
そしていよいよクライマックス。松明(たいまつ)を持ったなまはげが、次から次へと山道を降りて境内を練り歩きます。暗闇の中、赤や青のなまはげの顔が炎に照らされて浮かび上がる様子は、おどろおどろしくもどこか幻想的。境内に灯った聖なる火で焼いた「護摩餅」がなまはげに捧げられ、神のもとへと帰っていきます。
なまはげの伝統を深く学べる「なまはげ館」
「なまはげ館」は、なまはげの里である男鹿の自然や風習、なまはげに関する資料を展示した資料館。実はここでも本物のなまはげに会うことができるんです。
150以上のなまはげが勢揃い
一番の見どころは、男鹿の60の地区にある多種多様ななまはげの面や衣装を展示した「なまはげ勢揃いコーナー」。150を越えるなまはげが大集合する様子は壮観です。展示されたなまはげたちは、実際に使われてすでに役目を終えたものですが、館内には本物のなまはげがうろついているという噂も…
さらに、館内には本物のなまはげの衣装を身に付けることができる「なまはげ変身コーナー」も。なまはげ姿で記念写真が撮れるのは、ここでしかできない体験です。売店では、なまはげグッズや男鹿の特産品を購入できます。
男鹿真山伝承館
なまはげ館の隣には、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家を再現した、「男鹿真山伝承館」を併設。男鹿の伝統文化であるなまはげを観光客にも広く知ってもらうため、なまはげ行事を忠実に再現した「なまはげ習俗学習講座」を行っています。
【なまはげ館 基本情報】
住所:〒010-0686 男鹿市北浦真山字水喰沢
電話番号:0185-22-5050
アクセス:秋田自動車道 昭和男鹿半島ICから車で約40分
JR男鹿線 羽立駅から車で約15分
休館日:年中無休
開館時間:8:30~17:00
入館料:一般 550円 / 小中高生250円
公式サイト:なまはげ館
なまはげ役のベテランが語る「なまはげ」の裏側
現在まで続く伝統行事「なまはげ」。そこには常に、伝統を受け継いでいこうとする人々の存在があります。今回は、なまはげ役を20年以上に渡って務めるなまはげのベテラン、Nさんになまはげの知られざる舞台裏や、なまはげへの思いなどを語っていただきました。
なまはげになれるのはどんな人?
ーー「なまはげ役」を本業としている方はいるのでしょうか?
本業というよりかはみんな別で仕事を持っていて、行事の時期のために地元の有志で集まるという感じですね。なので、給料などは出ないんです。おひねりなども街の人からもらいますけど、ほとんどお面の修理や藁の準備、あとはみんなの「お疲れさんの会」にあてていますね。
ーー仕事というよりボランティアで行われているんですね!なまはげはどうしたら始められるのですか?募集などがあるのでしょうか?
あいつ居るやな、声かけてみるか、とかで「頼む〜」といった感じで集めていきます。元々なまはげをやっている人の息子だったりとか、知人の繋がりで集まっていくっていうのがほとんどですね。
なまはげは知人の紹介で始めることが多いそう
ーー知人の紹介で始めるとのことですが、他になまはげをやるための資格といったものはあるのですか?
いらないですね。最初はお声がけの係などで付いていって、なまはげ役の先輩方の作法を見て覚えていく感じですね。
ーー資格がいらないとなると、地元の人ではなくてもやりたいという人なら参加できるのでしょうか?
何年かに一回とか、全然やり方を知らないという人もいます。やるかやらないかは、その時の会長さんに聞いてみて決める感じです。大学生とかでも、なまはげ役ではなく一緒に付いていって回るっていうのは結構ありますね。
伝統行事「なまはげ」の舞台裏
ーーなまはげ役としてだいたい何人ぐらいが参加するのでしょうか?
全部で大体20人前後くらいですかね。自分たちの地区を三つのブロックに分けて、赤と青のなまはげを二人一対となるように入れます。お声がけする人も数人入れると、大体1ブロック7~8人で回ります。
ーー赤と青のなまはげはセットになっているんですか!1ブロックあたり大体何件くらい回るのですか?
1ブロック大体50件くらいですかね。それぞれのブロックの端から回っていって、最後には3つのブロックのなまはげが一堂に集まります。最後の家は大変ですよね。大人数のなまはげが押しかけてきて(笑)。
ーー50件というのも大変そうですが、最終的には20人くらいのなまはげが集まると…想像したら大変ですね(笑)。なまはげのお仕事や1日の流れを教えてください。
11月頃からまずみんなで集まって、着る藁とかを編み出すんです。毎年編んでいるんですよ。
藁を編んで作られるケラ
ーー「ケラ」と呼ばれるものですね。使い回しはしないのですか?
