安井金比羅宮 京都府南部、京都市に位置する「安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)」。縁切り縁結びのご利益があるとして有名な神社です。 飛鳥時代の豪族・藤原鎌足氏がが子孫繁栄を願い、地元の藤の花を植えて「藤寺」と名付け建てました。平安時代の天皇・崇徳天皇がたびたび訪れたことから、主祭神として祀られています。のちに「安井の金比羅さん」の名で知られるようになったのには、崇徳天皇が保元の乱で讃岐に流された際、金刀比羅宮で修行し世俗を断ち切ったことからといわれています。 このことから、断ち物の祈願所として長く信仰されてきました。境内にある巨大な石に札がびっしりと貼られた「縁切り縁結び碑(いし)」や縁切りの願いの書かれた絵馬は、人間関係の怖さを物語るといわれることも。しかし、男女や人間関係だけではなく、酒、タバコ、賭け事などの止めたい習慣も断ち切れるといわれています。縁切り縁結び碑の参拝方法は、願い事を書いた札を持ちながら願い事を念じ、碑の穴を表から裏へくぐります。同じように裏から表へくぐり、札を碑へ貼りつけます。
瑠璃光院 京都市北東部と滋賀県にまたがる比叡山の麓に位置し、紅葉の名所としてSNSで話題の「瑠璃光院」。元々は大正末から昭和の初めにかけて別荘として造営されたのが始まりです。現在は、岐阜に本坊を置く浄土真宗、無量寿山光明寺の京都本院となっています。 文化財を保護するため、春と秋のそれぞれ二ヶ月間のみ一般に開放されています。青もみじと紅葉の季節に、数寄屋造りの書院から眺める瑠璃の庭はまさにフォトジェニック。その美しい景色を写真に残そうと多くの人でにぎわいます。
貴船神社 京都市北部・鴨川の水源に位置し、水の神様を祀る「貴船神社」。全国に約450社ある貴船神社の総本山です。 1000年以上の歴史を持ち、平安時代に女流歌人の和泉式部が夫との復縁を願って参詣したことから、縁結びの神様としても人気を集めています。 また、この神社のおみくじはとてもユニークで、水に浸すと文字が浮かび上がる仕掛け。安心の翻訳機能つきで、QRコードをスマートフォンなどで読み込むと、英語・中国語・韓国語で占いの結果が表示されます。 毎年七夕の時期にはライトアップが実施され、光に照らされた笹飾りや境内の幻想的な姿を楽しむことができます。
鞍馬寺 京都市北部に位置し、平安末期の武将・源義経が天狗から武術を学んだという伝説が残る鞍馬寺。1,200年あまりの歴史を持つ、鞍馬弘教の総本山です。 ふもとの仁王門から標高約400メートルの地点にある本殿金堂までは、九十九折参道(つづらおりさんどう)と呼ばれる急な坂道を約30分の道のり。敷地内を走るケーブルカーを利用することもできます。時間に余裕があれば、貴船神社までハイキングするのもおすすめです。 また、本殿金堂付近の奥の院参道の先にある霊宝殿(鞍馬山博物館)には、鞍馬山の自然や歴史についての様々な資料が展示されいます。
下鴨神社 京都市北部に位置し、京都で最も古い神社のひとつとして知られる「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」。正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼ばれ、古代氏族・賀茂氏の式神を祀っています。 下鴨神社は紀元前90年崇神天皇の時代に修造が行なわれた記録があることから、それ以前に建築されたと考えられている歴史深い神社。1994年には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。縁結び、無病息災のご利益があるとされているほか、大切な契約を成功に導く契約の神としても崇められています。境内にある社叢林(しゃそうりん)の「糺の森(ただすのもり)」は自然に触れ合うことが出来る癒しスポット。広大な原生林が広がり、約4700本の樹木が生育しています。 毎年5月に行われる葵祭は下鴨神社の例祭で京都三大祭りのひとつ。平安時代の宮廷装束を身にまとった総勢500人を超える市民が行列となって練り歩きます。
