今治城の歴史
城主の藤堂高虎はどんな人物?
今治城の見どころ
今治城の知られざる秘密とは?
今治城の御城印
まとめ
今治城へのアクセス
周辺情報

愛媛県今治市の瀬戸内海沿岸に悠然と佇む「今治城」。松山城と共に、日本100名城に選出されているお城です。今治城は、江戸時代に建てられた日本屈指の海城。城を囲む堀には海水が引き込まれており、鯛などの海水魚の姿を見ることができます。

また、当時は国内最大級の船入(城の港)を完備していたこともあり、交通の要所としても機能していました。

今回は、別名「吹揚城」とも呼ばれる今治城の歴史と魅力をご案内します。

広島県 < 尾道市

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公園・遊び場

今治城の歴史

今治城

周りが海水に囲まれた海城:今治城

愛媛県の今治市にある今治城は、慶長7年(1602年)に藤堂高虎(とうどうたかとら)が築いた瀬戸内海近くの海岸に築かれた城。完成したのは約11年後の1613年ごろだと言われています。今治城がある吹揚公園は日本の歴史公園100選にも選ばれており、特に日本の江戸時代に関わっています。

今治城が築かれる以前は、防御的な観点から城は山の上や高台の上に築き上げられることが一般的でした。しかし今治城は、広い堀をいくつも作り上げ、北側は海に面した輪郭式の城にするなど、強固な包囲網がありました。

特徴として、瀬戸内海の海水が引かれたお城を取り囲む堀や、城内の港として船が出入りする船入を備えていました。そのため、今治城は瀬戸内海の交通網を支配する海城として有名です。

そんな今治城を築き上げた藤堂高虎とは、一体どんな人物なのでしょうか?

城主の藤堂高虎はどんな人物?

藤堂高虎

藤堂高虎は、1556年に近江国(滋賀県)で生まれました。地元の領主としての代でしたが、高虎の父の代には、ほとんど農民と変わらない地位まで落ちてしまったと言われています。

背が高く190cmの大柄な体格を持ち、生涯に続く戦の印から身体中に傷がありました。

藤堂高虎が仕えた大名には「浅井長政」「織田信澄(信長の甥)」「豊臣秀長(秀吉の異父弟)」「徳川家康」など、世に名を馳せた大名ばかり。特に家康からの信頼を、大きく受けていた逸話が残っています。

豊臣秀長のもとで出世

浅井長政、織田信澄に仕えた後、藤堂高虎が長い間仕えることにことになる「豊臣秀長」。
秀長のもとで、高虎は力をつけていきます。

仕えた頃、高虎はおよそ300石(現代での平均年収ほど)。しかし、秀長は高虎の働きぶりをよく評価しており、3000石→1万石→2万石と戦功をあげるごとに出世していきました。

秀長の死後、高虎は出家し山に篭ってしまい戦いから遠ざかっていましたが、豊臣秀吉からの声に応えて再び復帰。その後、7万石の大名になります。

最後まで仕えることになった徳川家康

Ieyasu-Tokugawa

藤堂高虎は徳川家康に最後まで仕えた

秀吉の死後、または生前に高虎は徳川家康に接近します。

関ヶ原の戦いでの寝返り工作や、大坂冬の陣・夏の陣で徳川軍に貢献。その後、主君を徳川家康と変えることになったのです。

家康の信頼を得たきっかけのひとつに、家康の屋敷を作る際の設計上の不備を自ら工事を行い、変更をしたという逸話があります。

その他にも家康に気遣いをし、強く印象をつけていきました。その後も出世を続け、高虎が20万石の大名となり、家康からも外様大名(関ヶ原の戦い以降、徳川に仕えた大名)であるにも関わらず、譜代大名(徳川家から選ばれた大名)のような高待遇を受けるほどになりました。