着たものは町内会館などで焼いてお祓いします。「今年もよく頑張ってくれたな」ってことで、自分たちで祓ったあとは「じゃ今年もまたつくりましょうか」ということで編んでいきます。1日に赤と青のなまはげの分を2着ずつ作って、だいたい12~14着つくることになりますね。
でも、みんな仕事があるから揃って集まれる日ってなかなかないんですよ。その時その時で3人でやったり5人でやったり、集まれる人で作る感じ。
ーー限られた人数でも協力して、11月頃から準備を進めていく形なんですね。行事当日はどのような動きをするのでしょうか?
大晦日はだいたい夕方4時頃から「来たが来たが〜」ってみんなで集まって、打ち合わせをやって人を振り分けるんです。当日になって来れなくなる人もいるから、予備の人も必要なんですよ。あと、集まる場所を見張る係なんてものもあります。
振り分けが終わったらケラを着せてもらって、神主さんを呼んでお祓いしてもらい、出発します。
ケラを着せてもらいなまはげに変身
ーーなまはげをサポートする人も含めて大勢集まるんですね。「ケラ」は、誰かに着せてもらわないと難しいのでしょうか?
一人では着れないです。ケラっていう衣装も各地区によって全然スタイルが違うんですよ。2枚で着るところもあれば、自分の地区は1枚のものでクロスさせたり、色々着方があります。
ーー衣装ひとつとってもなかなか奥が深いですね!出発するときはみんな一斉に出発するのですか?それとも時間をずらして出発するのでしょうか?
それぞれ結構距離があるので、一斉に出ますね。軽トラの荷台に乗って。大晦日は軽トラに乗せられて道路を走るなまはげが見られます(笑)。
大勢のなまはげが家に押し寄せる
到着すると、まず「先立ち」が家に入っていいかを確認して、それから入っていきます。毎年決まったルートを順番に回っていって、最後は最初に集まった場所に戻って打ち上げをして解散、という形です。夕方5時半〜6時頃の間に出発して、戻ってくるのは夜8時頃かな。意外とそこまで長時間ではないんです。
なまはげを始めたきっかけとなまはげへの思い
ーーNさんはどうしてなまはげをやろうと思ったのですか?
最初は高校の時に見学として付いていきました。大学は関東圏に行って、秋田に帰ってくる度に少しやっていたりしてたんですけど、連続してやるようになったのは社会人になってからですね。
秋田に戻ってきたら、親父に「手伝って」って言われたんです。その時も先輩方に「あいつ居るやな」って声かけてもらって、「まず来て、やってくれればいいな」くらいの感じで。それで参加したんです。
ーーNさんも知人からの紹介があったんですね。社会人として本格的になまはげをやるようになったとのことですが、なまはげをやるのは社会人の方が多いのでしょうか?
そうですね。でも中にはここの地区出身の大学生とか、高校生もいました。
高校生でもなまはげになれる
ーー高校生も!ずいぶん若いなまはげもいるんですね。やる年齢は決まっていないのでしょうか?
決まってはいないけれど、基本的に中学生はだめかな。まあそれも自分たちの間の感覚で決まっていますね。一緒についてきても、前に立って缶叩いてジャンジャーンって騒ぐ係とか。そういう役割程度ならいいんだけど、なまはげで中学生はいないですね。そもそも今はもうほとんど若い人はいないんだけどもね(笑)。
ーーNさんは高校生の時に初めて参加して、社会人になってからもうずっと続けているんですね。
自分ともう二人同級生がいて、自分たちで先の青年部を引き継いだ形で、もう20年以上もやっていると思いますね(笑)。結局、自分たちの世代よりひとまわり下の世代がなかなかこなくて、下がいないからずっと続けているって感じですね。
ーーNさんがなまはげをやっていて、やりがいを感じることはありますか?
自分たちが小さい時は、なまはげってすごい怖かったのよ。でも自分が大人になると「ああ、こうやってなまはげやってたんだな」って思うようになりました。
なまはげ姿のNさん
自分がやってもらっていたからこそ、子どもだけでなくお年寄り方にも「健康でいれよー、婆ちゃん元気でいれよー」って思うようになっていって。なんとか地元の人たちに還元していきたいなあって気持ちはあります。
やめるのは簡単だけどさ、いざやめてしまえばまた立ち上げるのもすごい時間とか必要なので。この行事は絶やさないでやっていこうって思っています。
伝統行事「なまはげ」と共に受け継がれる思い
今回は、伝統行事「なまはげ」の全容に迫ってきました。恐ろしい姿をしていても、豊かな生活をもたらす神の使いとして愛されてきたなまはげ。そこには地域の人々がお互いの健康と幸せを思いやる気持ちがありました。
伝統を受け継ぐ人の言葉には、自分たちが受け取った優しさを、未来の子どもたちへと受け継いでいきたい、そんな強い願いが感じられました。なまはげの伝統と共に受け継がれてきた人々の思い。本物のなまはげを見て、その温かさを感じてみてはいかがでしょうか。