永観堂(禅林寺) 京都府の南部、京都市に位置する「永観堂(禅林寺)」。浄土宗西山禅林寺派の総本山です。 853年、空海の弟子である真紹が真言宗の道場としたのが禅林寺の始まり。永観堂とよばれたのは1072年には永観が入寺し、禅林寺境内に施療院を建てるなど慈善事業をおこなったことに由来します。境内には、顔を斜め後ろに向けた国宝・阿弥陀如来像があり、慈悲深い表情で振り返る姿から「みかえり阿弥陀」として知られています。ほかにも多くの寺宝を所蔵しており、これらは毎年11月に開催される寺宝展で見学が可能です。 また、古今和歌集にて「もみじの永観堂」と詠まれるように、古くから紅葉の名所として知られており、約3,000本の紅葉が園内を彩ります。期間限定で夜間ライトアップもおこなわれ、放生池(ほうじょうち)には色鮮やかな逆さ紅葉があらわれ幻想的な空間に包まれます。御朱印は3種類ですが、一緒にいただけるみかえり阿弥陀様と永観律師がデザインされたはさみ紙も人気です。
法然院 京都府南部、京都市に位置する「法然院」。浄土宗の寺院です。 江戸時代初期の1680年、知恩院第38世萬無和尚が元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立しました。本堂内には、本尊阿弥陀如来坐像などを安置。本尊前の須弥壇上には、二十五菩薩を象徴する25の生花を散華しています。晩年京都で暮らした昭和の小説家、谷崎潤一郎氏の墓があることで有名です。 通常は公開をしていませんが、本堂や方丈庭園は、4月と11月の伽藍内特別公開期間のみ拝観が可能。見どころは中興以来絶えることなく湧き出ている清泉「善気水」や、中庭の三銘椿(五色散り椿・貴椿・花笠椿)で、3月下旬から4月中旬に開花します。もとは浴室であった場所は1977年に改装。現在は講堂として、講演会やコンサートなどに利用されています。哲学の道などの観光名所からのアクセスも良いことから、多くの観光客が参拝に訪れます。
曼殊院 京都市北部・比叡山の麓に位置する「曼殊院(まんしゅいん)」。 かつて皇室出身者が住職を務めた、由緒ある寺院です。 1,200年以上前に天台宗の開祖・最澄(さいちょう)が比叡山に建立したのが始まりで、江戸時代に現在の場所へ移転しました。 見どころは、砂の上に鶴島と亀島が配置された枯山水の庭園。滝や川を表現した白い砂の上に、屋形舟を表す小書院や鶴に見立てた樹齢400年の五葉松がレイアウトされた、公家風の発想豊かなつくりが魅力です。 また「源氏物語」や「古今和歌集」の古写本など貴重な文化財も多数所蔵されています。
圓光寺 約400年前に徳川家康によって建てられ、学校の役割も果たした「圓光寺(えんこうじ)」。もともとは京都市南部の伏見にありましたが、現在の一乗寺小谷町(京都市北部)に移転しました。 日本最古の活字本のひとつ『伏見版』の印刷事業が行われた地として知られ、孔子の言行や逸話を集録した『孔子家語』など、多数刊行されました。また、その時に使用された木活字は今でも大切に保管されています。 毎週日曜日には早朝座禅会が開かれており、初心者でも気軽に座禅を体験することができます。書院から眺める十牛の庭(じゅうぎゅうのにわ)は、まるで一枚の絵画のような美しさ。特に紅葉シーズンには多くの人でにぎわいます。
黄梅院 京都府南部、京都市に位置する「黄梅院(おうばいいん)」。広大な敷地に多くの塔頭をもつ、臨済宗大徳寺派の大徳寺の一寺院です。 織田信長公がはじめて上洛したときに、織田家の菩提寺「黄梅庵」を建立。本能寺の変で信長が急逝すると、豊臣秀吉公がこれを徐々に増築し1589年に「黄梅院」と改めました。境内の「直中庭(じきちゅうてい)」は千利休が作庭。秀吉の馬印「千成瓢箪」をかたどった池を配置しており、青もみじ、紅葉の名所として知られています。また、豊臣秀吉政権の家臣・小早川隆景氏の寄進による、禅宗寺院としては最古の庫裡や、加藤清正氏が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる釣鐘などが鑑賞できます。通常は非公開ですが、毎年春と秋には特別公開されます。 御朱印は書道家としても高名な住職・小林太玄氏が、ひとりひとりにあわせて言葉を選び書いてくれます。
龍源院 京都府南部、京都市に位置する「龍源院(りょうげんいん)」。臨済宗大徳寺派の大徳寺最古の塔頭寺院です。 1502年に畠山義元、大友義長、大内義興の3氏によって創建。方丈、唐門、表門は創建当時のままの姿を残し、重要文化財に指定されています。方丈の室中 ( しっちゅう ) に安置されている本尊・釈迦如来座像は鎌倉時代につくられました。 見どころは石庭の数々。 中国の滹沱川の流れを表現した白砂が美しい「 滹沱底 ( こだてい ) 」、岩や苔を置いた蓬莱式の石庭「 一枝坦 (いっしだん)」、 苔で大海を表現した「竜吟庭(りょうぎんてい)」など、方丈を中心として複数の枯山水庭園があります。1滴の水が大海へとつながる世界観を表した「東滴壺(とうてきこ)」は、日本で最小の石庭です。ほかにも、日本最古の火縄銃や豊臣秀吉公と徳川家康公が対戦した囲碁板など、戦国武将ゆかりの品を展示。龍源院では、「大圓殿」の御朱印がいただけます。