徳川家康が危篤の際には、天海と共に立ち会いを許されその際、「3人の魂が鎮まる場所を作ってほしい」との言い伝えを残しました。

そのひとつが上野東照宮。諸説ありますが、家康と天海、高虎の像が奉られていると言われています。

多くの城を手がけた築城名人

藤堂高虎は加藤清正や黒田官兵衛を加えて「築城三大名人」と呼ばれています。

高虎が携わった城は20を超えるといわれており、主君を何度も変えながら身につけた建築技術と、武将として戦場での目線を取り入れた高虎ならではイメージが、生み出せるようになったのでしょう。手がけた城は、三重県の赤木城・愛媛県の大洲城・愛媛県の宇和島城などが挙げられます。

加藤清正は、籠城戦に適した城の作りと言われていますが、東堂高虎が作る城の特徴は、城とその城下町を意識した作り。

今治城は、侵入者を惑わせつつ効率的な移動を目指した升目状の城下町設計や、城を取り囲む堀に海水を引き、そのまま船で出入りできる点などが特徴。城の防御と城下町の発展を目指した、高虎ならではの城だと言えるでしょう。

今治城の見どころ

Imabari-castle2 今治城の見どころをご紹介します。

日本三大水城のひとつ

水城とは、堀に海水が引かれている城のことを指し、今治城は三大水城のひとつと言われています。

実はこの日本三大水城は誰が決めたのか、その判断基準はどんなものなのかは、判明しておらず多くの人によって、自然とイメージされるようになっていった背景があります。

三大水城は、紹介している今治城の他にも香川県の高松城、大分県の中津城とされています。

天守

高虎が創建した五重天守を引き継ぎ、形状は当時最新鋭の層塔型であったと考えられています。昭和55年に再建されたのが現在の天守で、初期のものは高虎が伊賀へ転封(領地を移すこと)した際に取り壊され、丹波亀山城に移築されたことから、現在の天守は亀山城の古写真などの資料を基に再建された模擬天守とされています。

1階に券売所と事務所、2〜5階が今治城に残る武具や書画、調度品の展示室、6階が展望台として開放されています。

緑に囲まれた今治城の五重の天守

今治城の五重の天守

鉄御門(くろがねごもん)

今治城の鉄御門

今治城の鉄御門

二の丸(天守といった本丸を防御する城郭)跡地の正門で、「枡形」と呼ばれる技法が用いられています。枡形とは城の入り口となる「虎口」を石垣で囲うように作ること。敵を見張れるだけでなく、侵入してきた場合、四方から攻撃できるという特徴があります。

高虎は城郭の随所にこのような枡形を使用し、強固な城を築き上げました。現在のものは平成19年に再建されたもので、内部も見学することができます。

3つの櫓

今治城の敷地には3つの櫓があり、それぞれ科学館や美術館として使用されています。

多聞櫓

城内北部にある「多聞櫓」では魚介類の標本や鳥類の剥製、鉱石などが展示され、自然科学館として営業しています。

山里櫓

平成2年に再建された「山里櫓」は城内北西部に位置しています。主に武具や今治にまつわる古美術品が展示されています。

御金櫓

城内の最東部にある「御金櫓」は、昭和60年に再建された二重櫓です。愛媛の郷土作家による品々が展示されています。

夜間ライトアップ

今治城の幻想的なライトアップ

今治城の幻想的なライトアップ

今治城では、瀬戸内しまなみ海道の開通を機にライトアップされるようになりました。

毎日日没30分後から23:00までライトアップが行われています。照明デザイナーの海藤春樹氏監修のもと、角度や照明の色が城の風景に合うようにデザインされたライトアップ。夜空に約100もの光で照らし出される今治城は神秘的です。歴史ある日本建築と現代技術の融合によって作り出される美しさは、まさにここでしか味わうことができません。

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今治城の知られざる秘密とは?