詩仙堂 京都府南部、京都市に位置する「詩仙堂」。徳川家康の家臣で、文人としても活躍した石川丈山氏の山荘跡です。 丈山が33歳に武士を引退したあと、余生を過ごした場所といわれています。寺名の命名は、中国の詩仙36人の肖像を狩野探幽氏に描かせ、丈山自らが詩を書いて掲げた「詩仙の間」を中心としたことが由来といわれています。曹洞宗の寺院でもあるため「丈山寺」とも呼ばれています。詩仙堂の御本尊は、「馬郎婦観音(めろうふかんのん)」。 学業成就などにご利益があるといわれています。 書院から見える庭は、数多くのサツキの植え込みによって中国の山並みを表現。四季折々の趣が楽しめ、とくに秋の紅葉が有名です。その奥には苔庭が広がり、かわいい笑顔のお地蔵様にも出会えます。また、丈山の発案とされ、日本で初めて作られた「ししおどし」も見どころ。鹿威しという漢字のとおり野生の鹿や猪の進入を防ぐためのものですが、流れる水の音や石を打つ竹の音が風流で、心地よく散策できます。
吉田神社 京都府の東部、京都市に位置する「吉田神社」。京都大学の東側に立つ、緑が多く静かな神社です。 吉田神社は、859年に中納言藤原山蔭(ちゅうなごんふじわらやまかげ)卿が平安京の守護神として創建した神社。本宮の第一殿には、健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)が祀られており、厄除けや開運のご利益があります。そのほか、境内には水徳の神や包丁の神、菓子の神などを祀っています。また、末社「大元宮(だいげんぐう)」は全国の神々を祀る社として重要文化財に指定。門が開き、本殿に参拝できる日は限られていますが、本宮とともに信仰を集めています。境内には多くの社があるため、それぞれの歴史や建築様式をみて回るだけでも見どころが満載です。 毎年2月には、室町時代から続く節分祭を開催。3日間にわたって行われ、厄除けを祈願する多くの参拝客で賑わいます。
金地院 京都府の東部、京都市に位置する「金地院(こんちいん)」。1394年から1428年にかけて続いた応永年間に建てられた、歴史ある禅寺です。 当初は京都の北山にあったものを、江戸時代初期に臨済宗の僧・以心崇伝(いしんすうでん)が現在の場所に移築した金地院。3,300㎡もの広さを誇る庭園が見どころです。茶人、庭園デザイナーである小堀遠州(こぼりえんしゅう)が手がけたこの庭園は、「鶴亀の庭」のふたつ名をもつ金地院のシンボル的存在。左に亀島、右に鶴島が配置されており、自然の力強さを感じらるデザインが特徴です。国の重要文化財である方丈からの格別な眺めも見逃せません。 茶室である「八窓席」は、京都三名席のひとつとして知られています。また、襖絵の『猿猴捉月図(えんこうそくげつず)』は、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した絵師・長谷川等伯(はせがわとうはく)の貴重な作品。境内に残された貴重な文化財からも、長い歴史が培った風格が感じられる寺院です。
高桐院 京都府の南部、京都市に位置する「高桐院」。臨済宗総本山である大徳寺の敷地にある塔頭(たっちゅう)です。 1601年に戦国武将の細川忠興氏(三斎)が創建、茶道の名人でもあった三斎氏らしい造りがみられます。「意北軒(いほくけん)」は師匠の千利休氏の書院を移築して造られました。書院につづく茶室「松向軒(しょうこうけん)」は豊臣秀吉氏が開いた北野大茶会に用いられたものを移築したといわれています。高桐院は細川家代々の菩提寺であり、庭には三斎氏とその妻・ガラシャ夫人の墓があります。戦乱に巻き込まれて数奇な運命をたどった両氏の足跡をたどって、多くの歴史ファンが訪れています。本堂まで続く参道も見どころのひとつ。夏には苔、秋には紅葉の落ち葉が庭一面を埋め尽くし、目を見張るほどの美しさです。 大徳寺には20以上の塔頭がありますが、高桐院は数少ない常時拝観が可能な塔頭。御朱印もいただくことができます。