築城名人である藤堂高虎が手がけたからこそ、生まれた秘密が今治城にあります。 いくつかご紹介します。

石垣の秘密

敵の侵入を防げるように、高々と築き上げられている今治城の石垣。この積み上げ方にはとある技法が取り入れられています。それは、「野面積み」と「算木積み」という技法。

野面積みというのは、大きい石・小さい石など様々なサイズの石をほとんど加工せずに積み上げる技法のことを指し、「算木積み」は加工した長辺石と短辺石を順番に積み上げる技法です。

その他にも、石垣に使われている石はただの石ではありません。白っぽい艶々とした石がありますが、実はこれは大理石。一般的に城の石垣に使われる石の種類は、「安山岩」や「花崗岩」。石垣に大理石が使われている城は、あまり見ることができません。

さらに石垣には、もうひとつの秘密があります。。積まれている石垣に、穴が空いてる場合がありますがこれは貝の仕業。「イシマテ貝」と呼ばれる貝で、石を溶かす酸性の分泌液によるものだそうです。海の近くにある城だからこそ、見ることができる光景かもしれません。

周りのお堀にサメがいる?

本来の今治城は、三重の堀で囲まれていましたが明治時代には取り壊されていまいました。そんな堀には、海水が引かれているということで海の生き物たちを見ることができます。

ボラやフグなど、たくさんの種類の魚たちが海から堀に入ってきているようですが、2015年に堀に1mを超える2匹のサメが目撃されました。

1m超えのサメが目撃されたのは、この日が初めてということだそうです。お城のアイドル、そして城の防御を任せられる優秀な門番となってくれそうですね。

防御の秘密

今治城には三重の堀の他にも、その堀の幅や石垣の高さにある秘密があり、城の防御力をアップさせているんです。

今治城の堀の幅(城から対岸まで)は50m〜70mにもなります。この長さは当時の弓矢の射程距離を上回っています。鉄砲なら届く射程距離なため、弓矢からの攻撃を防ぎながら鉄砲で攻撃することができる、攻撃や防御にも最適な計算された城の作りになっています。

また石垣の高さは9m〜13mと、登り切るには一筋縄では行きません。

このように、高台や山に囲まれた自然の利を生かした強固な城とは正反対に、平地に造られた今治城だからこその工夫で、今治の発展を見守ってきたんですね。

今治城の御城印

今治城の御城印と今治城(写真提供:かまのん202様)
お城にも神社や寺の御朱印のように、訪れた記念となる御城印(ごじょういん)があることをご存知ですか?

御城印には、城名や城主の家紋などが描かれており、2020年には全国500以上の城から発行されているようです。

今治城の御城印には、城名と藤堂家の家紋「藤堂蔦」と久松松平氏の家紋「星梅鉢」描かれています。

御城印は、天守1階の観覧権売り場でも購入ができます。登城記念に、ぜひ購入を検討してみてはいかがでしょうか?

【今治城の基本情報】
住所:愛媛県今治市通町3丁目1-3
入場料:
520円(大人)
260円(学生)
※高校生以下、18歳未満は無料
開館時間:9時〜17時
休館日:12月29日〜12月31日まで
駐車場:あり
公式サイト:今治城

まとめ

今治城と藤堂高虎の像

凛と佇む今治城と藤堂高虎の像

今治城は桜の名所としても知られ、場内に植えられたソメイヨシノが春を彩り、満開の桜をバックに佇む今治城は、日本の春を感じさせてくれます。晴れた日には天守閣から瀬戸内海や石鎚連峰も一望することができ、四国の絶景を堪能できるはずです。

今治城へのアクセス

最寄駅:JR 今治駅 / バス 今治城前

JR 松山駅からのアクセス

【松山駅】ー JR予讃線 / 観音寺方面
→【今治駅】→ 徒歩(約20分)もしくは、せとうちバス「今治営業所行き」で今治城前まで約7分

松山空港からのアクセス

【松山空港】ー 伊予鉄リムジンバス / 道後温泉方面
→【松山駅】ー JR予讃線 / 観音寺方面
→【今治駅】→ 徒歩(約20分)もしくは、せとうちバス「今治営業所行き」で今治城前まで約7分

車でのアクセス

最寄りIC:瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)今治北IC(約15分)
     今治小松自動車道 今治湯ノ浦IC(約20分)
今治城周辺の駐車場:第1駐車場

Edit:Kaoru Maki

参考:今治城美術展ナビ刀剣ワールド刀剣ワールド 城今治城 スタッフブログ

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